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なかなかできない料理店 


 雲よりも高い山の上、険しい山道。
 ひんやりと霧の深くたちこめた岩だらけの道を、ふたり連れの女の子が歩いていました。ふんわりとしたつややかな髪に、曇りのない目をした、整った顔立ちの女の子たちでした。透けるように白い肌や柔らかそうな手のひら、ふっくらとした頬は、毎日のパンを得るために汗水を流して精一杯畑を耕し、声を嗄らして客を呼び込む労働とは無縁のものでした。
 どちらもかかとの広いブーツを履き、帽子を深くかぶって外套の襟を立て、背中にはぴかぴかの猟銃を背負っています。身につけているものはどれも上等で立派な、新品の下ろしたてのものばかりです。
「ふう……はぁ。疲れた。……どうですの? どこかに休めるところはありまして?」
「いいえ。……まったく理不尽ですわ。わたくしたちがどうしてこんな思いをしなければなりませんの?」
「本当にそうですわ!! ……ああもう、なんにも見えませんわ、この役立たず!!」
 お嬢様の片方が、うんざしりながら首にさげていた双眼鏡を投げ捨てます。ぴかぴかのレンズは、お嬢様のわがままを聞きいれて、今日のために侍従がとりよせた新品なのですが、フォークとナイフよりも重いものを持ったことのないお嬢様には、首にかかった重りのようなものでした。
「……まったく、ふざけた山ですわね。こんな何もないところ、なにが楽しくて歩かねばならないんですの?」
「本当ですわ。あの子達も主人を置きざりにしたまま帰って来ませんし、お屋敷に戻ったらたっぷりと折檻してやらなければ」
 このふたりは、この国でもたいへんお金持ちな会社のご令嬢でした。今日は朝はやくから、狩りにいくために、両手一杯に荷物を抱えさせた侍従を連れて、この山奥深くの険しい峰にやってきたのです。
 けれど、あんまり険しい山なので、いつしか侍従たちは疲れ果ててぶっ倒れてしまい、闇雲にずんずん先を進むお嬢様達とすっかりはぐれてしまったのです。
 ですがお嬢様たちは、それにも構わずめくらめっぽうに山道を進み、とうとう本当に迷子になってしまっていたのでした。 
「ねえ、少し休みませんこと? もう足が痛くて、歩けませんわ」
「そうですわね。そうしましょう」
 お嬢様たちはめいめいに近くの岩にハンケチを広げると腰を下ろして、棒のようになってしまった足を伸ばしました。ふたりは根っからのお嬢様で、生まれてからこのかた苦労というものをまったくしたことがありません。
 普段はどこに行くにも馬車と鉄道を使うばかりで、隣のお屋敷まで歩くこともないような箱入り娘なのです。普通のひとならなんでもないような、ほんのひと坂を登るだけでも大変な苦労なのでした。
「……それにしても、山道がこんなにたいへんだなんて思いませんでしたわ」
「本当ですわね。こんなに苦しいなら、人を雇って岩を削って、平らにならしてしまえばいいですのに」
「あら、それはいい考えですわね。そうすれば下々のかたがたも歩くのが楽ですわ」
 などと、ふたりは生まれながらのお嬢様なので、実にわがままなことを勝手に口にします。
 ひとしきり文句を言いながら、額の汗をハンケチで拭うと、お嬢様達は腰に下げていた水筒を取り出しました。
「ふぅ、まったく喉が渇いてしょうがないですわね。……お飲みになります?」
「ええ、ありがたく頂戴しますわ」
「……はいどうぞ、召し上がれ。テーブルもありませんけれど、はしたないのは我慢いたしましょう?」
「そうですわね……せっかく美味しいサンドイッチもスープも、お茶の用意も椅子もテーブルも背負わせていたのに、あの子達がどこかに行ってしまうんですもの」
 言いながら、お嬢様達はつぎつぎとお茶をお代わりしてゆきます。
 なにしろお昼もとうに過ぎているのに、朝からなにも食べていないのです。お嬢様たちはすっかり喉が渇いていました。たちまちのうちに、一抱えもあるような水筒がまるっきり空っぽになってしまいます。
「ああ……重かった。こんなものを持つのは召使いの仕事ですのに、どうしてわたくしがこんな重い思いをしなければなりませんの?」
「あら。でもこれですっかり中身も空にしてしまったのですから、邪魔にかさばるばかりですし捨ててしまいましょうよ」
「そうですわね。それがいいわ」
 もしも万が一の為にと文句を言うお嬢様を説き伏せて水筒を持たせた召使い達の心配りも、お嬢様たちにはまるで通じていませんでした。
 からっぽの大きな水筒を草むらにポイと投げ捨て、お嬢様達はお喋りを続けます。
「いったいどこなのでしょうね、ここは? こんなに迷いやすいのならば標識でも立てておかねばならないと思いませんこと?」
「そうですわね。きっと村の役人が怠けてばかりなのですわ」
「ぜんたい、今日は悪いことばかりですわ。こんな空模様ですし、せっかく買ったばかりの猟犬もパアですもの、六百円も無駄にしてしまいましたわ」
「ええ、わたくしは八百円の損害ですわ」
 お嬢様たちが口々に愚痴を続けます。普段なら、こうしているとすぐに召使い達が駆けつけて、わがままを聞いてくれるのですが、こんな山の中ではそんなわけにもいきません。
 しばらくお喋りを続けていたふたりでしたが、とうとう話すことがなくなって、うっかり本当のことを喋ってしまいます。
「……もう、いい加減はやく帰りたいですわ」
「本当ですわね……」
 実は、ふたりとも心の中では寂しくって心細くてたまらないのです。山は険しく、霧はどんどんと濃くなるばかり。
 どれだけ道を急いでも、行けども行けども変わらぬ景色が続き、ごうごうと吹き荒れる冷たい風の中で、そわそわと回りを見回しながら、いつしか二人の手のひらはしっかりと繋ぎ合わされていました。
 加えて、ふたりの落ちつきがないのは、たんに心細いばかりが理由ではありませんでした。
「……ふぅ」
「……はぁ」
 ふんわりと拡がった山歩き用のドレスの裾の中で、登山ブーツの爪先が所在なげに揺れ、膝が寄せ合わされます。どこか気もそぞろに宙をみつめ、お嬢様達はきょろきょろとなにかを探しているのでした。
 時折、岩の上でもぞもぞと小さくお尻を動かし、
「……どうにも座り心地がよくありませんわね」
 などと言い訳をします。
 そろそろお日樣は傾きかけ、木々の影はゆっくり地面を伸び始めています。お嬢様たちは朝早くに宿を経ってから、一度、山沿いの茶屋を通り過ぎたばかりで、ずっと歩き詰めでした。
「…………」
「…………」
 そんなわけですから、お嬢様たちは今日、朝から一度もお手洗いに行っていません。たっぷり8時間近く、一度もオシッコができていないのです。無論のことながら、山奥の険しい山道に都合良くお手洗いがあるわけではありませんでした。
 だから、いい加減お嬢様達は、お手洗いに行きたくて仕方がないのでした。
 そわそわと回りを見回し、さりげなく膝を寄せ合ってはきゅっと俯き、形の良い眉を寄せます。
 お腹がすいてすっかりそのことも忘れ、ごくごくと飲み干してしまった水筒の中身が、じわじわとお嬢様たちを苦しめているのでした。
「ね、ねえ、どうかなさいまして?」
「べ、別に、なんでもないですわ。貴方こそどうかなさったの?」
「い、いえ? なんてことありませんわよ」
 お嬢様たちは、人前でお手洗いにを我慢したり、オシッコに行きたいなどと口にすることは、とてもはしたないことなのだと思い込んでいました。
 おまけに意地っ張りで見栄っ張りなふたりは、自分がおしとやかで控えめな淑女だと思っていましたので、相手の前でそんなことを言うのがみっともなくて、お互いに相手がそのことを言い出すまで黙っていようと思っていたのでした。
 そんな風にお互いが考えているものですから、結局どちらも言い出すことができず、ふたりともさっきからお手洗いに行きたくて行きたくてたまらないのに、ずっとそれを我慢して、しらんぷりをしているのでした。
「そ、そろそろ参りましょうか?」
「え、ええ」
 だんだん、冷たい岩に座ったまま風に晒されているのも辛くなってきたので、お嬢様達は再び腰を上げる事にしました。
「はやく皆を探して、帰りましょう」
「ええ、……もう狩りはこりごりですわ。山鳥なんか、そのへんで買えますもの。こんな重いもの、べつに要りませんわね」
 そうと決まれば、とふたりはとうとう猟銃も放り捨て、歩き出します。
 さっきよりも幾分重い足取りは、さっきよりも下腹部が張ってきつくなり、だんだん歩くのも辛くなってきているからでした。
「…………」
「…………」
 俯き加減で、そわそわと急ぎ足で進むお嬢様達。霧の中で見えないだろうと、さりげなくスカートの前をさすったり抑えたりしています。もうそうしていないとうまく山道を歩けないほど、お手洗いにいきたくってしょうがないのです。
「こっち、ですかしら?」
「あっちじゃありませんこと?」
 だんだん切羽詰まりながら、お嬢様達は相談を繰り返し山道を急ぎます。けれど地図も磁石もなく、霧の深い山の中では、いったいどちらが山を下るほうなのかまるでわかりません。
 それでもとにかくずんずん岩だらけの道を行くうち、急に霧の向こうに大きな建物が現れました。
「あら……?」
「あれは……?」
 ふたりが近寄ると、それは白いペンキを塗った大きな家でした。
 入り口には看板があり、こう書かれています。


>『西洋料理店 山猫亭』


「ぁあ……良かった。丁度良いお店がありますわよ」
「本当ですわね。思ったよりは開けているのですわ、こんな山の中なのに」
 お嬢様たちは顔を見合わせて喜びました。
「これで一息つけますわね」
「ええ、もう、さっきから……おなかがすいて動けなくなりそうでしたの」
「そうですわ。もう本当に……なにか食べないとすっかりへばってしまいそう」
 お嬢様達はめいめいに、本当に口にしたい『お手洗いがしたかったんですの』という言葉を飲みこんで、心にもない事を言いあいます。
 ふたりとも実はもうそろそろ、本当に我慢ができなくなってしまいそうだったのですが、そんなことはおくびにも出しません。でも、これでやっとお手洗いが借りられます。そう思えば、こんな山の中にあるレストランでも、ふたりにはまるで天の助けのように思えたのでした。
 ふたりが揃ってレストランの玄関をくぐると、すぐにドアがあり、側には小さなコルクのメッセージボードに小さな紙が止められていました。


>『こんな山奥までようこそいらっしゃいました。たいへんお疲れになったでしょう。さぁさぁどうぞおあがり下さい。店主一同、準備を凝らしてお待ちしております』


「なかなか感じのいいお店ですわね」
「ええ、きちんと行儀の行き届いているお店のようですわ」
 文字はまだ続いています。


>『ここは、なかなかできない料理店です。たいへん申し訳ありませんが、どうかいちいちこらえてください』


「なかなかできないというのはどういったことかしら?」
「多分、繁盛しているのですわよ。それでなかなかお料理が出てこないかもしれないけれど、申し訳ありませんと、その様に書いてあるのではありませんこと?」
「ああ、なかなかお食事ができないですけれど、こらえてくださいと言うことですのね。なかなか謙虚じゃありませんの」
「まったくですわね。なにも言われずにあとでえんえん待たされるよりはだいぶん感じがいいですわ」
 首をかしげながら、お嬢様達はさらに先を読みました。


>『いろいろご不自由もおかけしますが、どうかご容赦をおねがいいたします。


「……こんな山の中ですものね、いろいろ大変なのでしょう」
「材料や水を運ばせるだけでも一苦労なのでしょうね。お高いのかしら?」
「仕方ありませんわ。はやく上がりましょう」
「ええ、暖かいものでももらわないと、すっかり冷えてしまいますわ」
 実際は、もうふたりともそんな事はもうどうでも良くなっていました。お嬢様たちはおなかの中に閉じ込められたオシッコのことで頭が一杯で、はやくお手洗いに行きたくってたまらなかったのです。
 すっかり腰が引けたまま、ふたりはもじもじと身体をくねらせて我慢を続けています。滑稽なことこの上ない格好ですが、お嬢様達はそれぞれおしっこを我慢するのに精一杯で、まるで自分達の姿を気にする余裕がありません。


>『本店は、若い女性の方を歓迎いたします。ことに、身分の高くお若く美しい淑女の方々は大歓迎です』


「あら、大歓迎ですってよ?」
「これは具合がいいですわね、わたくしも貴方も、どこの社交界に出たって恥ずかしくない、立派な淑女ですもの」
 めいめいに勝手なことをいうお嬢様達ですが、オシッコをこらえようと脚をすり合わせ、ドレスの前を押さえる姿はとても淑女にはあるまじきはしたない格好です。きちんとお手洗いも我慢できないようでは、とても淑女とは言えないでしょう。
 けれどふたりは自分がとても綺麗でうつくしいと思いこんでいるので、互いにもじもじくねくねと腰を揺すり脚をモジつかせるみっともない格好を見せ合いながらも、自分だけはそんなことはないと思っているのでした。


>『それでは、姿勢を正しきちんとした作法で、お進み下さい』


 最後の一文を見て、ふたりのお嬢様ははっと我に帰り、慌てて前かがみになっていた姿勢を正しました。
 互いに相手が恥ずかしい格好をしていた事は知っているものですから、気まずくなってちらちらとそっぽを向いてしまいます。
「……え、ええと、わたくし、こちらが山の中のお店だと思って見くびっていたようですわ、確かに貴族の子女たるもの、お行儀良くなければいけませんものね」
「そ、そうですわね。きっと、奥には偉くて立派な方達がたくさんいらっしゃるのですわ」
 お嬢様たちはぴんと背筋をのばし、震える膝小僧を隠しながらぎこちなく微笑みあいました。今更ながらにとても遅いのですが、それでもお嬢様達は気付かれてはいないと思っているようです。
「ええ。こんなにもお行儀に厳しいレストランですから、来るお客様はきっと立派な方達に違いありませんわね」
「恥ずかしいところを見せないようにしなければなりませんわ」
 ちらり、と相手の方を見ながら、お嬢様達は言いあいました。
 ふたりとも、自分の事は棚に上げて、相手がみっともなくオシッコを我慢しているところを見ているので、自分はそんなはしたない様子は見せないようにと思っているのです。
「さあ、参りましょう」
「ええ」
 もう少しの我慢だと自分に言い聞かせながら、お嬢様達はドアを開けました。
 すると、ドアの向こうにはまた廊下が続いています。いささか拍子抜けしながら、お嬢様たちはつめたく冷えた廊下にぶるっと身体を震わせ、そろそろと慎重に歩いてゆきます。もうお喋りする余裕もないふたりでしたが、それでも文句を言うのは忘れません。
「き、綺麗なお店ですけれど、寒くてかないませんわね」
「そうですわね、偉い方がたびたびいらっしゃるなら、玄関と廊下ももっと暖房を入れておかなくてはいけないと思いますの」
「確か、これは北国のほうのお屋敷の作りなのですわ。前にお父様にお聞きしましたの。こうしてたくさん壁をつくって、寒さをしのいでいるんですわよ」
「ああもう、できればはやく暖かい暖炉にあたってゆっくりしたいものですわね」
 めいめいに勝手なことを言いながら、ふたりは廊下を進みます。
 しばらくすると、また廊下の突き当りにはドアがありました。側には上等なクローゼットが用意されていて、鏡も備え付けられています。
 壁には玄関にあったのと同じメッセージボードがあり、こう書かれていました。


>『こちらで、上着とお帽子をお取りください。また、靴と貴重品もお預かりいたします』


「……そうですわね。こんな表を歩く格好のままお宅に上がるわけにもまいりませんわ」
「ええ、中には偉い方がいらっしゃるに違いありませんわ」
 そう言いながらも、お嬢様たちは外套のボタンを外すのをためらっていました。しんしんと冷える廊下の途中で服を脱ぐのは、ますます腰を冷やしてオシッコを近くしてしまうでしょう。けれど、こう書かれていては逆らうわけにもいきません。渋々外套を脱ぎ、帽子を取って、ベストも外してクローゼットにしまいます。クローゼットの中には小さな金庫もあり、貴重品もしまえるようになっていましたので、お嬢様たちはお財布やお化粧バッグもそこにしまい、鍵をかけます。
「お店を出るときは、ここでお勘定を済ますのかしら?」
「きっとそうですわ」
 ブラウスにスカートという身軽な格好になって、お嬢様たちは背筋をのぼる寒さにそっと身体を震わせます。
「い、急ぎましょう。寒くてかないませんもの」
「え、ええ」
 ここで上着を脱がせるのですから、ひょっとしたらドアの向こうはしっかりと暖房がきいているのかもしれません。そう期待しながらお嬢様たちはがちゃりとドアを開けますが、その向こうに続いているのも相変わらず代わり映えのない廊下で、やはりしっかりと冷えていました。
 廊下のとなりには小さな台がおかれており、また小さな金庫がありました。
 同じく一回り小さいメッセージボードがあり、そこにはこう書かれています。


>『手袋はお取りになりましたか? また、毛糸のはきものもお脱ぎください』


「あ、ああ、すっかり忘れていましたわ」
「え、ええ、こんなみっともないものを身につけたままお食事をするのは失礼ですわね。も、もし気付かれたら田舎者と思われてしまうかもしれませんもの」
「そ、そうですわね。本当に親切ですのね、このお店は」
「ええ、本当に」
 ふたりとも手袋は外していましたが、こっそりスカートの下には防寒用の毛糸のぱんつを履いていたのです。また、足元にも防寒用のぶあつい靴下をつけていました。
 お嬢様たちはお互いに顔を見合わせてから、そそくさと背中を向け合い、スカートの下から毛糸のぱんつと靴下を外します。
 これまで暖かくお尻を包み込んで寒さから下半身を守ってくれていたものがなくなった途端、しんしんと冷えこむ冷気がたちまち脚の付け根を刺激します。
「っ、は、はやく参りましょう」
「え、ええ。あまりじっとしていると寒いですものね」
 さっきよりも震えた声で、お嬢様達は廊下に踏みだします。
 薄いストッキングごしに廊下の板の冷たさが伝わり、思わず縮こまりそうになる爪先をぐっと押さえ付けて、慎重に進んでゆきます。
 ぞくぞくと背中を這い登る冷たさが、どんどんとお嬢様達の身体を冷やしてゆきました。ますます辛くなるオシッコの重みをこらえながら、お嬢様達はぎゅうっとスカートの前を押さえてしまいます。
 またもしばらくすると、ドアがありました。今度はメッセージボードはありません。
「…………」
「…………」
 とは言っても、ここでじっとしているわけにもいかないお嬢様達は、内股になりながらドアを開けて中にはいります。
 すると、今度は廊下ではなく、そこはちいさな部屋になっていました。白塗りの丸テーブルがあって、藤で編んだ椅子が向かい合わせに並べられています。
 テーブルの上にはまた小さなメッセージボードがあって、こう書かれていました。


>『ながらく山の中を歩いてさぞお寒かったでしょう。暖かい飲み物をご用意いたしました。どうぞ、お喉を潤してください』


 ほかにテーブルの上には、上等なティーセットと、なみなみと紅茶をたたえて湯気を立てるティーポットが用意されていました。礼儀を弁えた執事かメイドがたったいましつらえたような、大切なお客を出迎えるような有様です。
 ほわほわと湯気を立てる入れたての紅茶は、レモンを浮かべてティーカップの縁までなみなみと注がれていました。
「あ、あら……美味しそうですわね」
「え、ええ……」
 ふたりはためらいながらも、無視する訳にもいかず、椅子に腰掛けます。お互いにオシッコを我慢しているものですから、できるだけ慎重に腰を下ろすのですが、やっぱり冷たい椅子の感触に我慢の仕草を押さえこむことはできず、『んぅっ』と小さく声をあげてしまいました。
「…………」
 ティーカップになみなみと注がれた、色の薄いレモンティーは、あまりにも“それ”を連想させて、見ているだけでお嬢様たちの下腹部にさざなみを立てます。
「お、お飲みになりませんの?」
「あなたこそ、わたくしに遠慮なさらずにお召し上がりなさいませ?」
 こういう時、たとえ喉が渇いていなくても示された好意は受け取らねばなりません。けれど、もうお嬢様たちのおなかの中はぱんぱんで、少しでも水分を口にすれば、たちまち溢れてしまいそうなものですから、ふたりはどうにかしてこのレモンティーを飲まずには済ませられないものかと頭をひねっているのでした。
 けれど、せっかくの熱々の紅茶を冷ましてしまうわけにもいきません。それに、身体が芯まで冷え切ってしまっているのも確かでした。熱々の紅茶を飲めば、人心地つくかもしれません。
「せ、折角のお茶ですもの、お断りするわけにはいきませんわよね?」
「……ええ、も、もちろんですわ」
 お互いに相手を見ながら、お嬢様たちは同時にティーカップをもちあげました。ふたりとも相手が口にするまでは自分も飲むまいと思っているものですから、まるで侍がお互いに刀を構えて、相手のスキを窺っているような緊張感です。
 結局、お嬢様たちはまったく同時にティーカップに口をつけ、最後の一滴まで残さず飲んでしまいました。これまた、ふたりのお嬢様はお互いに相手が途中で残せば自分も残してしまおうと考えていたのですが、ふたりがふたりとも同じことを考えているものですから、結局途中で止めることもできず、すっかりカップを空にしてしまったのです。
「と、とても、美味しかったですわね?」
「え、ええ。残らず飲んでしまいました。とてもいい茶葉を使っていますわね」
「お、お水も美味しいものを使っているのでしょうね」
 胃袋がちゃぷちゃぷと音をたてるくらい、一息に飲み干してしまったものですから、お嬢様たちはたちまちオシッコがしたくてたまらなくなりました。我慢できずそわそわとあたりを見回しながら、そそくさと立ちあがります。
「え、ええと、……ま、参りましょうか」
「え、ええ。そうしましょう」
 もともとただでさえずっとお手洗いを我慢していたところに、さらに紅茶をたっぷりと飲んでしまったものですから、お嬢様たちはそれはもう今すぐにでもお手洗いに駆けこみたくてたまらなくなっています。
 小走りに部屋を出たお嬢様たちは、またまた続く廊下を精一杯の早足で進んでゆきます。左右の手は交互にスカートの前を引っ張りあげ、おしりをちょこんと突き出し、ひょこひょこと身体を左右に揺すって、まるでヨチヨチ歩きのアヒルのよう。
 とても淑女の仕草とは思えない、不恰好な有様でした。けれどもう、お嬢様たちはそんな外聞なんて気にしている余裕はないのです。頬を強張らせ、少しでも下腹部に衝撃を与えないように、そろりそろりと廊下を急ぎます。
 一刻も速くお手洗いにいきたくてたまらないお嬢様たちでしたが、進む廊下の途中に小さな看板があるのをみつけ、ぱっと顔を輝かせました。
 看板には小さな文字で、


>『お手洗い』


 と書いてあります。
「あら……」
「まあ……」
 ついにとうとう、ずっと待ち焦がれていた場所をみつけて、お嬢様達は内心飛びあがらんばかりに喜びました。けれどやっぱり、意地を張ってそのことを隠し通そうとするふたりですから、まるでさりげない風を装いながら道を間違えたふりをしてそこに入ってゆきます。
「…………」
「…………」
 しかし、突き当たりのドアにあったのは綺麗なホーロー引きの洗面台でした。
 蛇口は金色でぴかぴかに磨かれ、新品の櫛と香水、いい匂いのする石鹸と清潔な白いタオルが用意されています。
 確かにこれは文字通りの“お手洗い”でした。けれど、ふたりが欲しがっていた、おトイレをするための場所ではありません。予想外のできごとにふたりはしばし言葉を失ってしまいました。
 けれど、やっぱり意地を張りながら、お嬢様はくねくね腰を振りながら強がります。
「……そ、そうですわね……外から入ってきて、手も洗わずにお食事をするなんて、言語道断ですわ」
「え、ええ。身だしなみには常日頃から気を使わねばいけませんわ。よ、よほど偉い人がしじゅういらっしゃるんですわ。このお店には」
 もうすっかり我慢の限界といったふうな様子で、それでもお嬢様たちは律儀に手を洗い、髪を整えます。スカートの上から下着をぎゅっと引っ張りあげながら、それでもお嬢様たちは本当に欲しがっている『お手洗い』のことを口にしませんでした。
「……ま、まだですかしら?」
「も、もうずいぶん、歩きましたわよね……」
 『お手洗い』できれいさっぱり身支度を整えたお嬢様たちですが、一番肝心なオシッコだけは済ませることができないまま、また廊下に戻って先を急ぎます。
 いいかげん、ふたりともすっかり歩かされてくたびれ果てていたのですが、とにかくこの店で本当のお手洗いを見つけ、オシッコを済ませてしまわないことにはどうしようもありません。もういつ限界がきてもおかしくないのです。
 ここまで歩いてお手洗いがないのですから、つまりもっと店の奥にいくしかありません。まさか、今来た道をひき返すわけにもいかないのでした。山道にはこのレストランの他には建物はありませんでしたし、まさか貴族の令嬢ともあろう自分達が、道端の草むらでこっそりとしゃがみ込んでオシッコを済ませるなんてことは考えられませんから。
 けれど、今度の廊下はずいぶん長く、ドアもありませんでした。
 『お手洗い』からずっと何もないまま続く廊下を、壁にしがみ付くようにしながら、ふたりのお嬢様はよろよろと進みます。
 けれど、もうそろそろ、無理に無理を重ねて我慢し続けたオシッコは限界でした。
「も……もう、だめ……」
「ま、まだですの……?」
 はあはあと大きく息をし、寒いろうかでじっとりと汗を浮かべながら、ぎゅうぎゅうと身体をよじって、お嬢様達は切ない声を上げます。もうそうやって、全身を使って我慢していないとじっとしていることもできないのでした。
「あ、あの、わたくし、じつは、少し前からお手洗いに行きたくッて……」
「あ、あたくしもですの……」
 ついにとうとう、お嬢様達はそのことを認めました。
 けれどもう遅いのです、どこまでいっても廊下は終わらず、ふたりのお嬢様達がオシッコを済ませられる場所は見つかりません。
「ね、ねえ、わたくし、お、思ったのですけれど」
「な、なんですの?」
 恥も外聞もなく、ばたばたと交互に脚を踏み鳴らしながら、ぎゅうぅっと両手を重ね、スカートに皺を寄せて股間を前を握りしめるはしたない格好で、お嬢様が言います。
「あ、あの、入り口にあった、なかなかできない料理店ですという文句ですけれど、その、ひょっとして……」
「…………」
 言葉の途中でオシッコの波が迫り、お嬢様はびくんっ、と身体を強張らせて言葉を途切れさせます。じんっと脚の付け根に熱い感触が滲みます。腰を左右に揺すり、まるで小さな子供が聞き分けなく暴れるような格好です。
「よ、ようするに、ふぅ、はぁっ……お、お料理がなかなかできないとか、お食事がなかなかできないというのではなくて、そのっ……」
 もう一人のお嬢様は、黙ってそれを聞いていました。
 こちらのお嬢様も気付いていなかったわけではありません。もう口を開くと、それだけでそのままオシッコが始まってしまいそうだったのです。
「っ、……ふぅっ…、はぁ、はぁ……わ、わたくしたちが、なかなか、お……お手洗いのできない料理店、というのではなくって!?」
「そ、そんな、まさか……うぅっ……」
「………っ、あ、ああ、もうダメ……ぁうんっ……」
「っ、ふぅっ……はぁっ……くぅんっ……」
 そして、とうとう廊下のまんなかで、お嬢様たちは動けなくなってしまいました。
 最初にお手洗いにいきたくなってからもう4時間以上、えんえんオシッコを我慢させられているのですから、いくらなんでももうさすがに限界なのです。人前ではとても許されないような格好をして、必死に耐えていましたが、それでもぱんぱんに膨らんだ下腹部は、とうとう中身を溢れ出させてしまっていました。
 スカートの下では、じゅじゅっ、しゅるるっ、とくぐもった水音が響き、下着が勢い良くじ濡れていきます。
「や、嫌ぁ……っ、だめ……ぇ」
「っ……っふ、うぅぅ……」
 いつの間にか、長い廊下はぱったりと途切れ、二人の前にはいつものドアがありました。その側にはやっぱりメッセージボードがあり、こう書かれています。


>『なかなかできずに、ずいぶん長い間お待たせいたしました。これで最後です』
>『どうぞ、お入りください。この奥がおまちかねのおトイレです。お二人ともご遠慮ならさず、ぞんぶんに、たっぷりとなさってください』



「「ッ――――!!」」
 お嬢様達は弾かれたようにドアに飛びつきました。
 鬼気迫る形相で、ガチャガチャとドアノブをひねるのももどかしく、乱暴にドアを開きます。
 けれど、そこにあるのはふたりの想像していたようなお手洗いとはかけ離れたものでした。小さな部屋は行き止まりのようになっていて、その中央には、白鳥の格好をした小さなおまるがちょこんと置かれているのでした。近くにはトイレットペーパーらしきものも積み上げられています。
 そして一体なんの親切か、壁には絵入りでおまるの使い方まで示されていました。まるで、本当に初めておまるを使う女の子にも、きちんとその使用方法がわかるかのようにです。
 おそらくは、ふたりのお嬢様よりもずっとずっと小さな子供がつかうべきものなのでしょう。お嬢様達がまたいで使うには小さすぎ、、また我慢に我慢を重ねたオシッコを受け止めるにはとても足りないほどのおまるでしたが、ふたりはまったくためらいなく、我先にと中に飛びこもうとしました。
 よりにもよってこんな形で提供されたお手洗いでしたが、お嬢様たちのオシッコ我慢は頂点に達していたのです。
「っ、わ、わたくしが先ですわよっ!!」
「お、お待ちなさい、あ、あたくしのほうが先に――!!」
 ふたりのお嬢様はがっしりとおまるを掴み、引っ張りあいをはじめてしまいます。


>『順番を守って、きちんと綺麗に使いましょう』


 壁の解説には、こう書かれていましたが、もうそんなものはお嬢様達の目には入りません。一秒でも先にオシッコをしたくて、気が狂ってしまいそうでした。
 たとえこんなおまるでも、このまま廊下でお漏らしをし、床を汚してしまうよりはずっとずっとマシなのです。けれど、がくがくと膝を振るわせて中腰になったまま。おまるを掴んで綱引きのように引っ張りあい、どちらも譲らないお嬢様達。
 そのスカートには見る間に染みが広がり、足元にはぴちゃぴちゃと水滴が散ってゆきます。
 もはやおチビリとは言えないほどに下着を大きく濡らしながら、お嬢様達はそれでも意地を張るのを止めませんでした。
「あ、貴方、そ、そんなに床を汚して、スカートもぐちゃぐちゃで、酷い有様じゃありませんの!! ほ、ほら、も、もう漏らしているんですから、悪あがきはお止めなさいなっ!!」
「ちょ、ちょっとチビってしまっただけですの!! ま、まだ半分以上残っていますわ!! あ、あなたこそ、もうすっかり出てしまっているクセに、往生際が悪いですわよ!!」
 じゅわ、じゅじゅじゅっ、ぶじゅじゅじゅぅ……
 くぐもった音と共に、脚踏みを続けお尻を振るお嬢様達ふたりのオシッコが下着にぶつかって床にこぼれてゆきます。その量といったらすごいもので、とてもではありませんが、この小さなおまるには全部おさまりきりそうにありませんでした。たとえどちらか一方が使っただけでも、オシッコは一杯になって溢れてしまうでしょう。
「ちょ、ちょっと、ダメ、触らないでくださいましっ?!」
「ぁ、あ、あ、あっ、ダメ。ダメぇ……!!」
 たまらずお嬢様の一人が、スカートをひっぱりあげ、下着の上からおまるを脚の付け根におしつけます。たまらずもう一人のお嬢様も同じように、腰を突き出しおまるをぐいぐいと引っ張りました。
 ぶじゅ、じゅじゅじゅ。じょわぁああああ……
 もちろんのこと、そんな格好できちんとオシッコがおまるに収まるわけもありません。床には大きな水たまりがひろがり、お嬢様達の下半身はすっかりオシッコで水浸しです。それでも、服の上からおまるを股間におしつけ、涙をこぼししゃくりあげながら、お嬢様達はオシッコを出し続けました。いくら止めようとしても、壊れた蛇口のように、もうまったく止まらないのです。
 そして、いつしかお嬢様達の足元はすっかり泥だらけになっていました。
 足元には脱ぎ捨てた外套や手袋、帽子に毛糸のぱんつと靴下。大切なお財布やお化粧バッグもいっしょになって、山道のすぐそばの草むらの中で、大きな大きなオシッコの水たまりに沈んでいます。
「だ、だめ、止まらないですの……っ」
「い、いっぱい出てしまいますわ……」
 西洋料理店など、影もかたちもありません。
 廊下も部屋もどこかに消え去り、ふたりのお嬢様は、寒空の下で薄着になって、空っぽの水筒を互いに奪い合うようにして、下着の上からその飲み口を脚の間に押しつけ、吹きだすオシッコをその中に注ごうと必死になっているのでした。



(初出:書き下ろし 2008/06/22)
[ 2008/06/22 22:19 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)

携帯を買う話。 





 従姉妹のお姉さんであるエリさんと、その話になったのは単なる偶然みたいなものだった。テレビのニュースで、最近の若者のマナーを問う内容が放送され、その中で往来での携帯端末を使うことの問題が取り上げられていた。
 私がたまたま、携帯を持っていないことを知ったエリさんは、目を丸くしてそれが本当か聞いてきたのだ。
「ホントに持ってないの? 携帯」
「う、うん……」
「それじゃ困らない? サエちゃんだってもうすぐ卒業でしょ?」
「……でも、これまでなかったし、持ってなくったって、そんなに困らなかったし……」
「そんなんじゃ駄目っ!!」
「ひゃぁ!?」
 エリさんは大学生で、私からみてもカッコ良くて素敵な大人だと思う。だから、エリさんみたいな人になりたい、と私はひそかに憧れていた。
 そのエリさんが、年頃の女の子として携帯は絶対に必要だと強く主張するのだから、やっぱり私にはなんとなく断わりづらいわけで。
 私はそのままエリさんに引っ張られて、駅近くのデパートまで連れてこられてしまっていた。


「さ、到着。どう、いっぱいあるでしょ?」
「う、うん……」
 エリさんが示す売り場には、たくさんのメーカーの携帯端末がずらぁーっと並んでいた。これまで立ち入ったことのないエリアで、私はなんとなく二の足を踏んでしまうが、エリさんはそんな私の手を引っ張ってぐんぐん中に進んでいってしまう。
「いっぱいありすぎて困るかもだけど、まあ結局基本的な使い方は一緒だしね。慣れてから買い換えたっていいわけだし。……さっきもやってたけどさ、最近は携帯も使う人のマナーが問題になっているのよね。電車の中とか、ところ構わずに使っちゃう人もいて、規制されるようになったんだけど。
 ……でもやっぱり、サエちゃんくらいの歳からこういうのは慣れておかないと、そのうち本当に大変になっちゃうと思うんだ」
 確かに、これまでは多くの人が公衆端末で用事を済ませてきたけれど、携帯端末が普及して一般化したせいで、最近ではどんどん公衆端末は撤去されてしまい、数はぐっと減ってしまった。今では見つけるのも一苦労なのは、その通りだ。
「でも、サエちゃん、公衆端末も無いときって本当に無いでしょ。どうしてたの? そういうとき」
「近くのおうちで貸してもらったり……諦めて使うの我慢したり、色々」
 でも、まだどうしようもない小さい時ならともかく、今はもう無理だと思う。家庭に据えつけの端末はその家固有の情報も多く持っている大切なモノだし、見ず知らずの人間がいきなり貸してというのもためらわれる。
 まして、相手の家の迷惑を考えたりすると、とても借りれるものじゃない。
「わかるわかる。辛いよねー」
 エリさんはうんうんと頷きながら、壁に並んだあるメーカーの携帯を手にとった。
「あ、これまた新しいモデルも出たんだ。……昔は携帯って言えば昔は重くて全然使えなくて大変だったって話だけど、こんなにコンパクトになってずっと使いやすくなってるんだから、いい時代よね」
「エリさん、なんかおばさんくさい」
「うっ……」
 私が指摘するとエリさんはいったん硬直し、ぎぎぎ、と音がするように錆びついた動作で手の中の携帯を棚に戻す。
「……はぁ。サエちゃんにおばさんて言われちゃった……ショック」
「ご、ごめんなさい……」
「あは、まあしょうがないけどねぇ。サエちゃん、ポケベルなんか知らないでしょ?」
 聞きなれない単語にコクンと頷くと、エリさんは頭をかきながら解説してくれた。
「なんか、自分で自分の首締めてるみたいだけど、携帯が一般化する前はそういうのがあったのよ。簡易的な装置で、どっちかっていうと公衆端末の補助みたいなものだったんだけどね」
「……コードレスみたいなもの?」
「えっと……なんて言えばいいのかな。ポケベルで一端受けておいてから、公衆端末がある所まで用事を済ませるって感じ? どうしても必要な緊急事態の時に、最低限の用が足せるようにした装置……かな。携帯よりもちっちゃくて、機能も限定されてるんだけどね」
「なんか……聞いてると不便そう、なんだけど」
 ちょっと見たことのない“ポケベル”を自分が使っているのを想像してしまい、思わず頬が熱くなるのを感じる。いくらエリさんでもそんな話をするのは恥ずかしくて、私はそっぽを向いてごまかした。
「うぅ、それでもそういうのが使われてる時代があったの!! その前は本当に家庭用の端末と公衆端末意外には無くて、みんな苦労したんだから!!」
 力説するエリさん。けれどそうやって力いっぱい説明されればされるほど、私はなんとも言えない気分で俯いてしまう。
 だって、つまり、そんなことまで知ってるってことは、エリさんもそういうのを使っていた頃があるって事だ。
「こほん。……えーと、まあ昔の話はこれくらいにしようね。で、サエちゃんの携帯だけど」
「うん……でもエリさん、どれ選んでいいのか解らないよ。いっぱいありすぎて」
「うーん……最初はもう、本当に見栄えとかだけで選んでもいいと思うな。最近のは機能も多いし、最初からぜんぶ使いこなすのは難しいだろうし」
 そんなことを言われるとますます迷ってしまう。
 それでも、ぴかぴかと照明に照らされるたくさんの携帯は、確かにどれも宝石箱みたいで、思わず手を伸ばしてしまいたくなる。
「新しい会社の参入も進んで、競走も激しいからどんどんすごいのが出てるのよねぇ」
「エリさんの、見せてもらってもいい?」
「あたしの? ……うー、ちょっと恥ずかしいなぁ。だいぶ古いし、使っちゃってるし。・・…はい」
「へぇ……こんな、なんだ」
 エリさんの携帯はピンクに少しだけメタリックカラーを溶かしたような色をしていた。最近流行の中折れ式。ストラップにはかなり昔に放映されて、最近またリメイクされると噂のアニメのキャラがぶら下がっている。
 容量は増設込みで512M。見た目よりもだいぶいじられているみたいだった。
「い、いいかな、その、あんまりじろじろ見られちゃうと……」
「うん。ごめんなさい、無理言って」
 エリさんに携帯を返して、私は再度壁に並んだ携帯を見た。
「それ買った頃、まだ512Mってのが一般的じゃなくてね。128Mとか、多くても256Mとかだったかな。中には64Mとか32Mとかいうのまであったんだよ? 信じられる?」
「そ、そんなに少なかったの……!?」
 それは、いくらなんでも、さすがに少なすぎる気がする。だって、いくら私でも……それよりは多く使っちゃう自信があった。
「ホント、容量ちっちゃくて使いづらかったよ。そんなに携帯も普及してなかったし、リサーチも進んでなかったからさ。まして女性人権団体の人とかが反対してね。外で携帯使うなんてみっともないとか、そんなに携帯に容量要らないって言ってたくらい。今考えるとヘンな時代だったよねー」
 いまは全然そんなこと無いけど、とエリさんは棚の携帯を見る。少なくても512Mか、あるいは256Mの2サイクルが主流だ。中にははじめから700M超えとか、1024Mなんて大容量のものまである。
 あんなのとても使いきれるとは思えないけど、売ってるって事は、その、つまり、使っちゃう人がいる……って事なんだろう。
「大は小を兼ねる、だよ。恥ずかしがらずに自分にあったものを選ぶのがいいと思うな」
「う、うん……」
 エリさんのアドバイスを受けながら、私はしばらく売り場を回り、目に止まったひとつを手にとった。
「これ?」
「……うん」
 私の選んだモデルは白のスタンダードなもの。昔から人気の機種を、様々な要望にこたえる形でバージョンアップしたモデルだ。
「うん、ちょっと子供っぽい感じもするけど……まあいいんじゃない? 初めてだしね。シンプルなほうがいいから、ぴったりかも。容量はどれくらいにするの?」
「えっと……基本で256Mの2サイクルだけど……」
 もっと少ないのが標準だったら、なんとなく選びづらかったけど、今はそれくらいが標準なのであんまりためらいなく選べた。これも時代が進んで携帯が普及したからなのかと思うと、なんか複雑な気分になる。
「折角だから多めにしておいた方がいいよ。ちょっと割増になっちゃうけど、何が起こるか解んないし、あとから増設したくてもすぐに出来なかったりするし。サエちゃん、学校上がったら電車通学でしょ? 多い方が困らないと思う」
 そう言いながら、エリさんは増設パックを幾つか棚から拾い上げる。
「ほら、これくらいで」
「ええっ……こ、こんなに使わないよぉ」
 思わず言い返してしまっていた。いくら憧れのエリさんのお勧めでも、ちょっとその、これは対応に困る。だって渡されたのは512Mの増設パックが二つ。もともとの容量と全部あわせると、なんと1500Mを越える大容量だった。
「そんなこと無いってば。若いんだし、たくさん使うよ? 意外とすぐいっぱいになっちゃうって」
「うぅ……そんなことないもんっ」
「……あたしも最初はそう思ったんだってば。300もあれば十分で、節操無くそんなにたくさい容量増やさなくても……ってね。でも本当、これは経験者としての忠告。
 用心するに越した事はないんだよ。さっきも言ったけど、大は小を兼ねるってホントなんだから。後で足りなくなっても、使ってる時にすぐに増設できないし。いざって時安心だよ?」
「う、うぅーっ」
 言われていることは正論なのでどうしても反論できないけど、いくらなんでも1500Mなんていうのはちょっと、あまりにも大きすぎる。とてもじゃないけど、全部使い切るとは思えなかった。
「と、とりあえず先に契約しちゃうよ。あ、あとで考えるっ!!
「……そう? 絶対後悔すると思うなぁ」
 エリさんはまだ気にしていたようだけど、私は構わずにカウンターへと向かうことにした。
「――ご購入ですね。こちらの機種でよろしいですか? どのようなプランがご希望でしょうか」
「えっと……」
 目の前にばらっと広げられたグラフと数字の山に、いっしゅん困惑してしまう。携帯はただ持ってるだけじゃ使うことができなくて、契約して月ごとにお金を払うことで端末としての用をなす。だから、この契約プランもとても重用なんだけど、なにしろいままで一回も使ったことがないから、どれくらいがちょうどいいのか解らない。
 カウンターのお姉さんがいろいろお得だったり特徴があったりというのを説明してくれたけど、はっきり言ってどれを選んでいいのかさっぱりだった。
「うーん。これもやっぱりちょっと余裕もたせておいた方がいいかもね。後で変更するのも手間だし」
 エリさんが腕組みをしながらグラフの一つを指差す。
 ……ううん、やっぱりそれもちょっと多すぎるような。さすがに一月合計しても、そんなに長い時間使うとは思えない。基本量だけですごいことになっちゃってるし。
「そうなのかな……」
「絶対そうだってば。サエちゃん、そろそろ私のこと信じてよぉ」
「……そのプランですと、こちらの家族割引などに加入していただくと、基本量はそのままでさらにメンテナンスなどがお得になっておりますが」
「えーと……それは、その、いいです……」
「え、いいの?」
 エリさんが不思議そうな顔。
「う、うん……お母さんにも、いいって言われたし」
「そっか。信用あるなぁ。さすが優等生」
 いいこいいこ、と頭を撫でられて、わたしは耳が赤くなるのを感じた。
 たとえ家族同士でも、プライバシーを尊重しよう、というのが我が家の基本方針だったりする。携帯にはどうしても他の人に知られたくないことも記録されてしまうので、それを巡ってはクラスの皆もよく家族とけんかになったりするらしい。
 中には恋人の携帯の使用履歴とかだまって見たことで大騒ぎになることもあるそうだ。確かに携帯の意味を考えると、できることならそういうのに煩わされたくない。
「じゃ、じゃあこれで……」
「ありがとうございます。それではお会計をさせて頂きますね。少々お待ち下さい」
「エリさん、ありがとう」
「いいっていいって。これくらいさせてよ、可愛い従姉妹のためなんだから。……それに、携帯本体の値段よりも、そのあとの使用金額の方が高いしね。エリちゃんはそのへんしっかりしてるから、ちゃんと使うだろうケドさ。くれぐれも使いすぎちゃダメだよ?」
「う、うん……」
 そんなことになったりするんだろうか、と思いながら、私はカウンターに手を置いた。
 やがて、お店のお姉さんが契約の済んだ携帯をもってきてくれる。
「お客様はご購入のご予定はありませんか? いまなら古い端末も引き取りサービスをしておりますが」
「もうだいぶ古いけど、使いごこちがよくて、慣れてるのが一番だしね……しばらく変える予定はないかな」
 エリさんはそう答えた。やっぱり長年使って馴染んだ方が使いやすいんだろうか。新しい機種が出るたびに買い換える人もいるみたいだけど、エリさんは違うらしい。
 なんとなく、さすがだなぁ、と思って誇らしかったり。
「どうする? さっそく使ってみる?」
「う、うん……」
 不意に聞かれて、私はとまどってしまった。
 でも、ちょうど、実はさっきから、そんな気分になってしまっていたところだったりする。せっかく買ったんだからっていう事なんだろうか。
 なんとなく、どうしようかなと思っていたところにエリさんに助け舟を出された感じだった。私は勧められるまま、コクンとうなずいた。
「え、えっと……」
「こちらに使用スペースが設けてありますので、どうぞ」
「あ、はい。サエちゃん、こっちだって」
 店員さんに案内されて、店の隅にあるカーテンの奥へ。携帯の使用マナーが問われる昨今、お店のまんなかで使うのは回りのヒトの迷惑にもなるし、とってもイケナイことだ。
 ……もっとも、言われるまでもなくそんな所で使う気にはなれなかった。とてもじゃないけど、想像するだけで恥ずかしい。死んじゃいそうなくらいだ。いったい往来とかお外で構わずに携帯を使える人は、どんなことを考えているんだろう? こんな人目の多いところじゃ、絶対に誰かに聞かれたり、見られたりしてしまうのに。
「使い方、わかる?」
「お手伝いいたしましょうか?」
「だ、大丈夫ですっ、わかりますからっ」
 ふたりを追いだすようにカーテンを閉めて、深呼吸。
 ふいにぶるっと背中が震えた。自分で思っていたよりもだいぶ緊張していたみたい。意外にもう、余裕は残されていなかった。私はちょっと焦りながら携帯を開く。
 スペースの壁には、大きな文字で使用方法が図解されている。結構直接的な使い方が描いてあって、なんだか恥ずかしくなってしまう。
 ロックを解いて携帯を開けた。一番最初の暗唱番号は、とりあえず誕生日の4桁。そのうち別の数字に変えたほうがいいかもしれない。誰かに拾われて使われちゃったりしたら最後だ。
 ぱかり、と開いた携帯の内側は、さらさらの高分子吸収帯。片方が処理部で、もう片方の文字盤が制御部になる。ボタンを順番に押して電源を入れ、使用モードをON。
「んっ……」
 思ったよりもさらいn余裕がない。慌てて私はスカートのホックを外した。最近の携帯は服を着けたまま使えるようになっているはずだけど、なんだか上手くいかないので、スカートは諦めて下着と一緒に足元まで下ろしてしまう。こんなところでハダカになるのはなんだかイケナイ事をしているみたいで、どきどきした。
 壁の使用方法にはスタイルは自由に、なんて描いてあるけど……立ったままで上手くできるんだろうか。それともしゃがんだ方が……
「ぁっ……ダメぇ……」
 思い悩んでるうちに、身体のほうが待ちきれなくなってしまった。きゅんとおなかの下のほうが疼き、我慢しようという気持ちを無視して勝手に始まってしまう。
 止めきれずに吹き出してしまった熱い雫が、ぶしゅうと脚の間に飛び散って。処理部に収まらずに床に散ってしまう。
 ぽたぽたとこぼれる雫が指を伝って、内腿をオシッコが汚してゆく。
 うまく携帯用の排泄端末――つまりは携帯トイレを使えず、いい歳をして“失敗”してしまったことに、顔が真っ赤になった。
 慌てて脚を開き、処理部に股間を押しつけるが、動揺していてうまくオシッコの穴をおさえきれず、吹き出すオシッコが縁から溢れ出してしまう。
「ぁあっ……や、やだっ、うまく入んないよぉっ……」
 身体をよじって一回オシッコを止めようとしたが、もうそれは無理だった。ぎゅっと前を押さえても勝手に出てしまうオシッコは、携帯の入り口から外れて床にぱちゃぱちゃとこぼれ、どんどん薄黄色の水たまりを大きくしてゆく。
 さらに困ったことが続いた。
「う、うそ? も、もう一杯なの!? ……や、ま、まだ出ちゃうよぉっ……」
 これまで、私は家に備え付けの排泄端末しか使ったことがなかったので、自分のオシッコの量がどれくらいかなんて気にしたこともなかった。いくらなんでもコップ1杯分、200MLを超えるなんて思ってなかったけど、携帯の容量をいっぱいまで使っても全然足りない。
 本当なら私のものになったばかりの携帯は256MLの容量がふたつあるタイプのものだったので、途中でもう一つのパックに切り返れば、まだ256ML、合計で512MLのオシッコを処理できるだけの余裕があったはずなのだが、焦って混乱した私はそれを思いつくことができなかった。もしできたとしても、操作法がわからずに結局同じ事だっただろう。
 結局、私はそのまま動くことができず、許容量を超えてぐちゃぐちゃになった携帯端末の処理部をぐっとあそこに押しつけたまま、あそこから吹き出して止まらないオシッコが、ぱちゃぱちゃとあふれ続けるのを感じていた。
 あったかいモノがたっぷり内腿とお尻を伝って床にこぼれてゆく。
 やがて、1分近く出続けたオシッコがやっと終わった。あふれたオシッコで脱ぎかけた下着とスカートはぐちゃぐちゃになってしまっていた。
 オシッコの……というよりは、オモラシの解放感と脱力感に下半身が弛緩して、代わりに大失敗の現実が押し寄せてくる。
 私はそのまま、我慢できずに泣き出してしまった。
「うう…っ…」
「ねえ、どしたの、サエちゃん、大丈夫?」
 カーテンの向こうで、エリさんが心配そうに声をかけてくれた。私はもうみっともなくて恥ずかしくて、泣きじゃくりながら答えるしかない。
「……エリさぁん……っ」
「ありゃ……失敗しちゃった?」
「ぅあ…ひっく……わ、わたし、も、もう、春から上の学校なのにっ……う、うまくできなくてっ……オシッコ……おもらし、しちゃ……っ、うぁーーんっ!!」
「あーもう、よしよし、泣かない泣かない。最初はけっこうよくあることなんだから。ね? 恥ずかしくなんかないよ」
 エリさんに頭を撫でながら慰めてもらっても、私はなかなか泣きやめなかった。
 みんなが当たり前のようにちゃんと使えてる携帯トイレを、私だけがうまく使えないなんて。そんなの。
「しょーがない、しばらく一緒に練習しようか。大丈夫、すぐに慣れるからさ」
「うん……ぐすっ……」



 ――20XX年。
 健康や倫理の観点から、女の子が携帯トイレを使って用を済ませるのが一般的となり、かつては街に必ず作られていた公衆トイレがすっかりみられなくなった時代のことである。



(初出:書き下ろし 2008/06/22)
[ 2008/06/22 22:13 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)
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