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霧沢学院・3 


 『オシッコをしない女の子』――ノーションの楽園である霧沢学院の3年生が活気付き始めるのは、夏休みも過ぎた9月半ば。暑い盛りが過ぎて空が澄み渡り、夕焼けが空に映える秋口の頃だ。
 夏季休暇を終え、学期末試験の終わった学院では、中等部の3年間を通じてもっとも盛大なイベント、修学旅行に向けての準備が始まる。この時期に設定されているのは、中高一貫教育のため受験の心配がない学院ならではのことだろう。
 字面では“学を修むる”とはなっているものの、昨今の学校では修学旅行本来の堅苦しい史跡観光などの意味合いは薄れ、純粋に観光旅行としての側面が強い。霧沢学院でもそれは例外ではなく、生徒達にとっても学院を離れ、仲の良いクラスメイトと揃って過ごす修学旅行は一大イベントである。
 しかし、世の女の子の理想であるノーションをはぐくみ育てる霧沢学院では、この旅行こそがノーションの英才教育の成果を示す、文字通りの“修学”旅行なのだ。


 年度にもよるが、霧沢学院の修学旅行は概ね4泊5日の行程で、行き先は京都、沖縄、北海道、北九州などが選ばれる。目的地に海外を望む声も一部にはあるが、安全性の問題などから今のところ実現していない。
 安全性――つまり“オシッコをしない女の子”=ノーションが実存するという神話が崩壊しかねない危険性を完全に払拭することが、海外では完全に担保できないためである。
 この旅行の間、学院生徒達は完全なるノーションとして振舞うことが要求されるのだ。
 つまり、旅行の間中、生徒達はいついかなる場合でも、排泄をするという意味でトイレに入ることを許可されないのである。
 ノーションの楽園である霧沢学院の生徒として、彼女達は5日もの間、トイレに行くことのない女の子という理想の偶像を務めるのである。


 彼女達が滞在するホテルは、格式高く伝統のある施設で、学院の出資者や卒業生が多く関わる場所ばかりだ。普段はその至れり尽せりのサービスで客を出迎えるホテルは、修学旅行で学院の生徒を迎える時だけ、たったひとつ――トイレについてのみ、恐ろしく厳格で理不尽な対応を取る。
 学院生徒達が宿泊する棟のトイレの入り口を塞ぎ、壁紙などで封鎖してその存在すら抹消するのである。
 学院に属する少女たちは、ノーションであるのだから――オシッコをする設備など不要というわけだ。
 トイレの不在――それは、決して彼女たちにとっても珍しい光景ではない。そもそも霧沢学院には来賓用、職員用のものを除けば、トイレは存在してない。生徒達が利用できるのは、文字通り手を洗い清めるための“お手洗い”のみである。
 だが、これは彼女たちがオシッコをしないことを示しているわけではなく、オシッコをするための設備が存在していないというわけではない。彼女達は自分専用の秘密のトイレを持っており、そこで誰にも気付かれないようにオシッコを済ませることによって、そもそもその存在が物理的、生物学的に不可能なノーションとして振舞うことを可能にしている。
 が。この修学旅行中はワケが違う。
 滞在先の旅館やホテルはあくまでも一般の人々に向けられた施設であり、学院にあるような秘密の隠しトイレなど、無論のことながら存在していない。つまり、トイレの封鎖されたホテルには本当の意味でどこにもトイレなどなく、少女たちは4泊5日の無限にも思える時間をオシッコのできないままに過ごすことを強制されるのである。


 厳格な躾と多くの淑女を排出する霧沢学院には、その名に恥じぬ多くの財閥、名家のご令嬢も名を連ね、在籍している。このような伝統ある学院ではその卒業生が社会で大きな権力を持つことも多く、時にその権力によって不正が起こることも懸念される。残念なことに生徒の中にも、在学中そうした血縁の立場を振りかざし無茶を通そうとする者はいるのである。その関係が明るみに出るのならばともかくも、寮生活や友人、先輩後輩の人間関係に及べば生徒の自治の間でそれらを摘発することは困難を極める。
 本来、決して口外無用の秘密のトイレについても、信頼できる親友や先輩、そして時にいじめなどによって、その場所や使用方法を教え合ったり、聞き出されたりという言語道断なことが、厳粛な規律に律された学院内にも事実として存在しているのである。
 無論ながら、学院の生活において多くの秘密トイレの存在を知っている生徒は、それだけ自然にノーションとして振舞うことができる。誰にも秘密にこっそりとオシッコのできる場所が人よりも多ければ、同じ学院の生徒にすらまるで本当にトイレに行かないようにも思わせることができる。時に学院執行部によって、24時間以上秘密トイレの使用を禁じられる場合でも、他のトイレを使うことができれば万が一の危機はぐっと少なくなる。
 科学的な見地によって冷静に外部から見ればあまりにも無茶な存在であるノーションという存在が、毎年、学院の生徒達の間でもまことしやかに信じられてしまうのは、こうして学院のシステムを逆手に取り、“狡賢く”行動する生徒達がいるためでもあるのだ。
 事実、彼女達の行いは学院を卒業し社会に出た後、実際にあるトイレには行かずに本当のノーションとして振舞うためには欠かすことのできない技術であることも確かと言える。


 が、学院は修学旅行中のトイレについては、なによりもかたくなな態度を一貫させている。
 たとえどんなに有名な財閥や政治家の関係者であったとしても、学院は決してトイレの使用を許可しない。一般には知られていないが、数年前には某民自党総裁であった大物政治家のご息女が、事前に修学旅行で滞在予定の旅館を訴え、トイレの使用を求めたこともあったが――学院はそれを突っぱねている。
 また、旅行中の生徒達は班行動を徹底され、引率先でも徹底して行動を管理されるのだ。
 この徹底管理が行き届かないとして、海外での修学旅行はこれまで行われていない。しかし、現在学院では卒業生を中心に欧州と北米で受け入れ態勢を構築中であり、数年後には学院初の海外旅行も計画されていると言う。


 しかし、過酷な入試選抜を潜り抜け、学院での厳格な教えに従って中等部3年間のノーション教育を受けてきた学院の生徒たちとは言え、4泊5日間もの行程の間中、一回もオシッコをせずにトイレを完全に我慢しきることなど、まずもって不可能であるのは確かだ。
 では、彼女達はどうやって、その小さな下腹部をなみなみと満たすオシッコを処分するのか。
 みんなが寝静まった深夜に、ひっそりとホテルを抜け出してコンビニへ?
 あるいはお風呂の時に、排水溝でこっそりと?
 はたまた、観光の時の自由時間でちゃっかりと公衆トイレへ?
 これまでこのシリーズをお読みの方々には、彼女達がそんな愚を犯さない事は先刻ご承知のことだろう。彼女達はノーションだ。少なくとも、この旅行の間はそう振舞わなければならない。であるならば――オシッコをしないのだから、そもそもトイレに入る姿すら見られてはならないのだ。そんな危ない橋を渡ってオシッコをしてしまうような女の子は、学院生活を送る事などできない。
 そして、ホテルのトイレは絶対に使用できない事は既に述べた。
 では、トイレが絶無のこの旅行の最中に、彼女達はどうやってオシッコを済ませるのか?
 その秘密は、彼女たちが持つ小さな“袋”に隠されている。


 修学旅行の初日、生徒達にはひとつずつこの『エチケット袋』なるものが渡される。
 通常の意味では、このようなものはバスなどに酔い、気分を悪くした生徒が使うものだが――霧沢学院の修学旅行にあっては、まったく違う意味を持つ。そもそも、本来のエチケット袋はそれぞれ、新幹線の車両、飛行機の機内、はたまた現地での移動手段であるバスにも完備されているのだ。
 この『エチケット袋』は、彼女達に与えられた恩情であり、枷でもある。
 ノーションとしてのエチケット――人前でトイレに行かず。ひいては決してオシッコをしない女の子であるという、『エチケット』のための『袋』。つまりこの場合のエチケットとは、トイレを我慢すると言う意味であり、『袋』はとりもなおさずオシッコを溜めておくための場所、bladder(膀胱)のことだ。
 『エチケット袋』はこの修学旅行中の間のみ、例外的にノーションの身体の一部、つまり膀胱の延長として扱われる。この『エチケット袋』の中にある限り、オシッコは身体の外に出たことにならないのだ。
 我慢に我慢を重ねた限界の果て、学院の生徒達がどうしても我慢できなくなり、自分を苦しめる悪魔の液体を処分せなければならくなったときがこの『エチケット袋』の出番だ。少女たちはさりげなく部屋や移動車両の隅へ移動し、この『エチケット袋』にオシッコを済ませる。
 無論ながら誰にもそのことを悟られてはならない――しかしこれはもはや建前上のことではある。なにしろ、『エチケット袋』は少女たちの体の一部なのだから、オシッコをしていることにはならないのである。
 もっとも、そもそもこんな袋にオシッコを出しているところを、クラスメイトとは言え見られるなんて、普通の女の子でもありえないほどに恥ずかしいことであるのだが。
 この『エチケット袋』は本来の用途同様、防臭、防菌加工の高分子吸収帯を用意したものであるが、性能そのものは段違いに良い。4泊5日の行程中、まったく問題なく少女たちのオシッコを……ノーションとして人並みはずれて鍛えられたオシッコの我慢が可能な少女たちのトイレを余すところなく受け止めるのにふさわしい構造をもっているのである。
 修学旅行中、学院の生徒たちはなんどもこの『エチケット袋』のお世話になりながら、ノーションとして振舞うのだ。


 面白いことに、これは、たとえノーション候補生である学院の生徒といえども、3日間もの間丸々とトイレを済ませずにいられるはずがないことを示している。たとえどれだけ括約筋を鍛え、オシッコを我慢する訓練をつんだとしても、普通に食事をし、水分を採り、日常生活を送りながら女の子がオシッコを我慢し続けられるのはせいぜいが丸24時間――たとえ奇跡のように我慢が可能だとしても、一日強の30時間が限界であるのだ。
 読者のみなさんはこれを短いとお思いになるだろうか? 激しい選抜試験を勝ち抜き、全国から選りすぐられた我慢のエリートである少女達が、たかだか一日程度しか我慢ができないという事実を?
 だがもう一度、これまでのコラムを踏まえ、ノーションという存在の大きな矛盾を考えて欲しい。
 確かに水分を全く採らないような生活ならば、あるいはもっと長期間のトイレ我慢も不可能ではないかもしれない。しかし、ノーションとは普通の女の子と同じように生活をしながら、トイレと無縁でありオシッコに行かないことを旨とする理想の偶像である。
 よって、トイレに行かなくても平気なように工夫をすることは、そもそもノーションとしてまったく見当違い、酷く言えば失格であると言って過言ではない。
 たとえ長距離のバスや電車の移動であっても、それを理由にオシッコの心配をし、水分を控えたりすることはノーションとしては全くありえないことだし、夜トイレに起きることを考慮して寝る前のお茶を控えたりすることは、ノーションには許されないのだ。
 ノーションはオシッコとは無縁の存在なのだから、そもそもオシッコの心配をすること事態が筋違いなのだ。むしろオシッコに悩まされる心配がないからこそ、生徒達は普通の少女以上に多く水分を採り、飲み物を口にすることが推奨されている。
 いや、それどころか彼女達はトイレを我慢する事すら許されていないのだ。


 霧沢学院は、表向きトイレの一切存在しない、ノーションのための学院である。
 しかし、そこで暮らす生徒たちが、実際にはオシッコからは自由にならないごく普通の女の子であるように、学院にはこっそりと隠された秘密のトイレが数多く用意されている。このような秘密のトイレでひそかに、つつましやかにオシッコを済ませて、けれどそれを全く悟られないようにすることが、ノーションを目指す少女たちの学院生活の基本事項である。
 誤解のあることも多いが、別段、学院の生徒全員が常日頃から限界に汗を流し身体をよじって我慢を続けているわけではない(一時的にそういう時期にある生徒がいることも確かだが)。
 ……なにしろ、『オシッコをしない女の子』である以上、我慢することすらノーションにとってはタブーであるのだから。そのような無様な状況を晒すことなく、生徒達は死にそうなほどにトイレに行きたい時も、そうでないときも、全く同じように過ごしているのだ。
 それは優雅に湖上を舞いながら、その実水面下で激しく水を掻き分けている白鳥のように。
 血と汗と、文字通りオシッコの滲んだ涙ぐましいほどの努力の上で、生徒達はオシッコをひそやかに我慢し、ひとたび機会があれば可能な限り素早くきちんと(そしてこっそりと)トイレを済ませておくのが鉄則なのである。


 繰り返し述べてきたように霧沢学院には、生徒一人につきひとつの秘密のトイレが用意されているが、学院をを卒業し、名実共にノーションとなって社会に羽ばたいてゆく少女たちはそうもいかない。
 学院の中でならばともかくも、大多数がノーションではない女性の生活する実社会において、トイレというのは基本的に、その場所がわからなければ困るものだ。探せば見付かるようになっていなければ非常に大変なことになるため、どうしても目立つようになっている。
 だからそこに近づけば自然、その姿は目に付いてしまうものだし、衛生上複数の人間が利用する場所であるため、一緒に立ち入ればそこを使っていることは公知の事実である。
 当然ながら人目のあるところでノーションがトイレに立つことが許されるわけもない。実社会で卒業生たちがノーションであることを貫くのは、想像を絶するほどに難易度の上がる行為なのである。
 学院の中でならば、まさかそんな場所で? というようなところにひっそりと個人用の秘密トイレが用意してあったりするため、彼女たちはさりげなくそこで用を済ませ、同じ学院の友人たちに対しても思う存分ノーションであることを競うことができる。
 しかし、一歩学院を出たその先では、当たり前のことだがオシッコのできる場所はトイレしかないのだ。そこに立ち寄ることはノーションとしてやってはならないことだし、不可能である。
 つまり、学院の生徒は、学院の外では絶対にトイレに行くことができない。
 この修学旅行は、彼女たちにとって日頃磨いてきたノーションとして振舞うための技能を社会の中で試す、テスト期間でもあるのだ。


 修学旅行の最終日。帰途に着いた生徒達は、学院の大規模検査室で――ここは入学審査や身体測定が行われる場所だが――『エチケット袋』の測定を行われる。彼女たちが修学旅行期間中、一体どれほどオシッコを猛烈に『ガマン』してきたのかを知らしめるためのものだ。4泊5日にもおよぶ長期間にわたる行程で、溜め込まれたオシッコは凄まじいことになっており、ほとんどの『エチケット袋』は見るも無残な凄まじい『ガマン』を強いられている。中にはそんな状況の『エチケット袋』を抱えてなお、言葉すくなに息を荒げ頬を赤くし、股間を握り締めてしまう、ノーションとしてはイエローカードな生徒も見られる。
 そして、多くの生徒達がでずっしりと重く、ぱんぱんに膨らんだ『エチケット袋』を前に、俯いて顔を赤らめている中、一度も『エチケット袋』を使用した形跡のない生徒が必ず数人、現れるのだ。
 まったく焦る風もなく、乾いた喉を、健康に良いと評判の利尿作用たっぷりなお茶で潤して。少女たちはぺたんこ、空っぽの『エチケット袋』をこともなげに返却する。
 そう、まるで本当のノーションであるかのように、だ。
 彼女達は一体どこでトイレを済ませたのだろう。彼女たちが一回もトイレに入っていないのは、同道したクラスメイトたちにははっきり解っているし、オシッコをする姿も勿論誰も見ていない。
 しかし、果たして我慢のエリートである他の生徒達が激しい苦悶の中、必死に耐え抜いてなお『エチケット袋』をぱんぱんに膨らませているというのに、そんな状況の中で全く条件の同じ彼女たちだけが悠々とオシッコを我慢し続けているというのだろうか?


 その答えは、実は誰にも解らない。
 それこそが、生きてゆくための自然の摂理としてどうしても排泄という行為をしなければならない少女達が、オシッコをしない理想の女の子、ノーションとなるための最大の秘密である。たとえどんな苦しみを味わっても、彼女達は隠されたその秘密を口にする事はないだろう。
 そして、彼女達こそが未来に羽ばたく、本物のノーションのタマゴたちなのである。
 彼女達は、『エチケット袋』など不要である。我慢のための、第二の膀胱――そんな無理矢理で無茶苦茶な誤魔化しの救済措置などなくとも、4泊5日の行程を、完全無欠のノーションとして過ごすことができるのを証明してみせたのだ。
 いかがだろう。
 この修学旅行における“学を修むる”意味がお分かりいただけただろうか?


 そして、――実は、彼女達が旅行にゆくそのずっと前から、試練は幕をあげている。
 3年生になる生徒達は、すでに日常的にほとんど自然にノーションとして振舞うことを当たり前にしていて、たとえば丸1日、学院でたった1ヶ所の自分専用のトイレが使えなくなっているような突然のトラブルは日常となっている。
 しかし彼女達は口に出すことはない。修学旅行の前日、あるいは前々日、ひょっとするともっと前から、自分の秘密トイレでオシッコができないことを。
 そのとき、彼女たちがオシッコを済ませるためにどうしているのか――たとえば、誰かにこっそり教えてもらった別の秘密トイレを使っているのか? じっと我慢を続けているのか? あるいは、もっと他の方法でオシッコを済ませているのか?
 もうお分かりだろう。学院における最大の秘密とされる、生徒一人一人の秘密トイレの存在すら、学院生活の執行においては実は何の意味も成さないのだ。
 学院でたった一つの、自分専用の秘密トイレが使えないとき。生徒達はいったいどのようにノーションであることを貫けばよいのか。それを見つけることこそが霧沢学院の本当の教育である。
 単に他人の秘密トイレをこっそり使って、限界になるたびに場当たり的にオシッコを済ませ、尿意の解放を満足させているだけでは、決してたどりつけない領域がある。あるいはそこで学院の真意に気付けた少女こそが、偉大なるノーションの道の第一歩を踏みだせるのである。


 あなたがこの季節、どこかの観光地で行列のできている婦人用トイレの前を、談笑しながら横切る、紺色の制服の少女達を目にしたら。
 あるいは、大急ぎでトイレに駆けこんできておきながら、洗面台で手を洗い髪を整えただけで外に出てゆく、青いスカーフの少女達を目にしたら。
 それは、霧沢学院の生徒たちかもしれない。
 彼女たちの生活は想像以上に過酷である。旅行のはるか以前から、すでに限界近いオシッコ禁止を強いられ、さらにそこから生活環境も全く異なる4泊5日にもおよぶ長期間の旅行を強いられ、どうにか学院に帰りついても、さらに過酷なことにまたもや自分のトイレが封印されている――そんなことすらあるのだ。
 だが、彼女達はくじけない。
 自分達が真にオシッコをしないノーションであるならば、そんなことはまるで関係がないからだ。
 そう、もしかしたら彼女達は、本当に丸何日もオシッコを我慢しているのかもしれない。
 彼女達はそのちいさなおなかを溢れんばかりのオシッコではちきれそうに膨らませながら、そんなことをおくびにも出さずに旅行を愉しんでいるのかもしれない。いまにも漏れそうな股間を抱えながらも平然と、ずかでも緊張を緩めればたちまち決壊してしまうであろう恥骨の上のダムを閉ざす偉大なる意志の力と、常日頃鍛えられたオシッコ我慢の成果をもって。
 そうして、学院の少女たちは本当の意味での淑女の嗜み、“エチケット袋”を身につけてゆくのだ。

 
 ――霧雨澪の世界探訪
 『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』より



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 902-913 2008/11/16)
[ 2008/12/31 01:52 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)

霧沢学院・2 

 
 オシッコをしない女の子、『ノーション』たちが生徒として通う私立霧沢学院にも、春を過ぎ夏もいよいよ本番を迎える頃、恒例となっている身体測定の季節がやってくる。
 普通の学校ではもっと早い時期に行なわれるこの行事が、学院では中間試験が終わり夏休みが始まる前という妙な季節に予定されているのはきちんと訳がある。
 霧沢学院では3年間、あるいは6年間に渡って寮生活をするのが基本の生徒達だが、夏と年末年始、そして春の長期休暇では授業も部活動の多くも休みとなるため実家に帰省するケースが多い。しかし彼女達の実家は学院とは大きく異なり、ノーションとして振舞うための設備が不足している場合がほとんどである。
 生徒たちの生活環境が大きく変わるこの季節だからこそ、学院は長い休暇の間も生徒達がきちんと慎み深くおしとやかに、ノーションでいられるよう促すため、身体測定を実施するのだ。
 念のため補足しておくと、昨今ではかつて学院の生徒だった少女が母親となり、その娘や姪たちが学院に入学することもあって、個人の邸宅にも少女達がノーションでいられるような設備が用意されていることもある。しかしそれはあくまで例外としてお考え頂きたい。ノーションが少女たちの憧れであることが一般化した昨今でも、実際にノーションとなれるのは選ばれた少女たちのさらにごく一部であり、並大抵のことではないのである。
 実は筆者もまだ幼い頃、遠縁の親戚にいたノーションに憧れ、なりたいと目指して挫折した経験がある。


 さて。霧沢学院の身体測定は、およそ三日ほどのスパンで、2回に渡って行なわれる。無論、これだけの短いサイクルで少女達の身体を念入りに調べるのにはやはりそれなりの意味がある。
 実は、本来教育機関に義務付けられている類の身体測定は、学院でも新入生が学院生活に慣れ、落ちついた5月頃にすでに実施済みなのである。この時期の学院で行なわれる身体測定はそれとは別に、少女達の発育――つまり、どれほどノーションとして相応しい体つきになったかを調べるためのものだ。
 建前上――あくまで、現実と理想という意味で述べれば、霧沢学院にはオシッコなどというはしたなく恥ずかしく下品な行為をする女の子は存在しない。学院はノーションとなるべくして育てられた少女達が、真のノーションとなれるように日夜努力を続けている場所だからだ。ごく稀に大失敗、いわゆる『オモラシ』をしてしまう生徒がいるが、これは例外中の例外。
 学院の生徒は、本来女性の生命活動において必須であるはずの排泄という行為から解放された一段上の存在なのである。
 よって、学院が正式に彼女達の発育度合、要するに『どれだけオシッコを我慢できるのか』を把握することはない。生徒達はそもそもオシッコをしないしトイレにも行かないので、そんなものを調べるということ自体が矛盾しているのだ。


 しかし学院としては、少女達がどれくらいオシッコを我慢できるようになっているのかを把握するのはなによりも重要なことである。普段の生活においていかにオシッコをしないように振舞うのかは学院の生活指導の教師やクラス担任、また風紀委員や生徒会のような一部の生徒たちによっても厳しく監視され、内心という形で報告されているが、そうした精神面とは別に肉体面――実際にどれくらいの量や強さのオシッコを我慢できるのか、そうした能力を調べる必要がある。
 学院の生徒達にはそれぞれ、本人以外には絶対秘密、厳重にカムフラージュされた専用のトイレが与えられており、そこの利用状況や排泄されたオシッコなどの記録が厳密に行なわれているが、これもまたある意味では一部のデータでしかない。
 ある生徒がトイレを利用したからと言って、それが必ずしもその生徒が限界ギリギリまでオシッコを我慢していたとは言い切れないためである。むしろノーションであるためには、次にいつトイレを済ませることができるか分からないのだから、あらかじめオシッコを済ませておく、という心構えが必要になる。よって、トイレを利用したときの生徒は、ほとんどの場合まだ我慢に余裕を残しているのだ。これでは生徒たちの膀胱の許容量や尿意の我慢レベル、普段通りの生活で低鬼的に水分を摂取しながら、一体何時間トイレに行かずに済むのかなどの限界値を探ることはできない。


 ――では、どうすればよいのだろうか。例えば、どうしても我慢できずに、実は自分がノーションでないことを隠しきれず、オシッコを漏らしてしまった生徒がいれば、その時の状況を詳しく調べることで彼女のオシッコを我慢する能力を知ることができるだろう。しかし、建前上オシッコをしないように躾られているはずの生徒達を、当の学院側が無理矢理全員オモラシさせるというわけにもいかない。
 そこでこの身体測定の出番である。
 一般の学校の中にも、オシッコを我慢できる女性ほど美しい、という理念のもとにブラ(=bladder:膀胱)の計測を行なっている場所も多くあるが、霧沢学院の生徒達は決してオシッコをしないノーションので、直接オシッコの量や膀胱の膨らみ具合を計測することはできないことはお分かりだろう。実にまどろっこしいとお思いの方も多いだろうが、何事も一流を貫くにはそれほどの努力や代償が必要だという好例でもある。
 学院の身体検査では、基本的に5月の測定と同じ内容が実施されるが、この時慎重や視力データにはあまり直接的な意味はない。重要視されるのは体重測定、内部診断、そして胸囲・腹部囲・腰部囲測定などだ。


 秘密裏に――あるいは一部の生徒には暗黙の了解として、1回目の測定の前には生徒達の専用トイレの利用は大きく解禁され、同時に生徒達が日常口にする生活水に含まれる利尿剤の成分が変更、排泄の頻度を高めてできるかぎり自然に膀胱を空にしておけるように準備が行なわれる。この時の少女達の記録が、いわば乾燥重量……オシッコを一切我慢していない状態での身体データである。
 次に、2度目の測定――こちらはそれからおよそ3日の間を開き、今度は専用トイレの使用が完全に禁止され、少女達の誰もがオシッコをまったくできない、完全なるノーションとしての生活を強いられた後に行なわれる。
 さしもの学院生徒達も3日、72時間という未曾有の我慢を強いられ、平静な表情を保つことも難しい過酷な条件の中、あくまで表向きだけは普通の身体測定という名目で検査が行なわれ、今度は完全重量――オシッコを限界まで我慢し続けた少女達の身体データが計測される。
 この時の体重は前回との差分のみが記録され、少女達の3日間での体重変化が示される。つまり彼女達がおなかの中に限界まで溜めこんだオシッコの量がはっきりと表示されるのだ。


 たとえ入学直後でも、この変化が小数点以下kgという生徒は少ない。中には数キロ以上の変化を記録する生徒も居り、そうした少女達は暗黙の了解の中高く評価される。
 しかし、単純に膀胱の許容量だけがそれを示すわけではない。ノーションとして必要なのは、オシッコを我慢し続けることではなく、まるでオシッコをしないかのように振舞う能力なのだ。測定では続いて腹部囲の計測が行なわれるが、ここで生徒達の真価が問われるといっても良い。
 一般の学校では、女の子はオシッコをするものであるのでオシッコをたくさん我慢し、大きな膀胱でおなかをふっくらと膨らませるのもまた大人の女性のおおきな魅力のひとつとされているが、ノーションにとってまるで妊娠でもしたかのように大きくおなかを膨らませているのは、それだけで彼女の我慢しているオシッコのことを知らせているのと同じで、大きなマイナスである。
 学院ではその方針のもと、今度は腹部囲いの変化が小さければ小さいほど良い評価となるのだ。本来下腹部に収められている膀胱は、体重を大きく変化させるほどの大量のオシッコを詰めこんで大きく容積を増し、少女の下腹部を圧迫する。しかしそれをそのまま身体の外側へ向かって迫り出させていては、理想の女性像であるノーションの魅力という点では激しく欠けているのである。


 大量のオシッコを我慢しつつ、そんなものではまるで身体の外観に影響のない、そんな女性ほど『オシッコをしない』ノーションとしては相応しいことは当然である。中世の貴族はウェストの細い女性ほど美しいとされ、コルセットなどによる体格矯正も盛んに行なわれた。彼女たちの中には、膀胱が大きく変化(あるいは進化)をとげ、瓢箪のようにくびれた形となって腰の上、胃の下まで膨らむ構造をしていた女性も少なくなかったという。
 いわばこれと同じ事がノーションには要求されている、日常的な訓練で丁寧に鍛えられたしなやかな筋肉によって膀胱の形を外からは気付かれないように変化させ、大きく膨らんだ膀胱を自然に身体の中に収めてゆく素質が求められる。
 この素質については、次の検査である内部診断――膀胱の形状を確認する超音波探査ではっきりと診断される。大きく膨らんだ膀胱が、まだ未成熟な少女の身体を大きく占領し、他の内臓を圧迫せんまでに拡がっている光景は、感動すら誘う。余談になるが、もし機会があれば是非伝聞ではなくご自身の目でご覧になって頂きたいものだ。
 これもまた、人体においては決して荒唐無稽なことではない。たとえば常人の何杯、何十倍という食事をたいらげる能力をもつ人がメディアに紹介されている。彼等は必ずしもめぐまれた体格を持っていない、いわゆる『痩せの大食い』であることが多い。これまもまた一種の天賦の才能、素質であり、彼等が食事を終えた後、レントゲンによって確認された消化器官は、他の臓器を圧倒するサイズになっている事が知られている。人体の不思議、驚異であろう。


 身体測定。通常ならばなんということもない年間行事の一つであるが、ノーションを目指す学院の少女達には、これもまた潜り抜けていかなければならない試練である。
 また、最重要問題である生徒達の身体的オシッコ我慢能力の確認の他に、測定では他の視力測定、身長や座高、血液検査なども行なわれるが、これらにはふたつの意味がある。
 一つは、この身体測定があくまで生徒達の発育具合を測定するためであるという建前によるもの。もう一つは、我慢の限界状況に追い込まれた少女達が、それでもノーションとして振舞うために平時と同じ身体能力をどれだけ発揮できるかを確認するためでもある。
 ほんのわずかな刺激で爆発してもおかしくない限界の尿意に占領された膀胱を抱え、中腰にならず爪先を踏み鳴らすことも膝を寄せることもなくまっすぐに背筋を伸ばしたり、オモラシというあってはならない事態を回避するため一刻も早くトイレを利用したいと思いながら執拗に視力や聴力検査を行なって、普段と同じ能力を発揮することの過酷さを想像していただきたい。彼女達がいかに厳しい環境で生活しているのかお分かりになるだろうか。


 ――さて。ここまで順に述べてきたが、最後に一番重要な話をしようと思う。実はこの身体測定、学院側の真意は少女たちの持つ身体的オシッコ我慢能力を調べること――“ではない”。
 ここから先は学院の真の実情をつまびらかにするものとなる。今後学院に通うであろう少女をご存知の方は、決して口外せぬようにご留意いただきたい。 ぶっちゃけてしまうと、生徒達の我慢能力というものはこのような暫定的な行事のなかで正確に把握する事は難しい。日々、時々刻々と変化し成長する少女達の身体機能は多いに流動的であり、たった年に数度の検査で調査を終えることが不可能に近いのは、賢明な読者の方ならばとうにお察しのことであろう。
 霧沢学院がその様な曖昧な方針を野放しにする愚を犯していることに憤っておられる方もいらっしゃるかと思う。しかし、ご安心頂きたい。実は、これらの少女達の身体機能は、生徒達が学院で過ごす限り、1年365日24時間のリアルタイム、完全体制で管理されており、毎秒ごとに全生徒およそ1000人あまりのパーソナルデータとして記録・更新されている。
 学院は常に生徒達のデータを完全に把握し、管理しているのである。


 このコラムをお読みの方は、ノーション、つまり『オシッコをしない女性』というおよそ概念的な存在を維持するためには、多分に情報の操作が必須であろうことは想像に難くないこととご理解いただけているだろうかと思う。
 なにしろ生物学、生理学的にオシッコをしない女の子などこの世には存在しない。排泄というものは生命活動に欠かせない必須の事項である。しかし、学院にいる生徒は皆、その夢幻であるノーションという理想の存在を心の底から目指し、そうあろうと日夜血の滲むような努力を積み重ねているのだ。
 そう、この身体検査の裏の目的が身体的オシッコ我慢能力の検査という名目で生徒たちに知られていることを学院が放置しているのもこうした情報統制の一環である。生徒たちに表向きのほかに裏向きの理由も与えることで、彼女達に自分がノーションである、ノーションたらんとしているのだという自覚を促し、いついかなる時もオシッコをしないという理想を貫かせるための修身鍛錬のひとつなのである。
 こうして学院の少女達は、言葉は悪いが敢えて言うならば他人を欺き社会を欺き、自分すらも欺くことで実現不可欠な存在、ノーションを生み出してゆくのである。

 
 ――霧雨澪の世界探訪
 『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』より



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 439-448 2007/08/09)

 
[ 2007/10/12 11:34 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)

近未来のノーションエイジ 

 
「はい、それでは、今日の授業をはじめます。
 前回は二十世紀末から二十一世紀初頭の経済社会の混乱とについてお話しましたね。今日はそれに続いて、当時の社会倫理の乱れについての授業です。
 その当時、まだ今のように科学や技術が発達しておらず、栄養の摂取にも自然に育てられた肉や野菜といった非効率な方法で生産された食材を使われていました。現在のようにクローン技術や遺伝子操作を推し進めたバイオプラントでの栽培法が危険性を孕んでいると判断され、敬遠されていた時代でした。これは前回の授業でもちょっと話したことですね。
 その結果、当時の人々が食べていた食物には多くの不要な成分が含まれ、体内で消化吸収しきれなかった不要物は排泄、という形で処分されていたのです。……ほらそこ、恥ずかしがらないの。これも大事なお勉強ですよ。ちゃんと前を向いて授業を受けななくちゃダメですよ」


「……こほん。もちろん、今の時代にはとても考えられないことですが、当時は男の人だけではなく女の子のためにもトイレというものが作られていました。女の子もオシッコをして当然、と考えられていた時代だったのです。
 ですが、女の子がオシッコをするなんてとんでもないことですね。……当時もそれに気付いていた先進的な女の子たちは、それぞれできるだけオシッコをしないように、トイレに行かないようにと懸命に努力をしていました。
 重ねて繰り返しますが、その時代は食べ物が違いますし、飲み物も今とは違います。女の子もオシッコをしても普通のことだと思われていましたから、そうやってトイレに行かない女の子は周りからとても不思議な目で見られたそうです。馬鹿げた、という意味の『ノーション』なんて呼ばれていた時代もあるくらいですから、当時の常識からしてみればよっぽど変なことだったのでしょう。――はい、なんですかチエリさん」


「……そうですね。もし、本当にオシッコをしたくなってしまうのが当たり前の社会だったとしても、女の子ならそんなことは決して口に出さないのが最低限のマナーです。けれど当時は残念なことに、そんな常識もまだ完全に確立してはいませんでした。
 いくらかの女の子はそれに気付いて、オシッコを我慢することを死ぬよりも恥ずかしいことだと知っていましたが、多くの女の子にはまだそんなマナーは浸透してはいませんでした。オシッコがしたいなんてことを口にしたり、時には人前でオシッコがしたいのを我慢することができなくなって、ぎゅっとオシッコの出るところを押さえるような、今では考えられもしないとっても恥ずかしい格好を、あろう事かみんなに見られてしまうこともあったそうです」


「はいはい、静かに。お喋りは休み時間にとっておいてくださいね。
 いつも言っていますけど、今の常識で昔の事を考えてはいけませんよ。その頃はまだ、『女の子がオシッコをしない』というごくごく当たり前の常識がなかった時代なのです。女の子がオシッコをしたり、トイレに行きたいのを我慢するなんてことが当たり前であるという考え方は今ではとても考えられないことですが、そんな迷信こそが普通に信じられていた時代があったという事を覚えておかなくてはいけません。
 これは、女の子たちが長い間受けてきた偏見に私たちのお母さんやお姉さんが力強く立ち向かい、打ち破って来たことの証でもあるのです。特にこの学院に通って、昔のことをお勉強している皆さんは、そのことを忘れずにいなければいけません。いいですか?」


「皆さんの中にも、お祖母様やひいお祖母様から、戦争の前の、昔のお話を聞いた人はいますね? 二十世紀から比べれば皆さんのお祖母様たちが女の子だった時代もずっと進歩していますが、それでも今のように女の子がみんなトイレに行かないというのがどこでもいつでも当たり前の世の中ではありませんでした。
 大戦が終わって30年も経った頃には、先進国ではほとんどの国が女の子のトイレを撤廃して、女の子がトイレに行かないことが常識になっていましたが、ごく一部の人たちがこっそりトイレを作って使用していたという記録もあります。その頃はまだ、女の子がトイレに行くことがあるなんて迷信が根強く残っていた時代なのです。皆さんのお祖母様たちは、そんな偏見とずっとずっと戦い続けて、今の素晴らしい社会を作り上げてきたわけです。
 皆さんはそのことをきちんと考えたことはありますか? ……もしそうでない子がいるなら、これを機会に昔のことを調べてみるのもいいかもしれませんね」


「さて。話を元に戻します。そうした皆さんのお祖母様たちの活躍は、長い年月をかけて実を結び、とうとう国連協定に基づいて、WTD……全世界女子トイレ撤廃条約が締結されました。これは皆さんも知っているの十月十日、今から30年前の事です。その中心となったのがこの霧沢学院の生徒会でした。世界に先駆けていち早く女の子にトイレは不要という宣言を打ち立て、多くの女の子たちの賛同を集めたことは皆さんもよく知っていますね。
 ……こら、誰ですか、知らないなんてことを言うのは。自分の通っている学院の事ですよ。これくらいはきちんとお勉強しなければダメです。いいですか?
 最後のトイレが取り壊され、世界の全ての国から女の子のトイレが撤去されたこの日は、今も全世界で女の子の祝日となっていますね。ただのお休みだと思って過ごしていた人は、今年はきちんとこの事に感謝して1日を過ごすようにしなければいけませんよ?」


「それ以来この国でも法整備が進み、いまでは女の子がトイレに行くなんてことを噂するだけで厳しく罰せられる厳密な社会の仕組みが完成しました。この陰にも学院の卒業生達の地道な活動がありました。先生はむしろ、生徒会の人たちの表に立っての目立つ活動よりも、こうして一歩ずつ周囲の偏見を解いていった事に対する功績が大きいと考えています。なにしろ二十世紀も信じられていた幽霊の存在は、今もこうして信じられていますから。非科学的だと断定することはできても、皆さんの中にも心のどこかで信じている人は多いでしょう。つまり、迷信をなくすということはとてもとても大変なことなのです。そこに対す評価はもっと高くてもいいのではないかと思います。
 ……さて。少し話が脱線しましたが、こうしてとうとう『女の子がオシッコをする』という非科学的で無茶苦茶な迷信は打ち砕かれ、今のような素敵で平和な社会ができあがったのです。それではテキストの49ページを開いてください――」


「これが当時の保険体育と理科の教科書に載っていた図です。ちょうど皆さんくらいの年齢の女の子と男の子の身体の断面図が載っていますが、このとおりどちらにも腎臓と膀胱――要するに、オシッコを作る臓器と、オシッコを溜めておくための臓器が書かれています。驚くべきことに、すでに月にまで人類が到達していた当時でも、女の子も男の人と変わらずオシッコをするのだと信じられていたのです。
 今ではとても信じられないことではありますが、これよりもずっと昔、地球は動かずに太陽のほうが地球を回っているのだと信じられていたり、ビタミンの不足で起こる脚気が伝染病だと思われていた時代もあったことを考えれば決して不思議なことではありません。当時の女の子たちも、またはっきりと自分の身体の事を意識せずにいたり、オシッコについて強く反論するのは恥ずかしいという意識から、この迷信を受け入れてしまっていたのです」


「ええ。そうですね。トイレやオシッコの話は確かに恥ずかしいですけれど、女の子がオシッコをするなんて誤解されているほうがその何千倍何万倍も恥ずかしいことです。ではなぜ、当時の女の子たちはそれに反論しなかったのでしょうか? ……ユミさん。少し落ち着いて先生の話を聞いてください? ユミさんは知っていても、他の子が知らないことがあるかもしれません。きちんと知っていることでももう一度、覚えていることに間違いがないか確認することも授業のひとつですよ。
 はい、では次のページには、はじめてお母さんになる女の子のために、トイレのしつけについて説明してあるパンフレットが載っています。ここでも、男の子だけでなく女の子のためにもトイレのさせかたを教えるように書かれています。女の子の赤ちゃんにオムツを履かせたり、トイレでぱんつを汚さないようにする方法も書かれています。これも、当時は本当に女の子もトイレに行くと信じられていたという証拠です」


「今でこそ、女の子はもちろん男の子だって幼稚園にもなれば女の子がオシッコを我慢したり、トイレに行くなんてことを信じている子は誰もいません。
 ですが最近の研究では、こうして生まれた時から女の子はトイレに行くものだということを教えられ続けていたために、いつしか女の子はオシッコをするものだという常識ができてしまっていたと考えられています。これは一学期の授業で勉強したいわゆる“刷り込み”という現象ですね。ですからこの時代、ただしくきちんとオシッコをしなかった――当時の人の考え方で言えば、オシッコをしようとしなかった女の子たちは、とても不自然なことをしているという偏見にいつも晒されていたのです。
 ……どれだけ大変で恥ずかしくて、苦しいことか、皆さんは想像できますか? 女の子がトイレに行くわけがないのに、オシッコをしないのか、トイレに行かないのかと、死ぬよりも辛い恥ずかしいことを毎日言い続けられる生活ですよ」


「次のページは、その頃に作られていた女の子のトイレです。こんなマークが女の子のトイレを表すマークとして使われていました。右の、男の人のトイレのマークは今でも使われていますね。
 女の子のトイレの中には、このように個室と呼ばれる小さな部屋があって、女の子が誰にも見られないようにオシッコをできるという事にされていました。この国では女の子のオシッコのしかたには二通りあるとされていて、ひとつはこういう洋式と呼ばれる穴の空いた椅子に座って、その下にオシッコをするという方法。もうひとつは、……ちょっと先生も説明するのが恥ずかしいですけど、和式とよばれるこんな場所をまたいで下着を下ろしてしゃがみこんで、オシッコをするという方法です。これが女の子が気持ちよくオシッコができる方法だと信じられていたのです。
 ……はい静かに、静かに。授業中ですよ。皆さん静かに。……ええと、ではミハルさん。この二つからわかる事はなんでしょうか?」


「……そうですね。ここで知っておいて欲しいのは、当時も女の子が人前でオシッコをするという事は恥ずかしいと考えられていたことです。こんな格好をしなければいけないことになっているのですから実に当然ですけれど。ちなみにこの頃も今と同じで、男の人がオシッコをする時に使うトイレには、こんな個室はありません。
 そして、このように個室の壁には音消しといって、オシッコをする時の音が聞こえないようにする工夫がしてあって、女の子がトイレに入ってもいつオシッコをしたのかわからないようにするという習慣があったことも知られています。……まあ、きちんと考えれば、女の子がオシッコをしている間ずっと音が鳴っているわけですから、逆にいつオシッコをしているのか知らせているようなものなんですけれど、これはどうしようもないことですね。なにしろ女の子は本当はオシッコをしないのに、男の人と同じようにオシッコをすると考えられていたのですから、少しくらい考え方に矛盾があるのはしかたのないことです」


「こうした様々な誤解をひとつひとつ解消しながら、『女の子がオシッコをしない』ということはゆっくりと社会に示されてきました。有名な実験で、女の子が10人で10日間の間グループを作って共同生活し、一度もトイレを使わないことを証明したノーションの公開実験というものがあります。いまでは実に当たり前の事を当たり前にしただけなのですが、当時はこんな実験を行なうと発表があっただけでもものすごい反論があったことが記録に残っています。その意味で、この実験に参加した女の子たちは実に『ノーション』であったとされて、実験はこの名前で呼ばれているのです。
 後の時代になって、この実験に参加した女の子たちの名誉のためにもこんな不名誉な名前を変えようという運動が起きたのですが、昔の時代を忘れないためにもこの名前を残して欲しい、という参加者の女の子たち自らの意見で、実験の名前は変わらないまま今日に至ります」


「――さて、そろそろ時間ですね。少し早いですが今日はここまでにしましょう。日直さん、号令を」
「きりーつ、れーい!」
「「「「「ありがとうございましたー!!」」」」」

 席を立って先生に一斉に頭を下げる少女達の下腹部は、どれもみな驚くほどにまあるく膨らんでいる。終業ベルよりも少し早く始まった休み時間、お喋りに興じながら、次の体育の時間に備えて着替えをはじめる初々しい少女達。制服の下から覗く白い健康的なおなかは、痛々しいほどに大きく、はちきれそうになっている。まるで中に溜まった恥ずかしい液体にたぷたぷと震えているようだ。
 そう、今はそういう時代。女の子がオシッコなんてしない時代。はるか昔、ノーションと、そう呼ばれていた女の子たちが当たり前のように生活する時代。
 けれど、今も昔も女の子がオシッコをしたくなるという事実は絶対普遍、決して変わらない自然の摂理だ。たとえ食べ物飲み物が少し変わったくらいで、何万年と進化してきた女の子の身体は変わるわけがない。

「じゃあ、行こうか」
「今日ってマラソンだっけ? やだなぁ……」
「そうだね……揺れて辛いもんね」

 我慢している素振りなどなにひとつ見せることなく、少女たちは膨大な量のオシッコをおなかに溜めこんだまま、ごくごく自然に学院生活を送る。もはや、ほとんど使われることすらなくなった無数の秘密のトイレと共に。
 けれど、平気なわけがない。少女たちはその笑顔の下で、ただひたすら、声にならない悲痛な叫びをあげ続けているのだ。

『先生、トイレに行きたいです』――と。

 たった一言、その言葉を口に出せないまま。
 女の子が、オシッコをしないのが当たり前の時代は、こうしてずっと続い
ている。


 ――『ノーション・エイジ~馬鹿げた時代、あるいはオシッコをしない女の子の時代~』



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 239-254 2007/04/20)

 
[ 2007/10/12 11:31 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)

霧沢学院・1 

 
 永久我慢スレにおいて提案された、オシッコをしない女の子の偶像=ノーションというネタに触発されて書いた話。






 都心から電車で1時間とすこし。郊外と呼ぶにはやや森深い園に佇む私立霧沢学院。
 ここに通うのは10代の、公立で言うならば中学と高校にあたる女の子たちだ。彼女達を尋ね、学院に足を踏み入れる事があるならば聞いてみるといい。
 ――トイレはどこですか、と。
 返ってくる言葉は決まっている。誰に聞いても、みんなきょとんとしてこう言うだろう。
「……何言ってるの? 女の子はお手洗いなんかいかないんだよ」
 と。
 そう、学院を少し歩きまわってみれば、あちこちに設けられている「洗面所」や「お手洗い」が普通とはまるで違っている事に気付くだろう。一般に“トイレ”を――オシッコをするための場所として示すその単語は、ここでは文字通り顔や手を洗って身支度を整える場所でしかない。
 この学院には本当に、女子トイレは設けられていない。
 霧沢学院は、ノーション達が暮らしている学院なのだ。


 もちろん、ノーションなんて幻想である。
 サンタクロースがいないように(少なくとも、世界中の子供達に一晩でプレゼントを配ってくれるたったひとりのサンタクロースがいないように)、オシッコをしない女の子なんていない。
 が、霧沢学院はまるでノーションでなければ暮らしていけないような構造をしているのだ。
 学校には職員用以外にトイレはないし、そこも職員用のカードキーがないと開かないようになっている。
 寮の部屋にも、部室にも、およそ学院の中の全ての設備にトイレはない。
 個室に付いているバスルームもただのお風呂と洗面所。トイレという生活に必須のはずの設備は、まるである事自体が不自然であるかのようになくなっているのだ。
 学院には中等部に一学年4クラス、高等部に一学年3クラスで、およそ600人ほどが生活している。
 通学は許可されておらず、全員が寮生活だ。厳格な十字聖教の教えと厳しい規律の中で礼儀作法や学問を身に付け、ノーションとなるべく生活している。


 しかし、前にも述べたようにノーションなんてものは存在しない。
 では、ここで生活する600人もの少女たちは一体どこでどうやってオシッコをしているのか。
 実はそれは、誰にもわからない。学院に入学した少女達は、合格通知と一緒に新入生説明会でこっそりと、学院の様々な場所に巧妙に隠された自分用のトイレの場所を教えられる。一人の生徒が学院で生活する6年の間、使うことを許されるトイレはただこの1ヶ所だけである。
 この広い広い学院で、たった1ヶ所、オシッコをする事を許される秘密の場所。しかしそのことを口外するのは校則で固く禁じられている。たとえ先輩後輩、親友や同級生、ルームメイトにさえも秘密にしなければいけない。もちろんオシッコを済ませているところを見られるのなんてもってのほかで、トイレに入るところや出てくるところも誰にも見られてはいけない。
 もし気づかれてしまったら、厳しい罰則が待っている。そして、3回以上トイレを使うところを――
 オシッコをする事を知られてしまったら、たとえどんな理由があろうと退学になってしまう。


 ここまで厳しい規律が設けられているのには、もちろん理由がある。
 ノーションを目指す女の子が社会に出て本物のノーションとして振舞うには、誰にも……それこそ恋人や家族にも気付かれずにオシッコを我慢し、こっそりとオシッコを済ませる為の技術を身につけなければならないからだ。たとえ女の子同士であったとしてもそれを明かしてしまうような女の子は真のノーションには相応しくない。
 このあまりに徹底した秘密主義のため、毎年学院の新入生の半分くらいは、自分だけがはしたなくオシッコを我慢していて、他の子達は本当にオシッコなんてしないノーションなんじゃないかと誤解してしまうこともあるほどだ。


 霧沢学院には、上級生が入学の決まった新入生候補を招いて行なう伝統的な“洗礼”がある。
 これは、新入生が本当に過酷な学院生活に新入生が付いていけるかどうかを選別するためのもので、決して恨みや陰湿なイジメによるものではない。このような試練を耐えられない女の子は、この学院で暮らしてゆく事などとてもできないからだ。
 入学を控えた三月半ば、上級生達は新入生候補を学院に招いて、学院の案内をする。
 もちろんノーションになるためにここに通う女の子たちだ。いまさら学院のどこにもトイレがない事に驚いたりはしない。たとえ何時間立ちっぱなしでトイレに行きたくてもちゃんとガマンする、しつけの行き届いた女の子たちばかりだ。
 そして学院の案内が終わると、上級生たちは新入生を歓迎会、と称してお茶会に招く。
 このときお茶会で振舞われるのは、特性の利尿成分入りのお茶だ。学院では喉を潤す飲み物というとまずこのお茶しかない。普通の女の子ならひとくち飲めば1時間はトイレに往復しなければいけないくらいの強力なものだ。


 甘いお菓子をたくさん出されて、新入生達は喉の渇きを理由にお茶をたくさん飲んでしまう。
 気付いた頃にはもう遅い。新入生達はすさまじい尿意に襲われる事になる。
 もちろんこのとき、同じお茶を上級生達も同じだけきちんと口にする。それまでノーションを目指して訓練し、入学試験を通って学院に通うようになった新入生だ、普通の子に比べればずっとたくさんのオシッコを我慢できるし、激しい尿意にだって耐えられる。しかし学院で過ごす上級生たちはそんなものよりもずっと過酷な特訓を日常的に受けて暮らしているのだ。
 ほどなく新入生の子は過去感じた事もないほどの猛烈な尿意に襲われ、俯いて脚を震わせ、」まともな受け答えもできなくなってしまう。 もうどうしようもないという我慢の限界まで追いこまれ、けれど優雅なお茶会はまるで休憩など挟まず続き、上級生達は(場合によってはほかの新入生も)楽しそうに話し続けている。新入生はここではじめて、自分とノーションとの違いを思い知るのだ。


 そうして、なおもしばらく新入生が限界寸前のオシッコを我慢し続けているのを見計らって、上級生の一人が突然不自然にそわそわしはじめる。この役目は新入生に学院を案内して一番打ち解けた上級生が務める事が多い。新入生は一番優しそうな“先輩”が急に不安になりだしたことに気付いて、その様子を観察し始める。
 新入生がはっきりこの先輩役に注目したところで、上級生はさらにはっきりと『ガマン中』の様子を見せつけ、実にさりげなく、けれど不自然ないいわけで席を立つ。
 そして、もうどうしようもなくなっている新入生がこれ幸いとそれに続いて席を立ち、あとを追ってくるのを確かめながら、上級生は廊下の突き当たりやカーテンの隙間、清掃用具入れの陰など、いかにも『それっぽい』場所に走りこんででゆく。
 そして数分すると、さもすっきりした笑顔で、安堵の息をこぼして姿を現し、鼻歌を歌って見せたりしながらお茶会に戻ってゆくのだ。


 実はこのとき、上級生はオシッコ我慢の限界でもなんでもないし、駆け込んだ場所もトイレなんかではない。なにもかも、全てが演技、お芝居だ。
 しかし余裕のない新入生はここで厳しい選択を迫られる。学院から割り当てられた自分のトイレはまだ使えず、“お手洗い”にはオシッコのできる場所はなく、仮に使えたとしてもとてもそこまで戻れない。そして目の前には上級生が使っていらしき別のトイレがある――そういうことになるのだ。
 しかし、もちろん新入生が廊下の突き当たりや清掃用具入れをいくら探してもトイレはみつからない。当たり前だ。そんなものは元々ないのだから。
 この時、ノーションの素質のある聡い新入生は自分が騙されてしまった事を悟り、上級生達が自分とはかけ離れた存在である事を思い知る。
 そうなった新入生は、この“洗礼”をパスしたも同然だ。気付かれないように自分のトイレまで向かって、学院生活で最初のオシッコを済ませるか、いけないこととされている他の女の子のトイレを探して使おうとした罰として、さらに頑張ってお茶会に戻り、最後までガマンを通すかもしれない。


 しかし――我慢の限界の尿意を持て余し、すっかり『オシッコができる』と思いこんだ状況からさらに期待を裏切られたショックに耐えきれず、とうとうスカートの前をぎゅっと掴み、オシッコで制服と下着をびしゃびしゃに濡らしてしまう生徒もいる。
 この“洗礼”でのオモラシは、入学前という事もあり慣例的に誰も見て見ぬ振りを通し、規律違反には数えられないが――この経験で学院の真実を思い知ったまま、入学を辞退する生徒も多い。
 そうなった女の子は、ノーションへの憧れを思いきって振りきり、トイレに行ってオシッコをする普通の女の子としての人生を歩む事も多い。
 ノーションとしての生活は過酷だ。ノーションは多くの女性と、そしてほぼ全ての男性の夢、幻想を背負って立っている。苦難を乗り越え実際にノーションとして暮らす女の子たちは、ほぼその全てがノーションを目指す女の子たちに自分のような辛い思いをさせたくないと思っているという。
 学院の創設者、霧沢雫女史は語っている。
 この学院は、全ての女の子の夢を、そして女の子自身を守るためにあるのだと。


 ――霧雨澪の世界探訪
 『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 188-195 2007/03/19)

 
[ 2007/10/12 11:28 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)