FC2ブログ



スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

第11夜 赤ずきん 


「じゃあママ、行ってくるわね」
 お気に入りの赤いフードつきのコートを羽織り、手には大きなバスケット。とんとんと靴のかかとを叩いて、赤ずきんは元気に言いました。
「ええ、いってらっしゃい。森の中ではオオカミには気をつけるのよ」
「平気よ、オオカミなんかぜんぜん怖くないわ。追っ払ってやるもん」
「本当に気をつけてね、もし何かあったら、すぐに狩人さんを呼ぶのよ」
「わかってるわ、ママ。いってきます!!」
 台所から顔を出したお母さんが心配そうな顔をして見送る中、赤ずきんはそう答えると、家から続く、森の小路を歩き出します。
 うららかな日差しはぽかぽかと暖かく、雲ひとつない青空は見上げているだけでうきうきと心が躍ります。赤ずきんは小さく歌を口ずさみながら、スキップをはじめました。
「ああ、本当にいいお天気! 何か、とっても楽しいことがありそうね」
 抜群のお天気に恵まれて、フードの下でキラキラと目を輝かせ、赤ずきんといったら、もう楽しくて楽しくて仕方がないというようです。
 放っておいたらバスケットを放り出して、どこか別の場所に遊びにいってしまいそうでした。もう、すっかりお使いだということも忘れてしまっているようです。
「……あら? あれは……」
 いろいろ思案をめぐらせながら歩いていた赤ずきんですが、ふと森の道の向こうに見慣れない人影をみつけます。
 きょろきょろと辺りを見回し、忙しなく早足で歩くその姿は、赤ずきんの知っているものでした。赤ずきんはじいっとその背中をみつめ、くすっと口元を緩ませます。
「うふふ、そうね、それもいいわね」
 そう言うと、赤ずきんはこっそりと足音をしのばせ、その子のあとをつけはじめたのでした。





 深い深い森の中、小路の端で、オオカミはすっかり困り果てていました。
「……うぅ、いったいどうしましょう……困りましたわ……」
 オオカミは尖った耳をそわそわと揺らし、可愛らしい唇を突き出して、ぐるぐるとその場を歩き回ります。
 落ち着かない足元と、元気のないしっぽ。笑うと覗く愛くるしい八重歯も、きゅっと結ばれた口元の奥に隠れてしまい、元気に跳ねる左右に括られた薄茶の長い髪も、今日は頼りなげにふらふらと揺れるばかりでした。
 オオカミは決して、村の人たちや動物たちが言うような乱暴者ではありません。ただ、ちょっと力だ強いだけの普通の女の子なのです。しかし、人間や森の動物たちは何故かみなそろってオオカミを怖がるので、オオカミはできるだけみんなを脅かさないように森の中で暮らしているのでした。
 けれど昨日、オオカミのお家に突然、鉄砲をかついだ狩人がやってきたのでした。乱暴者のオオカミを追ってきたという狩人に棲家を追われ、オオカミはそのまま一晩中歩き続け、疲れ果ててここで途方にくれていたのでした。
「……はぁ……」
 ため息と共に深く俯いて、オオカミは重くなった手足をそっとさすります。お家を飛び出してから夜じゅう歩き通しで、体じゅうがすっかりくたびれていました。昨夜はすこしも眠っていません。
 けれど、どこで狩人と出くわすとも限らないので、棲家に戻るわけにもいきませんし、かといって村に行こうにも、狩人を寄越した人間たちが黙っているわけもありません。狩人が歩き回っているせいで森の動物たちもいつも以上にひっそりと棲家に閉じこもり、オオカミに答えてくれないのです。
 このままではオオカミは今夜も寝るところがなく、またお外で夜を明かさねばならないでしょう。
「うぅ……っ、あ、だ、だめ……っ」
 それに、オオカミにはもっともっと困った事態が訪れていました。
 そわそわとあたりを見回し、さりげなく伸びた手のひらがそっと、可愛らしいキュロットの上から脚の付け根に添えられます。内股で小刻みな足取りはおぼつかなく、オオカミの足跡は小路をふらふらと左右に揺れていました。
「はうっ……くうぅ……っ!」
 だめ、と思う間もなくじくん、と身体の奥にイケナイ感覚が響きます。思わず気が緩みそうになり、オオカミはぎゅっと唇を噛んで息を詰めました。ちりちりと脚の付け根を焦がす甘い痺れはますます強くなり、いくら身体をよじってもおさまる様子がありません。
(ど、どうしましょう……ほ、本当に……あっ、う……)
 差し迫った限界は、じりじりと高まり続け、ますますオオカミを焦らせます。
 とうとう耐え切れなくなり、オオカミは両手をきゅうっと股間に押し当ててしまいました。みっともなく中腰になってお尻を突き出し、もじもじとその場で足踏みダンスを始めてしまいます。
(ぉ……おトイレ…っ……)
 切なく疼く下半身の欲求を感じながら、オオカミは縋るようにあたりを見回しました。
 昨夜、お家を追い出されてから、オオカミは一度もトイレに行っていませんでした。昨夜から我慢し続けているオシッコは、そろそろ限界に近く、おなかの中では限界間近に迫った水面がたぷたぷと揺れています。もはや、オオカミのおなかの中のダムはいつ決壊してもおかしくない状況なのでした。
「……は、早くしないと、もう本当に……っ……で、ですけれどっ……」
 もじもじ、くねくね、オオカミの足が重ねあわされ、膝が擦り合わされます。
 森の中をさまよい歩き続け、もうどうしようもなくなってしまったオオカミはさっきからずっと、ひとけのないちょうど良い高さの茂みを前に、そこでおトイレを済ませてしまおうかどうかと思い悩んでいたのでした。
 もちろんオオカミだって普通の、お年頃の女の子です。おトイレ以外の場所でオシッコをするなんてとんでもないことです。だからオオカミは、朝早くからずうっとおトイレを探し続けていました。けれど、森の動物はみんなオオカミを怖がっているので、おトイレを借りるどころかまともに話も聞いてもらえません。
 とうとう森じゅうの動物にそっぽを向かれ、オオカミはほんとうに行くところをなくしてしまっていたのです。
(お、おトイレ……行きたい……っ、も、もぉ、出ちゃいそう……っ……で、でも、こんなトコロで、おトイレなんか……は、はしたない、ですわよ……っ)
 おヘソの裏側で、ちりちりといけない感覚が高まってゆきます。
 目の前の茂みの誘惑と、女の子としてのプライドが、オオカミの心の中で激しく戦っていました。オオカミはみんなが思っているのよりもずっと、恥かしがりやの女の子なのです。
 けれど、誰もおトイレを借してくれないのであれば、いつか決断しなければなりません。いつまでも我慢を続けていられるわけもなく、意地を張ったまま、本当に限界が来たら、――それこそ最悪の事態になってしまうことでしょう。
 もじもじと腰を揺すりながら、いったいどれほど経ったのでしょうか。
「……し、仕方ありませんわ、は、恥かしいですけれど、緊急事態ですもの……っ」
 ぼそぼそと、誰に言うでもなく言い訳をして、顔を真っ赤にしたオオカミは茂みの中に分け入ってゆきます。
 もう周りを見回す余裕もないオオカミが、そのままぎゅっと目を閉じ、キュロットの留め金に手をかけてしゃがみ込もうとした、その時でした。
「あら、オオカミさん? こんなところでどうしたの?」
 まったく唐突に、オオカミの背中から元気な声がかけられます。
 いままさに、誰にも見られないようこっそりとおトイレをはじめようとしていたところにいきなり名前を呼ばれたものですから、オオカミは飛び上がらんばかりに驚きました。
「……っ!?」
 口から飛び出しそうになった悲鳴と、あそこから飛び出しそうになったおしっこをぎゅっと押さえ込んで、慌ててキュロットの留め金を止めなおし、オオカミは茂みから飛び出します。
 そこにいたのは、にこにこと笑顔の赤ずきんでした。いつもの赤いフード付きのコートを着て、大きなバスケットを下げて、不思議そうにこくんと首を傾げています。
「どうかしたの? そんなところに隠れて。ひょっとしてかくれんぼでもしてたのかしら。……わたし、オオカミさんの邪魔をしちゃった?」
「あ、赤ずきんちゃん……。い、いえいえ、な、なんでもありませんのよ、ちょ、ちょっとご用事があっただけですの」
 ご用事。
 まさか、その大事なご用事が、オシッコをしようとしていただなんて答えるわけにはいきません。オオカミは慌てて手を振って、なんでもないですのと答えます。けれど、赤ずきんはますます首を傾げます。
「ええ? そうかしら。なんだかあやしいわ。まさかオオカミさん、なにか悪いことを考えていたんじゃないの? ……たしか、狩人さんがオオカミさんを探しているのよね?」
「ち、違いますわ!! そんなことはありませんわよ!! あ、あれはただの誤解なんですの!! わ、わたくしは別に、だれも食べたりなんかしませんもの!!」
 これはまったくその通りでした。これまでオオカミはいちども、森の動物や人間を食べようとしたことなんてありません。けれど、誰かがいなくなったり、姿が見えなくなると、誰も彼もがオオカミのしわざなのだと噂するのです。オオカミはいつも、涙をこらえて心を痛めていたのでした。
 けれど、オオカミがいくら言っても信じてはもらえません。だって、オオカミはオオカミなのですから。
「そうなの? なんだか怪しいわ。……まさか、オオカミさんたらわたしを油断させて食べようとしてるんじゃんないのかしら? 茂みに隠れていたのも、そのためなの?」
 危ないものを見るように、赤ずきんが後ずさります。不穏な空気を感じ、オオカミは必死に首を左右に振りました。左右の髪がぴょこぴょこと跳ねます。
「し、信じてくださいまし。わたくしは、そんなことは絶対にいたしませんわ!! 神様に誓って、ぜったいに!!」
「そうなのかしら……」
 赤ずきんはなおも疑り深く様子を窺っています。いまにも誰かに助けを求めに走り出しそうに身構える赤ずきんを前に、オオカミは気が気ではありませんでした。
 森の中にはまだ狩人がいるはずで、もし赤ずきんを助けに狩人がやってきたら、鉄砲で撃たれてしまうかもしれないのです。
「……じゃあオオカミさん、いったいなんで隠れてたの?」
「そ、それは……」
 聞かれたくないことを聞かれてしまい、オオカミは言葉に詰まってしまいました。まさか、女の子なのにお外でおトイレをしようとしていたなんて言えるわけありません。
 オオカミは真っ赤になって俯いてしまいます。
 そして――
(んうっ……!?)
 その恥かしさに反応するように、オオカミのお腹のなかで、じんじんとおトイレに行きたい感覚が膨れがあっていきます。あと少しで外に出るはずだったオシッコは、赤ずきんのせいで突然ストップを命じられ、引っ込みが付かなくなったまま、オオカミの下腹部で大暴れをしていました。
(あ、やだ、出ちゃう、でちゃうっ!!)
 押し寄せるオシッコの波が、オオカミの敏感な部分に集まってゆきます。立ったまま、オシッコが始まってしまいそうな緊急事態でした。
 それを押さえ込もうと、オオカミは両手でぎゅっと脚の付け根を押さえ、その場で大きく足踏みをはじめてしまいます。おなかの下のほうに、今にも吹き出しそうなオシッコを抱えながら四苦八苦するオオカミを見て、赤ずきんはくすくすと笑います。
「あは、どうしたのオオカミさんったら。やっぱりなにか様子がヘンよ。なにか悪巧みをしているんじゃないの? ねえ、どうして隠れていたの? さっきのご用事ってなんなのかしら? ねえ、教えて、オオカミさん?」
 真っ赤なオオカミの顔を下から覗きこむように、背中を屈めた赤ずきんは、くったくのない表情でオオカミを見上げます。
「ねえどうしたの、オオカミさん? 顔が真っ赤よ? やっぱり、茂みに隠れたりして、わたしを気付かれないように襲って食べようとしてたのかしら? もしそうなら、狩人さんに知らせなきゃ! オオカミさんが悪いことをしようとしたって!」
「そ、そんなことは……っ、あ、ありませんわ……。で、ですから、狩人さんはよ、呼ばないでくださいまし……」
「ふうん……」
 本当のことが口に出せず、口ごもってしまうオオカミを見て、赤ずきんはますます眉をよじらせていました。
 いよいよ陥った最大のピンチに、オオカミは焦ります。
(……ああ、ど、どうしましょう、もし狩人さんをよ、呼ばれたら、逃げられないかもしれませんわ……こ、こんな状態じゃ……)
 いつもなら、鉄砲が相手でもなんとかなるかもしれませんが、オシッコを我慢したままのおぼつかない足取りで、全力疾走なんでできるわけありません。
 ぐるぐると巡る頭の中で、オオカミはどうしていいか分からなくなってしまいます。赤ずきんに本当のことを話すわけにもいかないですが、黙ったままでは本当に狩人を呼ばれてしまうかもしれません。
(あぅ……だ、だめ、も、もう……が、我慢、できませんわ……っ……)
 そして、もう意地を張っている場合ではないのです。
 よおく考えてみると、これはオオカミにとってチャンスでもありました。これまで怖がって逃げ出すばかりだったほかの動物たちとは違って、赤ずきんはオオカミを怪しんでこそいますが、怖がる様子がありません。
(は、恥かしいですけれど……仕方ありませんわ……っ)
 オオカミは覚悟を決め、恥を忍んで口を開きます。
「っ、あ、あの……その、赤ずきんちゃん……は、はしたない話で、申し訳ありませんですけれど、わたくし、その……ちょっと、お花摘みに参りたいんですの……」
 お花摘み(オシッコ)。
 顔から火が出そうな恥かしさをこらえて、オオカミは我慢し続けたオシッコのことを口にします。そうしている間にも、ざわざわと波間がうねり、大きな尿意の津波が押し寄せてくるのです。
「そ、その、どこかに……できる場所は、ありませんこと? ……ご存知でしたら、教えて欲しいのですけれど……」
「へえ、お花摘み? なあんだ、それなら早く言ってちょうだいよ。疑ったりしてごめんなさい。オオカミさん
 きょとんと瞬きする赤ずきんは、少し驚いた様子で、そうなのかと腕組みをして納得したようでした。
「お花摘みかぁ。オオカミさんも恥かしいんだ、そういうの?」
「え、ええ……」
 オオカミはぎゅっと俯いて、小さく頷きます。
 そして、赤ずきんは笑顔のまま、そんなオオカミの手をぎゅっと握ります。
「オオカミさんも女の子なんだね。いいわよ、連れて行ってあげる」
「え、あ」
 思っていた以上にしっかりと手首を掴まれ、オオカミはうろたえます。
「あ、あの、わざわざ案内していただかなくてもいいですわ、場所さえ教えていただければ――」
「いいからいいから。遠慮しないで、とっときの場所があるのよっ♪ ちょうどわたしも行こうと思っていたところだったの、一緒に行きましょうよ、オオカミさんっ」
 思いも寄らぬ赤ずきんの言葉に、オオカミは困惑してしまいます。
 だって、誰かと一緒にお花摘み(オシッコ)に行くなんて、オオカミはこれまで一度もしたことがありません。まさか、並んでいっしょにおトイレをしようというのでしょうか。
「ちょ、ま、待ってくださいまし、そんな、引っ張らな……ぁうっ!?」
「ふんふーん♪」
 けれど、赤ずきんはオオカミのことを気にする様子もなくそのままずんずんと歩き出してしまいます。
「う、うぁ……くぅぅ…っ」
 手を掴まれ、足元が不安定なままでは踏ん張ってこらえることもできません。おなかをぱんぱんに満たすオシッコを我慢しながら、オオカミは引きずられるようにして付いて行くのが精一杯でした。





「さ、付いたわ。ここよ。すごいでしょ?」
 胸を張って赤ずきんが言います。
 オオカミが連れてこられたのは、森のしばらく奥にある小さな広場でした。なぜか森の木々が枝を避け、ぽっかりと空を明けたそこには、色とりどりの花が一面に咲いています。
 満面の笑顔で、赤ずきんは先を続けます。
「ね? 綺麗でしょ、ここってわたしの秘密の場所なの。ここならいっぱいお花摘みができるわ。わたしのお祖母ちゃんは、お花が大好きなのよ。持っていってあげたらきっととっても喜ぶわ」
「っ……」
 なんということでしょう。赤ずきんが案内してくれたのは、お手洗いの場所ではなく、本当のお花摘みのための場所でした。期待していた場所とはまったく違う光景に、オオカミは途方にくれてしまいます。
「さあ、オオカミさん、手伝ってちょうだいね。わたし、お祖母ちゃんのためにお花の冠を編んであげたいの」
「え、ええっ?!」
(そ、そんなことしてる場合じゃありませんのにっ……)
 オオカミのおなかの中では、いまも出口を求めてオシッコが暴れているのです。こんなところで悠長に花冠なんか編んでいたら、それこそ絶対に間に合わなくなってしまうでしょう。それどころか、お花を摘んでいる間に限界がやってきてしまうかもしれません。
「でも、オオカミさんがお花摘みが恥かしいなんて思わなかったわ。女の子みたいだって思われるのが嫌なの? オオカミさん、そんなに可愛いんだから、遠慮することはないと思うの」
 すっかり勘違いしている様子の赤ずきんに、オオカミは慌てて声を上げます。
「ち、違うんですの、赤ずきんちゃんっ、その、そういう意味ではありませんのっ!!」
「ん? 違うって何が?」
「そ、そういうことじゃ、なくて……そ、その、お花摘みに……、あの、ぉ、お…っ…こ…が……」
「だからお花摘みでしょ? オオカミさんも手伝ってくれるのよね。優しいなぁ。優しいオオカミさんは大好きよ」
 にこにこと、悪意などカケラもないような素敵な笑顔で赤ずきんちゃんが言います。オオカミは難しい言葉遣いをあきらめてなんとか誤解を解こうとするのですが、『オシッコのことなんですの』という言葉は、恥かしさで喉の奥に引っかかるばかりでした。
 いくら促しても手伝ってくれる様子のないオオカミを見て、赤ずきんはまた表情を曇らせます。
「……それとも、やっぱりオオカミさんは悪いオオカミさんなのかしら? わたしを誰もいないところまで連れて行って、食べちゃおうとしているの? そうだとしたら大変、やっぱり狩人さんを呼ばないと――」
「で、ですからそれは誤解ですわ!! お、およしになってくださいましっ!!」
 狩人のことを言われると、オオカミはもう強くは出られません。
 なによりも、赤ずきんの白くて小さな手のひらオオカミの腕をぎゅっと掴んだまま、離しませんでした。もし無理にふりほどこうものなら、赤ずきんはたちまち大声で狩人を呼ぶことでしょう。近くに狩人がいようものなら、駆けつけてくるなりあの鉄砲でずどんとやられてしまいます。
 赤ずきんの有無を言わせない迫力に、オオカミは口から飛び出しかけた『おトイレに行きたいんですの』という言葉を飲み込むしかありませんでした。
「さあ、はじめましょうオオカミさん!」
 赤ずきんはさあ!とばかりにお花畑に腰を下ろすと、鼻歌を再開しながら、近くの花をせっせと集め始めます。オオカミも仕方なしにそれに付き合うしかありませんでした。
 まさか、赤ずきんちゃんの見ている前でオシッコが始められるわけもありませんし、そもそもお花畑のような見晴らしのいい場所の真ん中でなんて、とてもではありませんがおトイレはできません。
(こ、こうなったら、すこしでも早く終わらせて、それからお手洗いに……っ。そ、そうですわ、お手伝いのついでに、赤ずきんちゃんのおうちで、お手洗いを借りてもいいですし……)
 とんでもない回り道ですが、仕方ありません。
 赤ずきんの誤解を解くには、おとなしく花集めを手伝って、赤ずきんを襲うつもりがないことを示すくらいしかないのです。そう決めると、オオカミもそろそろと腰をかがめ、赤ずきんに続いて花を集め始めました。
「んぅっ、く、ふっ……」
 さて。女の子がお外でおトイレに行くことを“お花摘み”というのは、草むらの中でしゃがんでいる様子を誤魔化すためだという話があります。その言葉どおり、一面に咲いた花園から、たくさんの花を集めるには、どうしてもしゃがみ込んでいなければなりません。
 けれど、オシッコを我慢しながらしゃがみ込むのは限界寸前のオオカミにとって地獄のような苦しみでした。なにしろ、しゃがむというこの格好はオシッコをするための格好で、おトイレを我慢するには一番不向きなのです。
「んぅ、ふぁ、ぁうぅっ……」
 いまにも我慢の水風船がぱちんと破裂してしまいそうで、オオカミは立てたかかとにぐりぐりとあそこをおしつけて、腰をよじらせます。
 服を着たままとは言え、おトイレのためのしゃがんだ姿勢では、なにか、他に支えがなければオシッコがじゅわじゅわと漏れ出してしまいそうなのでした。
「ふぅ、はぁ……あぅうっ……」
 ですから、オオカミのお花摘みはまるではかどりません。手も指も震えて、上半身も緊張したまままっすぐぴんと伸びたままです。
 お花摘みどころかはしたなく身をよじるばかりのオオカミを見て、赤ずきんが不満げに顔を上げました。
「ねえ、どうしたのオオカミさん? さっきから全然手が動いてないわ。手伝ってくれるんじゃなかったのかしら?」
「え、ええ、でも、そのっ」
 これはいけないと思い、もじもじと腰を揺すりながら、オオカミは答えます。赤ずきんにこれ以上怪しまれるわけにはいきません。
 けれど、オシッコを我慢するのに身体じゅうを使わなければならず、もうそれだけで精一杯のオオカミは、そのまま動くこともできず、震える手の中から、ほんの少しだけ摘んだお花もぽろぽろとこぼしてしまいます。
 それを見ている赤ずきんの表情は、どんどん険しくなっていきました。
「ねえオオカミさん、オオカミさんはわたしのお祖母ちゃんなんかどうでもいいのかしら? ……やっぱりそうね、オオカミさんはわたしをだまして食べちゃう気なのね? そうだわ、最初はお芝居していたのだけど、もう我慢できなくなったのよ」
「そ、そんな……ご、誤解ですわ……」
 確かに我慢できなくなったのは本当のことですが、我慢できないのはまったく別のものなのです。身体を震わせ、ぎゅうっと唇を閉じたままでは、思うようにオオカミの口は回りません。
 もともとオオカミは恥かしがり屋なので、口下手なのです。ひとりで早合点する赤ずきんを、説得するのは無理なのでした。
「……信じてたのに、オオカミさんはやっぱり悪いオオカミなんだわ。すぐに狩人さんに言いつけて鉄砲で追っ払ってもらわなきゃ!!」
「ち、違いますのっ。そんな、そんなことを仰らないでくださいましっ。わ、わたくしは――」
 うまく言い訳をしようにも、ダムの決壊を塞き止めるための我慢の真っ最中で頭の真っ白なオオカミの口は、はぁはぁと熱い息をこぼし、食いしばる歯の間からよだれがこぼれてしまうばかりです。それはますます、赤ずきんを、食べようとしているのだと誤解させてしまうようでした。
 そうこうしているうちに、とうとう赤ずきんはオオカミのそばをだっと離れ、大きな声で叫びます。
「狩人さーんっ!! オオカミさんが、悪いオオカミさんがここにいますよーっ!!」
「や、やめてくださいましっ!? 赤ずきんちゃんっ!!」
「狩人さぁあーーーんっ!!!」
 それはまるで森中に響くような大声でした。あたりの鳥が驚いて、ばさばさっと木を揺らして一斉に飛び立ちます。
「狩人さーんっ、助けてぇーーー!!」
「っ……!!」
 こうなってはもうどうしようもありません。オオカミはがばっと身をひるがえすと、風のようにお花畑を駆け抜けて、森の奥に飛び込みます。狩人が駆けつける前に、少しでも遠くへ逃げなければなりません。
 ふらふらと頼りない足元に、必死に力を入れながら、オオカミは後ろも振り返らずに走り出します。
 このとき、オオカミがちらりとでも赤ずきんのほうを振り返っていれば、この後起きたことは変わっていたかもしれません。けれど、オオカミにはもうそんな余裕はまったくありませんでした。
 なおも大きな大きな声で狩人を呼び続ける赤ずきんから、一目散にオオカミは逃げ出していきました。
 




 逃げて、逃げて、がむしゃらに走って。いったいどこをどう逃げ回ったことでしょう。
 オオカミは、いつしか森のなかの小さな小路に戻っていました
 さっきまで歩いていた場所とはまた違う道のようで、オオカミの知らない道でした。
「はあ、はあ、はあ……」
 オオカミは荒い息をつきながら、きょろきょろと周りを見回します。
 いまにもそのあたりの森から、鉄砲を担いだ狩人が、忠実な猟犬を連れて出てくるのではないかと、ただでさえ全力疾走で早鐘のような心臓がいまにも口からとびだしてしまいそうです。
 けれど、いくらオオカミもいつまでも走り続けていられるわけもありません。とうとう、歩くこともできなくなり、ふらふらと近くの木に寄りかかってしまいます。
(理不尽ですわ……な、なんでわたくしばかり、こんな目に遭わなくてはなりませんの……?)
 やるせなさに涙をこらえ、目元をぬぐうオオカミ。
 それでも、しばらく耳を済ませて様子を窺ってみても、狩人が追ってくる様子はありませんでした。とりあえずすぐに追いかけられることはないと分かった途端、どっと疲れがやってきます。
(はあ……もう、散々ですわ……)
 がっくりとうなだれ、オオカミは俯きました。
 もう、あさからまるっきり不運続きです。
(でも……まあ、逃げられましたから、とりあえずは……)
 目の前の脅威からはなんとか逃れたのは、それでも数少ない幸運でしょう。はあ、とオオカミが深呼吸と共に、安堵の息を吐いたその時です。
 ぎゅうっとお腹の下にイケナイ感覚が蘇りました。
 我知らず、オオカミの腰がぶるるっと震えます。それはたちまち痺れのように背中へと走り、尻尾の先から耳の先端までを貫きました。
「はううぅっ……っ!?」
 猛烈な感覚が、思わず口を突いて飛び出します。
 狩人の恐ろしさでいっときは忘れていたオシッコが、また大きな波になって出口に押し寄せてきているのでした。いえ、今度の波はそんな生易しいものではありません。まるで陸地を丸ごと飲み込むような津波のようでした。オオカミはたまらず両手でぎゅっと脚の付け根を押さえ込みます。
「うぁ……っ……」
(あ、ああ、だめ、お、お手洗いに、は、はやくっ……)
 猛烈な尿意が、オオカミの一番脆く敏感な場所に集中してゆきます。股間の先端にあるそこはぎゅっと閉ざされてはいますが、本当は小さな孔が開いていて、水を塞き止めておくにはあまりに不向きな場所なのです。
 キュロットの奥でじゅ、じゅわ、といけない水音が響き、じわじわと熱い雫が足の付け根に広がってゆく感覚に、オオカミはぞっと背中を震わせました。
「ぅあ、はぁあ……っ、だ、だめぇ……」
 オモラシの予兆となるおチビリに、オオカミはぱくぱくと唇を動かします。
 まるでオオカミの気持ちなんか無視して、身体のほうが勝手にオシッコを絞り出そうとしているようでした。ほとばしりそうになる水流を懸命に押さえ込みながら、オオカミはからだをくねらせます。
 お花畑からでたらめに逃げ出したため、オオカミはいま自分が森の中のどこにいるのかもわかなくなっていました。赤ずきんのお家の場所も分からず、もう駆け込めるおトイレはどこにもありません。
 森の真ん中で、おトイレにいきたくてたまらなくなってしまったまま、オオカミは一歩も動けなくなってしまいました。
(で、でちゃう……っ)
 このオシッコの波は、もうおトイレまでなんとか我慢しようとか、そんな風に考えられるものではありませんでした。
 ほんの少しでも気を抜けばこのままオシッコが始まってしまいそうです。オオカミは少しでも尿意を和らげようと、重ねた手のひらの下でぎゅうっと両脚を交差させ、膝を重ねてぐりぐりと身をよじります。
 そうやってする我慢は、おトイレまで歩いて行くためのものではなく、おトイレに駆け込んで、ドアに鍵をかけてキュロットと下着を下ろしてオシッコをはじめるまでの間にするような、わずかな時間かせぎのための我慢です。
 もはや、オオカミが恥かしさをかなぐりすてて、近くの茂みに飛び込もうとしたそのときでした。
 ふと見上げた先に、ちいさな煙突が見えます。
 それは、赤い壁に白いドアの、小さなお家でした。
「お、お家ですわ……っ!!」
 天の助け。不運続きの自分を見放していなかった意外な幸運に、思わずオオカミは声を上げてしまいます。まさかこんなところに誰か住んでいるなんて思いもしなかったものですから、まるでオオカミにはそのお家が光り輝いているように見えました。
(あ、あそこなら、お手洗いを借りれますわっ……!!)
 オオカミは大喜びで、よちよち歩きのままそのお家に小走りで駆け寄ります。我慢の延長戦に突入し、もうほとんど余裕のないオオカミは、膝を擦り合わせ、足踏みを繰り返し、がくがくと腰を波打たせて、ドアをノックします。
「も、もしもし、どなたかいらっしゃいませんか!!」
 掠れた声とノックに返る返事はありません。けれど諦めるわけにもいかず、オオカミはもう一度、ドアを叩きます。
「あ、あの、どなたかいらっしゃいませんかっ!?」
 相変わらず返事はありませんでした。
 けれど、さっきよりも力強いノックに、揺れたドアがぎぃ、と軋み、そのまま内側に動きてゆきます。なんと、お家のドアには鍵がかかっていないようでした。
 無用心だなどと思う暇もなく、オオカミはたまらず、ドアを押し開けて玄関に踏み入れてしまいます。明かりのついていない部屋の中は、薄暗く、人の気配もありません。
 オオカミは無人の部屋の中に、また声を上げて呼びかけます。
「も、申し訳ありませんっ、あの、誰もいらっしゃいませんの? ……あ、あの、その、お、お手洗いをお借りしてもよろしいでしょうか……?」
 しんと静まりかえったお家の中からは、やはり返事はありません。
「ご、ごめんなさい……か、勝手にお借りします……!! ……も、もう、わたくし、我慢できないんですのぉっ……!!」
 もはや、オオカミになりふりかまっている余裕はないのです。たとえ後で怒られたとしても、オモラシをしてしまうよりはマシでした。
 玄関から駆け込んだオオカミは、部屋の中をぐるりと見回し、玄関の少し奥に待望のトイレのマークを発見します。
 そこに、まっすぐ突撃しようと、両手をぎゅっと前に重ねたままオオカミが走り出そうとしたときでした。
「おばあちゃんこんにちわ、お見舞いに来たわ! ……あら?」
 背中から響いた聞き覚えのある声に、オオカミは凍りつきました。
 恐る恐る振り返ったオオカミの視線の先、押し開けられたドアの向こうから、ちょこんと赤いフードの女の子が顔を覗かせていました。
 開いたドアをこんこんとノックし、なんとさっき別れたばかりの赤ずきんが目を丸くしてオオカミを見ていたのです!
(な……なんで、どうして、こんなところに赤ずきんちゃんがいらっしゃるんですの……っ!?)
 まさか、ここが赤ずきんのおばあちゃんの家なのだとは、オオカミにはすぐには思い当たりませんでした。
 パニックになって頭が真っ白になってしまったオオカミを前に、赤ずきんはくすりと笑って、後ろ手にドアを閉めます。
(や、嫌……)
 今度こそ、狩人を呼ばれてしまう。オオカミはぶるぶると震え、そのまま床にへたりこんでしまいます。
 けれど、赤ずきんはいつまで経っても助けを呼ぶ声を上げる様子はありませんでした。それどころか、くすくすと、イジワルな笑顔すら浮かべて、オオカミのそばにちょこんと腰を屈めます。
「……あ、あの、赤ずきんちゃん……?」
 何がおきているのか分からず、オオカミは呆然とたずねます。
 赤ずきんはそんなオオカミにすっと手を差し伸べて、こういいました。
「あらお祖母ちゃん、どうしたの? 起きてていいの? 具合が悪いんだから寝ていなくちゃダメよ?」
「え……?」
 一体何のことかわからず、目を白黒させるオオカミ。
「病気だって聞いたから、心配して見に来たの。ほら、お花もたくさん摘んできたのよ。ママからのお土産もあるわ!」
「あ、あの……え、ええと……」
 困惑するオオカミは、わけも分からずに目をぱちくりとさせます。いくらなんでも、赤ずきんにオオカミと赤ずきんのおばあちゃんが見分けも付かないはずがありません。なにしろ、ついさっきまでオオカミは赤ずきんと一緒にいたのです。
 けれど、赤ずきんはそんなオオカミにはいっこうに構わず、オオカミに話しかけるのを止めませんでした。
「え、その、あのっ」
「ほら、ベッドまで連れて行ってあげるわ、お祖母ちゃん」
 くすくす、と笑いながら、赤ずきんはぎゅっとキュロットの足の付け根の上で重なったままのオオカミの手のひらを無理矢理引き剥がし、ひっぱりました。
「うぁあっ……!?」
 ちょうど、両手のひらと足のクロス、両方の力をあわせてようやくオシッコを塞き止めていたところを、いきなり手のひらの力がなくなったものですから、オオカミはたちまち我慢ができなくなってしまいました。
「ダメ、で、出ちゃうぅっ!!!」
 オオカミは声を上げて、がくがくと震える脚をぎゅっと股間におしつけ、オモラシが始まってしまわないように下腹部を床にねじりつけます。しかしそんな努力も空しく、オオカミの股間の先端からはじゅわ、じゅわ、と熱い雫がほとばしり始めてしまいました。
「あ、赤ずきんちゃん、止めてくださいましっ、あ、あの、も、もう我慢できませんのっ!! わ、わたくし、お、オシッコ……おトイレに、行きたいんですのっ……」
 とうとうオオカミははっきりオシッコを我慢していることを叫んでしまいます。
 もはや我慢が持たないと知って、オオカミは必死でした。ここは人のお家の中です。絨毯や床を汚してしまうわけにはいきません。
 けれど、赤ずきんときたらオオカミの声が聞こえているはずなのに、ただくすくす笑うばかりなのです。
「おばあちゃん、苦しそう……よっぽど具合が悪いのね……さあ、早く横にならなくちゃだめよ」
 立ち上がれないオオカミを引きずるようにして、赤ずきんはお家の奥へと連れて行こうとします。そちらはおトイレとまったく反対の方向でした。もうオモラシが始まりかけているのに、オシッコのできる場所から遠ざけられる恐怖に、オオカミはとうとう泣き出してしまいます。
「いやああ!! あ、赤ずきんちゃん、お願い、お願いですの!! わ、わたくしですの!! オオカミですの!! お、お願い、意地悪なさらないでっ……お、おトイレに行かせてくださいましっ!! もう本当に我慢ができなくなってしまいますの!! お、オモラシ……してしまいますからぁ……っ」
 けれど、聞いているのかいないのか、赤ずきんはオオカミに訪ねます。
「ねえ、おばあちゃん、どうしてそんなに顔が青いの?」
 それは当たり前です。もういつオシッコが始まってもおかしくないのですから、我慢に我慢を重ねたオオカミの顔は、すっかり血の気が引いて青ざめていました。
「あ、赤ずきんちゃんっ……お、お願いですの、い、意地悪はやめてくださいましっ、……はやく、ぉ、おトイレにぃ…っ」
 ぐうっと上半身を前に倒し、身体を二つに折ってオオカミは苦しげに叫びます。キュロットに大きな染みができ始めていました。片方だけの手のひらでは受け止めきれないオシッコが、オオカミの指の間からこぼれて、寄せ合わされた膝の間を流れ落ちてゆきます。
 けれど赤ずきんは容赦しません。
「おばあちゃん、どうしてそんなにもじもじしているの?」
「あく、あ、だめ、でちゃう、でちゃうぅ……!!」
「ねえおばあちゃん、答えてちょうだい? どうしてそんなに恥かしい格好で、もじもじしているの?」
「っ、あ、あの、オシッコが、オシッコがでちゃいそうなんですのっ!! も、もう我慢、で、できませんのぉっ……!!」
 自由になる片手と両足を使って塞いだオシッコの出口から、じょわ、じょわあ、とオシッコが噴出します。いまやオオカミのキュロットの股の部分は大きく色を変え、おしりの方にも大きな染みを作ってしまっていました。
「それにおばあちゃん、どうしてそんなところを押さえているの? 女の子なのに、とっても恥ずかしいわよ?」
「あ、あっ、あ、あっ、あ、っ、あ」
 恥かしいなんていわれても、オオカミには離すわけにはいきません。そうしたら最後、ダムは決壊して、行き場をなくしたオシッコが全部出てしまうのです。
 けれど、赤ずきんは容赦しません。楽しくて仕方がないというように微笑むと、小さく声を上げるばかりのオオカミの耳元にそっと唇を寄せます。
「うふふ、オオカミさんがおばあちゃんじゃないなんて、そんなこと分かってるわ。だっておばあちゃんは病気なんかじゃないもの。最初からお留守だって知ってるわ、わたし。
 でも、悪いオオカミさんが勝手におばあちゃんのお家にあがりこんで、こおばあちゃんのふりをしているんですもの。きっと、わたしを油断させて食べちゃうつもりだったのよね。……だから、お仕置きをしてあげるの。くすくす」
「え……っ」
「うふふ。ちゃあんと見てたのよ? 朝からオオカミさんが森の中でずうっとオシッコ、我慢しているの。お花畑でオモラシしちゃうかと思ったけど、オオカミさんたらとってもしぶといんだもの。逃げられちゃったと思って残念だったけど、まさかまた会えるなんて、とっても嬉しいわ」
「な、なっ……」
 赤ずきんの衝撃の告白に、オオカミが一瞬、油断したその時です。
「ねえ、そんなに汚して、みっともないわよ、オモラシオオカミさん?」
 そして、赤ずきんはとても女の子とは思えない強い力で、まるで石を詰め込まれたように硬い、オオカミのおなかをぐいっと押し込みました。
「~~~~……ッ!? あ、いや、ダメぇ!!!」
 それが最後でした。深く上半身を倒し、前傾になったオオカミががくんと腰を跳ねさせると、まるでその脚の間で、水気たっぷりの果物を押し潰したように、激しい水流が弾けます。
「あ、あぁ、あっ」
 ほとんど一瞬で、ダムの崩壊は始まりました。見ている間にも、たちまちオオカミの下半身がずぶぬれになっていきます。
 ぱくぱくと口を動かすオオカミの足元で水流が激しく飛び散り、絨毯と床に大きな水溜りを広げてゆきます。オオカミの視線は今もなお、引きずられ遠ざけられるトイレのドアを凝視していました。
 揃えた脚の間にホースを抱え込んだように、凄まじい勢いのオシッコが迸り、オオカミの下半身を水浸しにして撒き散らされてゆきます。ぶじゅう、じゅじゅじゅじゅうとあたり一面を濡らしてゆくオシッコが、たちまちあたりに濃い匂いを立ち込めさせてゆきました。
「本当にみっともないわ、オオカミさんったら。おばあちゃんがお留守なのをいいことに、あがりこんでオモラシなんて。わたしより大きいのに、オシッコも我慢できなかったの? 止まらないのかしら? ねえ? あはは、やっぱりオオカミさんなんて怖くないわ。だって、そんなにみっともないオモラシっ子なんだもの。くすくす……」
 赤ずきんは、泣きじゃくるオオカミを見下ろしながら、もういちどくすくすと笑うのでした。





 ……めでたし、めでたし。






 このあと、騒ぎを聞きつけてやってきた狩人は、村でも評判のいじめっ子の赤ずきんと、オモラシのショックで泣きじゃくるかわいそうなオオカミを見つけ、全てを理解しました。
 その後、赤ずきんがお母さんと狩人に夜までたっぷりと叱られ、お仕置きされてしまったのは、言うまでもありません。




 ……もう一度、めでたし、めでたし。



 (初出:おもらし特区SS図書館 2009/03/15)
 
[ 2009/04/16 22:56 ] WetMarchen | トラックバック(-) | コメント(-)

テストのお話・3 

 
(ほーんと、ちゃんと全部飲んでるなんて、馬鹿ねぇサツキってば)
 立ち尽くしていたところを教師に注意され、のろのろと自分の席に戻るサツキの背中を見ながら、チエリはほくそ笑む。
 あんなにごくごく飲んだら、あっというまにおなかの中はたぷたぷだろう。年頃の少女にとって、コーヒーの利尿作用は半端のないものだ。ただでさえ活発な新陳代謝をさらに加速させる猛烈な利尿成分は、場合によっては十数分で効き始め、その後はまるで体中の水分を搾り取られるみたいに、猛烈に尿意の波がやってくる。
(ホントだね。あれじゃ、テストどころじゃないよね、きっと)
(さっきもずうっとモジモジしてて、あれ相当ガマンしてたよ? 今度はマジで漏らしちゃうんじゃない?)
 ユミとアキが声を抑えて囁きあう。
 実のところ、チエリはレモンティまで飲ませるつもりはなかった。いくらなんでもあんなにしつこく勧めればサツキだって怪しいと思うだろうし、場の空気の読めないサツキのことだ、とっとと跳ね除けてトイレに急ぐかもしれないと予想していた。
(ま、それならそれで文句つけるのも簡単だしぃ、いくらでもやりようはあったけどさー)
 それが、あんな青い顔をしながら懸命にレモンティを飲み続けるとは、チエリにはまったく予想外だった。
 200mlのコーヒー飲料に加え、更なる追加の200ml、冷たい冷たいレモンティは、ほどなくサツキの身体中を駆け抜けて、熱く悩ましい羞恥のホットレモンティとなって、サツキの『おんなのこ』に注ぎ込まれるに違いないのだ。
 容易に逃げることのできない期末試験の教室という閉鎖空間のなか、その切なくももどかしい誘惑に、どこまでサツキが耐えられるか――その瞬間の訪れと、そのときの少女の姿を暗い悦びの感情で思い描きながら、チエリはくすくすと小さく笑った。





「ふぅ……っ、ぅ」
 何度目になるか、小さな唇からこぼれた熱き吐息が、かすかに机上の問題用紙を動かす。
(と、トイレ……っ、トイレ行きたい……っ)
 先刻から、増しに増して高まる排泄欲求に、少女の腰は繰り返し左右に揺すられていた。サツキは限界を訴える『おんなのこ』を庇うように、おヘソの裏の空気を吐き出すようにして、ぐっと下腹に力を篭める。
 つまり、女の子はオシッコの出口と膀胱の距離が近いからちょっとしたことでチビりそうになってしまうわけで、できるだけその距離を伸ばしてやればいい。実際にそうなっているのかどうかは別として、そんなふうに考えればいくらか我慢が持ちそうだと考える。
「う、くぅ……」
 しかし、悩ましげな吐息はそんなことでは収まらない。ぎゅうっとシャーペンを握る指に力が篭り、中空で震えるペン先が、問1の計算スペースのすぐ隣で揺れる。
 こんなことしてる場合じゃない、早くしなきゃと心ばかりは焦るものの、椅子の上、太腿の下にぎゅっと巻き込まれたスカートの中、熱気の篭った布地の内側で、『出口』はいまもヒクヒクと震えている。
 恥骨上のダムを見張る監視塔からは、異常を察知し発せられる警戒警報が弱まるどころか激しくなる一方で鳴り響いている。増し続けるダムの水かさは危険水位を突破し、なおも弱まる様子がないことから、サツキの『おんなのこ』ダム管理システムはいますぐ水門を押し開き、即刻放水をするように再三命令を繰り返していた。
 はたして、こんな状態で50分にも及ぶテストを乗り切れるのだろうか。サツキの脳裏を不安がよぎる。
(……ど、どうしよう……やっぱり先生に言って、トイレに行かせてもらうとか……)
 それは、至極常識的な判断といえた。――試験開始3分でそんなことをすることが許されるのならば、だが。
 試験と試験の間に与えられた休み時間は十分なものであり、その間にトイレに行っていなかったことは、どう控えめに見ても試験を軽んじ、怠慢だと批判されかねない。
 ただでさえ2年生の3学期、進路にも関わる大切な期末試験だ。まして数学はサツキの苦手分野。時間一杯まで使ってやっと答案を八割埋められるかどうかというところなのだ。急いでトイレに向かったとしても、5分以上のロスは避けられない。とても途中で席を立っている余裕はないのである。
(だ、だいじょうぶ……たった50分よ。さっきだって平気だったもの、こんども我慢できるに決まってるわ……!!)
 改めて考えてみれば、試験時間50分はいつもの授業と変わらない長さなのだ。普段の授業中、それくらい我慢した事はこれまでにだって何度でもある。これくらいのレベルまでトイレに行きたかったことは――まあ経験があったかどうかは微妙だが、ともかくサツキはそう自分に言い聞かせ、問題用紙に向かった。
 改めてシャーペンを意識すると、知らず開いている左手が脚の間に向かってしまう。皆が答案に集中しているのをいいことに、サツキはそっと制服のスカートの上から脚の付け根をおさえていた。
 そっと撫でるだけで、手のひらには石のように固い感触が跳ね返ってきた。
 おなかの内側をじんじんと痺れさせるように、“そこ”には液体よりももっと重く熱いものがずしんと詰め込まれているようだった。サツキの『おんなのこ』は内側から圧迫され、いまにも脆くも突き破られてしまいそう。
 きつく張り詰めた下腹部が切に尿意を訴え続け、椅子に座っている姿勢でも辛く、じっとしているのはさらに厳しい。
(えっと、x=3で……yを、代入して、だ、だから、えっと……)
 そんな身体の求めを無視して、必死に問題に取り組もうとするサツキだが、少女の頭の中は半分ほどがオシッコのことで占められていて、簡単なはずの式が超難問に化けてしまう。震えるペン先ががりっと答案用紙をえぐり、小さな穴を開けてしまった。
 はぁ、と短く息をついてオシッコの波をやりすごそうとするサツキだが、絶え間なく恥骨を弱火であぶられるかのような排泄欲求はおさまる気配がない。
 それどころか、サツキの下腹部は無慈悲にも、ここがトイレではないにも関わらずに少女の身体に排泄を命じてくるのだ。サツキの脚の付け根では『おんなのこ』の部分がそれを大歓迎で受け入れ、勝手に水門を開く準備を始めるのだ。
(っ……や、やだ、来ちゃう……っ!!)
 容赦なく、怒涛の尿意が襲い来るその気配に、サツキは全身を硬直させた。身構えの余裕すらなく、少女の下腹部に溜まりに溜まった黄色い濁流が、堰を破らんばかりに『出口』へと押し寄せてくる。
 もしここがトイレで、サツキがいままさに、施錠した個室の中で下着を下ろして、便座に腰かけた瞬間であれば何の問題もなかっただろう。
(や、ぁぁ、あっ、く、ぁあう……)
 いまだ1問目の計算問題の途中で、少女のシャープペンシルの先がぴたり、止まった。
 痛いほどの静寂の中を、ペンの走る音だけが埋めてゆく。時折挟まるのは問題用紙をめくる音。黙々と試験に取り組むクラスメイト達はまさに真剣そのもの。

 ぎしっ……きし、ぎぃっ……

 そんな中を、かすかな異音が響く。
(ぅあ……くぅんっ……)
 誰もが試験に集中する沈黙の中で、サツキは一人、孤独に崩壊せんばかりのダムの堰を必死に押さえ止めていた。
 敵の物量は圧倒的で、抗する戦力はごくわずかの、あまりにも絶望的な戦い。それでも必死に机にしがみ付き、サツキは柔らかな股布に包まれた『おんなのこ』の暴走を押さえ込もうとする。
 右手はいまだ辛うじてシャープペンシルを掴んでいるものの、取り落とさずにいるのが精一杯。左手はスカートの股間を握りつぶすように閉じ合わせた膝の間に潜り込み、太腿はそれを動かないようぎゅうっと挟む込むようにして固定し、『おんなのこ』の外側を塞いでいた。
 そのあまりにも不審な姿に、周囲の数名がちらりとサツキの様子を窺う。けれど試験中ゆえにそれ以上の追求はなく、サツキに助けの声を掛けるものはいないのだ。
(っふ……あっ……)
 少女が全身を使って尿意を必死に塞き止める中、力なくさまようシャーペンが、ミミズの張ったような筆跡で問1(3)までの回答欄を埋めていく。
(ぅ、く、が、……がまん、我慢しなきゃ…ぁっ……!!)
 まだ数学のテストが始まっていくらも経っていない。残り時間は実に40分以上。解放の時は遥か遠く、乗り越えねばならない苦しみはあまりに多い。少しでも別の事をして気をまぎらわせてその事実から目を背けていないと、心が折れてしまいそうだった。
 回答欄から大きくはみ出した筆跡の端が大きく折れ曲がり、左右にくねくねと揺れる。残された痕跡は、うねる波濤の強烈さの証。
 サツキの答案はまるで群発地震を測定する震度計の針のように、次々押し寄せてくる尿意の大波の痕跡を刻んでいた。
(……っふ、ふぁうぅっ……)
 寄せては返す尿意のさざ波は恥骨に響き、背筋を伝って少女の背中を震わせる。
 きつく力を篭められたペン先が再び停止する。他の事を考えられないほどの尿意の大波だ。この強烈な尿意は、一度始まると数分は続くことを、サツキの『おんなのこ』は経験上知っている。
 これの感覚がどんどん狭まり、やがて最後には本当の限界がやってくる。ちょうど陣痛と同じようなものだった。もっとも、“そこ”まで我慢した経験は、サツキにもほとんどない。
 必要に迫られてのものとは言え、我慢せずに済むならそのほうがよっぽどいい。だから常日頃、少しでも尿意を感じたらちゃんとトイレに行っておくのがサツキのやり方だった。
 けれど、今は違う。度重なる水分の摂取と、利尿作用のもたらす相乗効果。下腹部を膨らませているオシッコの量は比ではない。もはやサツキのダムが抱え込んでいる貯水量は、牛乳パックを超えて500mlペットボトルすら大きく凌駕しつつある。
 そんな中、いまにもコントロールを離れそうな『おんなのこ』を抱えながら、サキはテストとオシッコ我慢、その両方を見事にやり遂げなくてはならなかった。
(っ、こ、これさえ、乗り切っちゃえば……しばらく……っ)
 息を詰めながらぐっとお尻の孔にも力を篭め、そろそろ訪れる次の“波”がこの尿意の頂点だと見極めたサツキは、身体を硬直させてオシッコの波が和らぐのを待つ。
 けれど、そうして見切りをつけたはいいものの、いつもとは違ってなかなか尿意が引いてくれない。ちりちりと脚の付け根を焦がすむず痒いような、もどかしい衝動は執拗に少女を責め弄る。
(っ、あ、っく、ぅ……)
 サツキのペン先はもう5分も前から動かず、回答欄の隅に意味のない象形文字をなぞるばかりだった。
 腰を椅子の上にねじり付けるようにしてくねらせ、息を詰めて膝を閉じあわせ、溢れそうになる熱い雫を押し留める。『おんなのこ』の部分をきつく押さえる指先が前後するたび、少女の下着はよじれて大きく皺を寄せていた。
 まるで――そこに別の生き物の意志すらも感じてしまうようだった。
(お、おねがい、おとなしく、しててよ……っ、あ、あと、ちょっとだけなんだから……っ)
 下腹部をさする手にそっと力を込め、そんなふうに呼びかけすらして。そして長い長い時間を掛け、緩やかに波が引いてゆく。ようやく厳しかった下腹部の痺れが、わずかに鈍り、穏やかなものとなった。
(っ……はぁ……)
 わずかな安定期のおとずれを感じ、すこしでも身体が楽になったことに安堵しながら、サツキはちらりと教卓上の時計に目をやった。
(あ、あと……)
 文字盤に記された時刻は、テスト開始から10分を数えていた。
 もう10分。けれど、たった10分。
「……っ」
 とてつもなく長い時間に感じられた我慢の綱引きは、ほんの数分にも満たないわずかの間のことでしかなかったのだ。それは、テストを迎える学生としては安堵すべきことではあったが、同時にオシッコをガマンし続ける少女としては、途方もない絶望でもあった。
 時計の針はゴールまでまだ5分の4以上を残している。
 その事実に再び沸き立ちはじめる尿意を必死に抑え付け、サツキは唇を噛んで消しゴムを掴んだ。歪んだ答案用紙に残る判別不能の文字をねじつけるように消してゆく。そうすることで、一緒に押し寄せる尿意すらも消し去ってしまわんとするかのようだった。
(余計なこと考えちゃダメよ……しゅ、集中しないと……っ)
 なおも激しい尿意の予兆に、小さく下半身が震え出す。サツキは唇を噛み、その痛みで集中を保ちながら、クラスメイトからずいぶん遅れて問2の回答に取りかかった。





(あ、あと……じゅ、10分……っ!!)
 血を吐くような思いで、その事実を飲み込む。
 いったい何十回、いや何百回見上げたことだろう。遅々として進まない黒板上の時計の針は、長い長い時間をかけてゴールの手前までやってきていた。
 サツキの尿意はいまだその頂のただ中にある。最初の頃は10分以上間隔の開いていた尿意の大波が、いまや5分と経たずにやってくる。おまけに一回一回の潮位も高く、長く続くようになっていた。
 もはやサツキの“そこ”ダムではなく、防波堤だった。しかも、大地震に伴う津波にはとうてい耐え切れない貧弱なもので、すでに何度か、押し寄せる波の一部は、わずかながら外にあふれ出してしまっている。
 股間にじっとりと感じる湿り気を、けれど汗のせいだと決め付けて。サツキは椅子の上、不自然に浮かせた太腿と膝をぎゅうっと重ね合わせる。
(もうちょっと、あとほんのちょっとよ……!!)
 無限にも思えた長い長い時間の終わりが見えたことで、焦りはますます激しくなっている。本当なら今にも席を立ってトイレに全力疾走したい。
 しかし、試験中に数え切れないくらいの大波を乗り越えようとしたため、サツキの解答欄は惨憺たる有様だ。実質的な試験時間は半分どころか3分の1もなく、さらに頭の中はほとんどが『おしっこしたい』『トイレ行きたい』の文字で埋まっている。
 震えるペン先を押さえるのに精一杯で、計算途中の式は途中で何度もくしゃりと歪み、意味のない折れ線を刻むばかり。辛うじて文字が記されたものも、半分もない。この分ならテスト開始と共に席を立ち、トイレですっきりオシッコを済ませてからテストに取り組んだ方がよほどいい結果が出せただろう。
 だが、それも後の祭り。いまはただ、少しでも早く残りの時間が過ぎ去るのを待つばかりだった。
(もう、あとほんの10分だけ……あとちょっとよ……)
 あと10分。その残り時間の短さに錯覚し、またもサツキは自分の判断が誤っていることに気付けない。なまじ優等生であることや、これまでの40分をどうにか我慢しきってきた経験が、かえって仇となり、今わざわざトイレに行くくらいなら、あと10分待ってテストが終わってから――という思考こそが、命取りだということに思い至らないのだ。
 それら全てが、今も小さく笑みを浮かべながらサツキの様子を冷静に観察しているチエリの思惑どおりだった。
 また、仮にここでサツキがトイレに立とうとしたときにはそれを封殺する手も、きちんとチエリは用意していた。だが、チエリがなおも陰湿な策謀をめぐらせていることなど、サツキには知る由もない。
「っ、はぁ……っ」
 重く暑苦しい溜息を吐き出す。すこしでも身体の中にスペースの余裕を作り出そうとする涙ぐましいほどの努力だが、その効果は芳しくない。
 残り10分。いつもならなんて事のない、ちょっとしたお喋りで消えてしまうような些細な時間。けれど、その10分が、600秒がとてつもなく遠い。
 ちらちらと文字盤を覗き見るサツキのまえで、進む秒針はじれったいほどに遅い。
(はやく……っ!!)
 テストの最中に願うのなら、問題が解き終わらないときに心の中で叫ぶ『あと5分』であるべきだった。しかしそれとはまったく正反対に、サツキはとにかく、ひたすら、ただただ速くこの地獄の時間が過ぎ去ってくれることだけを願い続ける。
 それはもはや、この数学の試験を放棄するに近い感情だ。
 ぞわり、もうすっかりお馴染みになった前触れをともなって、またもオシッコの波がやってくる。『おんなのこ』の危機を察知し、身体を意志のように硬くして、サツキはそれを受け止めた。
(……ん、ッ……ま、また……だ、大丈夫、……ガマン、できる……っ)
 自己暗示をかけながら、やってくる尿意の波に無駄に逆らわず、じっと身を竦めて過ぎ去るのを待つ。何度か大波を経験しながら、サツキは次第にうまくオシッコの波を乗りこなすコツを掴んでいた。
 尿意の波は一定ではない。だが、いくら利尿作用があるとは言え、ほんの5分や10分過ぎた程度で、そんなにも急に膀胱の中のオシッコが増えているわけではないのだ。そもそも本当に本当の限界容量までは、まだほんのわずかだが余裕もある。
 さっきもガマンできたのだから、次はそれに加えてもうほんの少しだけガマンすればいいだけだ。
(んうっ……だ、だいじょうぶ、へいきなんだから……さ、さっきと、同じ……っ)
 確かに一時は厳しいが、逆に言えばその瞬間さえ乗り切ってしまえば、しばらく安定期が続くことも、サツキは身体で覚えていた。その間に問題を解き、疲弊した括約筋をすこしでも休める。ただひたすらにその繰り返しだ。
(……ふぅっ……はぁっ……、お、おさまった……)
 尿意のうねりを腰全体で飲み込むかのように、サツキの膀胱はさらに高まるオシッコの水圧を押さえ込む。これでまたしばらく楽になる。ガマンによってほんの少しだけできた余裕のぶんだけ、さらに膀胱がオシッコを受け入れられるようになるのだ。
 いわば、ほんの少しずつ、おなかの内側にオシッコをしているようなもの。たぷたぷと揺れる水風船がどんどんと膨らんで行くのを感じながら、サツキは崩壊の瞬間をすこしでも遠くへと引き伸ばしていた。
「よし、あと5分」
 残り時間を告げる教師の声が響く。教室のあちこちでかすかにざわめきがあがった。どうやら、サツキと違ってまともなコンディションで試験を受けているクラスメイトたちも、答案の出来はよろしくないらしい。
(よ、よかった、結構なんとかなるかも……)
 待ち焦がれていた宣誓に、オシッコ我慢とテストの成績、二つの意味で安堵しながら、サツキはこっそりと胸を撫で下ろす。
 おそらく数学のテストは惨憺たる結果になってしまうだろう。普段のサツキにの成績に比べれば、大きな失態だが――それ以上にいまは、“あと5分”に迫った休憩時間が待ち遠しかった。
 休憩時間でならば、もう誰に気兼ねするでもなくトイレに行けるし、それでやっと我慢から解放されるのだ。そうすれば、次のテストからは準備万端で望める。そこで取り返せばいい。
 尿意からの解放にまたもざわつき始める下腹部をそっと庇いながら、サツキは慌てて首を振り、虫食い状態の答案を少しでも埋めようとペンを動かしはじめた。



 (初出:書き下ろし)
[ 2009/04/04 22:25 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)

テストのお話・2 

 
 しんと静かな教室に響くのは、シャーペンが跳ねる音。消しゴムが踊る音、熱の篭った溜息、がりがりと頭を掻く音、かつかつと答案用紙を叩くペン尻の音。
 期末試験最難関と噂される3日目の一時限目、その敵陣の先鋒となった現国のテストは、常よりもさらに増した難易度で、夏休みを前にした生徒達を容赦なく迎え撃っている。教卓から黒縁の眼鏡のフレーム越しに教室を睥睨するのは、試験担当の教諭の視線。それはまるでわずかな不正も見逃さんとする法の番人のようだ。
 加えて、ささいな書き間違いを見つけては嬉々として減点する、学年主任の現国のテストは、校内を通じてもすこぶる評判が悪い。
 だからこそ、普段の予習・復習に支えられた着実な勉強法がものをいう。
 ――毎日ではなくとも、それらを地道にこなしているサツキには実力を発揮するに相応しいはずのものだった。
 だが――
「…………」
 吐息と共に、熱っぽい頬を擦り、サツキはまとまらない頭を振る。集中できない自分を胸中で叱咤しながら、熱の篭ったスカートを巻き込んで椅子を軋ませ、脚を揃えては組み替える。
(はぁ……)
 気にすまいと思えば思うほど、どうにも下腹部の違和感がぬぐえない。朝のホームルーム後で遭遇した、いつもはありえないトイレの大混雑はまったくサツキの予想外のものだった。
 チャイムまでの残り時間はわずかで、流石に別のトイレまで出張している余裕もないように思えた。
 時計を気にしながら廊下まで続く順番待ちの列に並んでいるうち、あっという間に時間が来てしまい、サツキはとうとうトイレにいけないまま教室に戻る羽目になってしまったのだ。
 多少無理すれば個室に入れないわけでもなかったけれど、同じく並んでいたユミたちに、『しょうがないけど我慢だね。……いこ、サツキ』なんて口々に言われてしまえば、そのまま残っているわけにもいかない。
(チエリとあんなに話してなきゃ、間に合ったかもね……)
 とは言え、せっかく和解した友人のことを悪くいう気分にもなれない。向こうから折れてくれたのに、そのせいでトイレにいけなかったなんていうのは、八つ当たりだ。
 椅子の上でもぞもぞと脚を動かし、サツキは軽く気合を入れなおす。
(よし、集中っ……)
 改めて、事実のみを抜き出して考えてみれば、なんとも単純で、簡単なことなのだ。
 つまり、要するに、たかだか37、8℃の、体温と似たような温度の液体を――ほんのちょっとだけ特殊な液体を、一ヶ所に保管しておくだけのことなのである。
 コップや花瓶、そんな上等なものでなくとも、たとえば飲みかけのペットボトルとか、牛乳のパックとか、そんなものだって構わない。そう――まあ、おそらく、およそ500ml強の……ひょっとしたら、もうちょっとだけ多いかもしれないが、とにかくそれくらいの液体を注いでも溢れないような容器を使って、おなかの中に溜まっている分の“それ”を入れておくことさえできれば、何の苦労も努力も辛抱も必要なくできてしまうことなのだ。
 たとえば、コンビニで買ったペットボトルを一本、サンドイッチと一緒に手にぶら下げていたって、こんな苦痛など覚えるはずもない。しかしたったそれだけのことを、自分の身体の中心、『おんなのこ』の入れ物でしようとするだけで、サツキは激しく長い苦しみに耐えなければならなくなるのだった。
「……ん、っ」
 わずかに飲み込み損ねた声が、かるく唇を震わせる。サツキの『おんなのこ』の部分はいまも、大きく膨らんでその存在感を執拗にアピールしていた。たった数百mlの液体が、おなかの中に溜まっているというそれだけで、サツキの思考はまとまらず、ぼんやりとした熱が頭の奥を占領してゆく。
 現に、サツキは朝にも野菜ジュースとスープで、楽にコップ1杯余の水分を摂取している。いまのコレは、それと一体どれほどの差があるというのか。
 小さな欲求は次第に大きなうねりとなり、『おんなのこ』の部分はサツキにたった一つのことを命じていた。すなわち――はやく“ここ”を、空っぽにしろ、と。
(……はあ……やっぱり、あんなの飲むんじゃなかった……)
 思い返すのは、祖母がつくる生姜紅茶。女の子が身体を冷やしちゃいけないと、親切心から進めてくれるのは分かっていたが、さして頑丈な神経をしていないサツキの身体は、冷え性予防の生姜紅茶の利尿作用をモロに食らい、ひとくち口にするだけでてきめんにその効果を受けてしまう。
 どちらかというと繊細な排泄器官は、あっという間に身体から抽出された水分でいっぱいになり、あっさりと音を上げてサツキにトイレを急かすことがしょっちゅうだった。
 試験期間中はやめておこうと思ってはいたものの、惰性のようになったいつもの習慣と、祖母の笑顔を遮ることができず、サツキは今日もティーカップ一杯、たっぷりと口にしてしまっている。つまりそれをあわせれば、都合400ml余りの水分が、サツキの身体に染み込んでいた。これにさらに、昨晩からの分までもが加わるのだ。
(だ、だからそんなこと考えてる場合じゃ――)
 しかし、一度そんな風に感じてしまうと、まるで自分が水の塊のような気がしてとてもではないけど落ちついていられない。何しろ人間の80パーセントは水分だという。だからつまり、サツキの体重の8割、どう少なく見積もってみても30キロ以上の水分がサツキの身体を循環していて、それが刻一刻と毛細血管を巡り全身を行き渡って、健康な循環器を通過してろ過・凝縮されて身体のある1ヶ所に溜まってゆくのだ。
 今ガマンしているおしっこの、60倍近い水分がサツキの身体を流れている。つまり、『おんなのこ』が限界を訴える量の、60倍ものオシッコの素が全身を巡っているのだ。
(っ……ぅぅっ、と、トイレ……っ)
 生姜紅茶の作用はてきめんだ。いつもなら朝出かける前と、ホームルームの後と、さらには1時間目の後の休み時間。それぞれゆうに3回分はトイレに通い詰めてようやくすっきり解放される程度のものなのである。そのうちの朝、出かける前のトイレと、ホームルーム前のそれを禁じられて、そろそろサツキの尿意は無視しがたいものになりつつあった。
(う、く……)
 いつしか、頭の中はトイレのことで一杯になっている。
 シャーペンの先はもう10分も前から止まったまま、抜けの多い回答欄の上で小刻みに震えていた。いつもならもう少し、せめてあと数問はましなはずの回答欄が、全然埋まってくれない。
 無機質に針音を刻む時計をじっと睨み、サツキはぐっと下腹に力を篭める。気付けば試験時間の半分は過ぎ、そろそろ後半戦に差し掛かっている。配分としては3枚ある問題のうちの3枚目に取り掛かっていなければならないが、まだサツキのペンは2枚目の最初で足踏みしたままだ。
(あと20分――たった1200秒よ。すぐに済むわ。それより今は集中、集中……!!)
 この現代国語のテストが、気を散らしさえせずにじっくり取り組めばそれほど難易度の高い問題ではないことをサツキはこれまでの経験から熟知している。きちんと問題を読んで、ちゃんと回答に集中しさえすれば、それでいいはずなのだ。
 雑念を振り払おうと頭を振るサツキだが、頭の一部は熱っぽくも冷静に、そのことに支配され続けている。
「ん、っ……」
 小さな苦悶が、もぞりという身じろぎと一緒になって、静かな教室に響く。同時にぎしっと椅子まで軋み、担当教諭は神経質に眼鏡の奥からサツキのほうを窺う。
 些細な不審は、下手をすると不正行為と思われかねない。余計な詮索をされぬよう、サツキはただ顔を伏せて、目の前の試験問題に集中しようとする。
 けれど、下腹部に満ちた苦痛の原因はそれを許さない。
 握り締めたシャーペンの先が不安定に揺れ、問題文を追っていた視線はどの行までを読み終えたのかも分からなくなる。
 少女の体内で次第に膨らみ、ゆっくりと張り詰めて、下腹部のなかで存在感を主張し始めた膀胱は、敏感で繊細なサツキの自律神経を刺激した。『おんなのこ』は既に音を上げ、これからなお20分という時間、おしっこを保管しておかねばならないという状況に抗議の声を繰り返している。
 それをねじ伏せ、集中を欠くことなく難関のテストに挑む。たとえサツキがクラス成績上位の常連であったとしても、相当に難しい問題だった。
 押さえこもうとすればするほどに太腿はせわしなく動いて、椅子の天板の上で座る位置がずらされる。
(我慢、我慢よ……トイレなんか――後っ!!)
 切なくも激しい欲求は、絶えることなくテストに苦悶する少女の下腹部を執拗になぶり続けていた。





「――よし、そこまでだ。終了」
 教諭の声にサツキは我に帰った。鳴り響くチャイムと、わずかに弛緩し安堵した空気。
 ついさっき、確認したばかりの時計が、気付けば大きく動いている。のこり10分のはずの時間を飛び越えて、現国の試験は終わっていた。
 かち、かちと、秒針が黒板の上で時間を刻む。
 それは同時に――サツキの意識に滑り込んだ無意識の空白が、貴重な期末試験の時間を大きく削り取ったことを意味していた。
(……全然、できなかった……っ)
 時間とともに、まるで見えない何かで削り落とされてしまったような、虫食いだらけの解答欄を晒す答案用紙を、回収の手にゆだねながら。サツキは小さく唇を噛んでいた。
 ちょっとくらいトイレに行きたくてもどうってことない。ちゃんと集中さえすれば――。
 そんなことを考えていた自分がどれほど甘かったかを、サツキは思い知る。下腹部に熱く重く膨らんだ水風船を抱え込むことによる身体の不調は、そのままダイレクトに思考能力にブレーキを掛け、平常心すら失わせていた。読んだ問題文が眼に入らず、自分がどこまで回答したかもわからなくなる。デジャビュにも似た錯誤を何度繰り返してしまっただろう。
 それでも、とりあえず解答欄さえ埋まっていれば、儚くも一抹の望みを託すこともできるだろうが――空欄となれば正答の望みはまったくない。おそらく、今回の現国の試験は、生涯稀に見る悲惨な出来となるだろうことは、想像に難くなかった。
 答案を回収し終えた教師が、号令をあとにして教室を出る。
(と、とにかく今はトイレ!! 混んでるだろうし早くしなきゃ。次の時間までなんて、我慢できない……っ!!)
 後ろ髪を引かれる思いは多々あったが、もう振り返ってもどうしようもないことだ。試験前ということでいつも以上の混雑が想像されるトイレに急ぐべく、サツキは椅子の脚を鳴らして立ち上がる。
 が。
「ねえ、サツキどうだった? あたしもう全然ダメでさー」
「えっ……そ、そうね」
 いつも以上に距離を近く、チエリがサツキの傍に寄り添ってくる。あまりの至近距離に、不審を気取られまいと緊張したサツキのかかとが、床上で小さくたたっ、とステップを刻む。
 ぞわりと立ち昇った感覚が、下腹部からゆっくりと股間の先端へ、むず痒い熱を響かせた。
「んくっ……!」
 熱い雫がまさにその『出口』近くに押し寄せる感覚に、サツキは思わず息を飲む。
「なんか、調子悪そうだったよね、サツキもー。あれ難しいからしょうがないけどさ、あはは」
「う、うん……」
 チエリから見えないように、スカートの裾をぎゅうと握り締めたサツキはそう答えるが、返事はまるで上の空だった。心は既にまだ見ぬトイレへと飛び、そこで順番を待つ自分を思い描いている。
 チエリの口調から、サツキはテスト時間中に何かに気付かれたのではないかと不安を抱きつつも、それを誤魔化すための方策を必死に考えていた。
 その一方で、スカートに包まれた内腿にはぷるぷると力の篭り、硬く張り詰めている。その付け根の下着の布地に包まれた敏感な排水口から、熱く迸りそうになる水流を押さえ込むために厳戒態勢だ。
「――ねえサツキ、コレあげるよ」
 まったく唐突に、にこにこと笑顔で、チエリは隣にいたアキから小さな紙パックを受け取り、ひょいとサツキに差し出す。
「な、なによ……コレ」
「差し入れだよ。サツキ、喉渇いてるでしょ?」
 それは、200ml入り紙パックのコーヒー牛乳と、レモンティ。どちらも校内の自販機で売られているものだ。チエリは困惑するサツキの手の中に、無理矢理その二つを握らせる。
 紙パック越しにも良く冷えいるのが分かる二つの飲料は、確かにむしむしと篭った教室の中では、喉を潤すには最適だと言える。
「緊張すると喉乾くよねー。あたしはさっき飲んだからさ、サツキにあげる。いっとくけどおごりだよ? さっきのお詫びも兼ねて、ね」
 しかし、明らかに作為的な『コーヒー』と『紅茶』という尿意を呼び寄せるラインナップは、どう繕ってもその裏に意図を勘繰らせてしまうものであった。いまなお苦しむサツキの『おんなのこ』に、更なる不安をもたらす為のチョイスとしか思えない。
「え、でも……」
「眠気覚ましにいいよ? あたしも夜とかに良く飲むんだ。眠れなくなっちゃうこともあるけどー」
 だが、邪気のない顔でチエリにそんな事を言われると、サツキも強くは切り返せない。乏しいお小遣いをやりくりする学生の身分での飲み物のおごりは、それなりに重いものでもある。
「で、でも今――その、ほら、ちょっとダイエット中で……」
「いいじゃん。ちょっとくらい。ね、甘いものあると頭も疲れないよ? あたし本当に反省してるんだ。サツキのことも考えずにさ、なんか嫌なこと言っちゃったって……」
 口を突いて出たのは、拒否の言葉。しかしチエリはあくまで親切心からというスタンスを崩さず、抵抗しようとするサツキに紙パックを押し付けた。
 いつの間にか、サツキはチエリと友人たちに囲まれている。一見、テストの出来を慰めあうようなクラスメイトの語らいは、その実サツキを閉じ込める檻だった。
「遠慮しなくていいってばぁ。もぉ、サツキならそれくらい、余裕でしょ?」
 その中心でチエリに迫られ、ますますサツキは追い詰められていた。
 手の中に感じる、冷たいコーヒー牛乳とレモンティ。そのどちらもが文字通り、更なる苦難の呼び水となるものだ。
(こんなの飲んだら、もっとトイレ行きたくなっちゃう……)
 ただでさえ今朝からの尿意で敏感になっている下腹部には、軽く口にした想像だけでも辛い。
(で、でも……)
 せっかくの和解の証を、この状況で断るということは、友人たちの面前でチエリとの全面対決の姿勢を見せるということに近い。チエリのほうが深く反省し、折れてくれている状況でのそのような対応は、さすがにわがまま――あるいは、オトナではないものと言えた。
 だから、サツキは精一杯の笑顔で、それをうけとる。
「う、うん……ありがと」
 チエリの笑顔の裏側に、陰湿な邪気が混じっていることにも、気付かないままに。
 サツキはコーヒーの紙パックを受けとると、一瞬躊躇してからその飲み口にストローを指しこんだ。
(っ……、なんでもない、なんでもないのよこんなの。全然、大したことじゃない。ちょっと飲んだくらいで、もう子供じゃないんだから、ちゃんと我慢できるはずよ……これくらい)
 覚悟を決めてストローに口を付けたサツキは、そのままごくごくと中身を空にしてゆく。
 そう、要は考え方の問題だ。
 いくら利尿作用の強いコーヒー飲料とは言え、飲んだすぐ傍からいきなりオシッコになるわけもない。摂取した水分が吸収されるのは腸であり、そこまで到達するにはどうしたって時間がかかる。これからトイレに行くサツキには、あまり関係のない問題――の、はずだ。
 だから大丈夫。だから耐えられる。
(……っ、ふ、はっ……)
 少しずつ軽くなってゆく紙パックを感じながら、サツキは理性を総動員してそう考えようとした。決して今すぐ限界が来て、恥骨の上のダムが決壊してしまうなんてことはない。あり得ない。だってもう、サツキはとてもじゃないけどオモラシをするような年齢ではない。
 そりゃあ、驚いたり、体調の問題で、トイレが非常に近かったり、上手くいかない子が現実問題、いるのは分かる。けれどサツキはそうではないし、なによりもただ単純に、『トイレに行けないうちに、オシッコが我慢できなくなって、オモラシ』なんてありえない。
 小学生か、それこそ幼稚園の子なら分からなくもないけれど、サツキは違う。断じて違う。断じて、オモラシなんかをしていい年齢じゃない。許されるわけがない。
(っ、んぅ、ふぅ……ぅっ)
 時間をかければかけるほど、どんどん辛くなることを悟ったサツキは、ストローを大きく口に含むとそのままパックを握りつぶすようにしてぐいっと吸い上げ、半分ほど残る中身を一気に喉奥に流し込む。
「ぷは……っ」
 わずか200ml――しかし、まるで鉛を飲み込んだように、サツキの腹部は重くなっていた。既に満水の貯水池が、またぐんとその貯水量を増したかのようだ。
「すっごおい。やっぱ喉乾いてたんだねサツキ。もう一本飲むよね?」
 言うが早いか――チエリはもうひとつのレモンティにストローを刺しサツキに差し出した。有無を言わせぬ口調に、サツキは反射的にそれを受け取ってしまう。
「あ、あの……」
 だが、今の200mlでもかなり厳しかったサツキには、もはやこれ以上余計な水分を体内に吸収することは禁忌と言っていいほどに苦痛だった。今こうしている間にも、重くなった胃袋から直接、オシッコが精製され、膀胱に流れ込んでいるような錯覚すら覚える。
 わずかな水分を口にしただけだというのに、小さく足が震えだし、サツキは小さく腰を揺すり始めてしまう。
 しかし――サツキの背中にはユミやアキの視線が集まり、楽しそうな話題が響き合っていた。まるで見えないカーテンが、サツキの机を周囲から遮ってしまったかのよう。
 まるで、サツキがレモンティを飲むことは当然という空気が、そこにあった。
「次、数学かぁ……自信ないなぁ」
「わたしもだってば。あー、全然勉強してないしっ」
 サツキはちらりと後ろを見る。さっきから気になる時計の分針は、既に休み時間の半分ほどを過ぎていた。もはや時間の猶予もなく、ちりちりと高まって差し迫った尿意は、至急トイレに向かい、然るべき行為を済ませろと少女を急かしていた。
(……しょ、しょうがないわ……余計なこと言って、またこじれちゃうのも嫌だし……)
 さっきみたいな妙な雲行きで、トイレに行く貴重な機会をこれ以上奪われることだけは避けねばならない。
(だ、だいじょうぶ、あとちょっと、飲むだけだから……)
 たった200mlで猛烈に効き始めたコーヒーの心理的効果を、あえて無視するように、受け取ったレモンレィをこくり、と口に含む。
(飲んだら、すぐにトイレ行って……それで、ちゃんとテスト、受ければ……)
 むずがる脚の付け根の奥の『おんなのこ』をなだめ、サツキはゆっくり慎重に、ストローを啜る。あと少し、あと少しと自分に言い聞かせながら水分を摂取するその行為の本質は、表面張力で盛り上がったコップの縁に、水滴を注ぐようなものだとも気付かずに。
「んっ……」
 びくん、と下腹部の緊張に思わず喉が震える。
 こぽこぽと音を立て、下腹で硬く張り詰めた貯水池が揺れる。まるで身体全体が水分の摂取を拒否しているよう。あるいはそれも、すぐに訪れる苦痛を避けようとする少女の身体の防衛本能かもしれない。
 頭がぼうっとしている。ちゃんと思考は冷静なはずなのに足元がふわふわして、じんじんと疼く下半身がそのまま頭にどくっどくっと血を送り込んできているようだ。
 いや、実はこの音もひょっとしたら心臓の音ではなく、おなかに集まる恥ずかしい熱湯の脈打つ音かもしれない。だってサツキは1日に何回トイレに行くのだろう。1回の量なんて考えたこともないけれど、少なくともいつもなら朝起きた時とホームルームの前、それに1時間目の後の休み時間。それだけの分のオシッコが、サツキの身体から排出されているはずだ。
 でも、今日はまだ1回もそれをしていないのだ。
(は、はやくしなきゃっ……)
 一刻も早くとトイレをせがみ、水分の体外への放出を訴える身体とは裏腹に、サツキはその正反対の行為に没頭していた。
 だから、いつしかアキやユミの囁き交わす声が、くすくすと潜められた嘲笑に変わっていることにも気付かない。チエリがさりげなく、サツキの行く手を塞いで、教室から動けなくしていることにも気付けない。
 そしてとうとう、サツキがレモンティの紙パックを空にするよりも早く、高らかに予鈴が鳴り響く。
(え、ええぇえ……っ!?)
「はあい、席についてー」
 2時間目の試験の開始を告げる、試験担当の教諭の声とともに。
 更なる苦痛の第2ラウンド、長い長い数学の50分が、またも幕を開けた。



 (初出:書き下ろし)
[ 2009/04/04 22:24 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)

テストのお話・1 

 
 時計の針は8時14分。いつもと変わらぬクラスメイトが集う教室は、まもなく始まる朝のホームルームを前に、いつにないざわめきをみせていた。
 いつも時間ぎりぎりまで練習をしているソフトボール部も、遅刻常習犯の最前列の生徒たちも。普段なら見ない顔ぶれが教室のそこここに着席し、あるいは近くの友達の机に集まって、ぺらぺらと教科書に参考書をめくっている。
 まもなく始まる期末試験の3日目を前に、言葉にしづらい緊張と、奇妙な熱意が教室を取り巻いていた。
「ねえ、今日どんな感じ? あたしもう全然自信ないよぉー」
「あたしも全然。昨日も途中で遊んじゃってさ」
 そんな教室の片隅で、参考書をぺらぺらとめくりながら姦しくお喋りに興じている一団がある。
「わたしなんか徹夜だよ? もーどーにでもしてーって感じで」
「選択問題多いといいけど……」
「一時間目、現国でしょ? それ絶対ないってば」
 無慈悲に進む時計の針を前に、最後の復習をしている――わけではない。形こそ教科書にノートを広げているものの、彼女たちの話題は、諦めと愚痴に満ちていた。
 試験を前に、ポジティブにいられる人間はそういない。どちらかと言えば下から数えたほうが早い成績となれば、なおさらだ。そんな意味でゃ友人たちのぼやきも、許容できないわけではないけれど。
(そんなこと言ってる暇あるなら、ちょっとでも何か覚えればいいのに……)
 村瀬サツキには、口々に勉強していない、分からない、もうだめと繰り返す友人たちの心境が理解できなかった。入試とは違って試験範囲がはっきり分かっている学校の試験など、最後の最後まで全力を尽くして試験範囲に眼を通しておけば、それだけで何点か変わってくる。
 無理に勉強しろとは言わないけど、初めからそれを放棄してしまうのはもったいない、と思うのだった。
「あーあーあー、もう時間ないよー。こんども終わりだーっ!!」
「うぅ、どうしよう、こんどこそ赤点かも……」
 そんな事を言いながら、まだホームルーム前だというのにさっさと教科書をしまってしまう。結局、彼女たちも本当の意味で困っていないのだろう。溜息とともに、サツキはノートを広げ、もう一度最初から目を通してゆく。
「あー、もうダメ。諦めよ、ね?」
「うんー」
「一緒に補習うけよーよ、ね? ねえ、サツキもそうでしょ?」
 不意に話を振ってきたのは、先ほどからお喋りの中心にいた宮藤チエリ。サボりと遅刻の常習で、先生からもあまり快くは思われていない。アキやユミと一緒に成り行き上、一緒に遊んだりする友達ではあるけれど、どちらかと言えば正直、サツキには苦手なタイプだあった。
「サツキも諦めなよ、もうそんな無駄なことしたってダメだってばー? ねー?」
 よほど自信がないか、少しでも仲間がほしかったのだろう。チエリはサツキの机の上を見てそんな事を言う。
「でもほら、まだ時間あるし……」
「いいじゃんそんなの。いまさら遅いってばー」
 チエリに応ずるようにそうだよ、そーだよ、と声が繋がる。
「わたし全然勉強してなくてさー。全然ダメなの、ほんと自信ないんだってば。サツキー」
 口ではそう言いながら、実のところチエリの成績はそう悪くはない。どちらかといえばこれはポーズのひとつで、『全然勉強してないのに、けっこう頭のいい自分』を演出するためのものだ。彼女のそういうところが、サツキは好きになれなかった。
(一人でやるのはいいけど、周りまで巻き込まなくてもいいじゃない……)
「ねえほら、サツキ、悪あがきやめよーよー」
「ちょっと、やめてよ」
 チエリはサツキの机に近づいて、ぐいぐいと教科書を奪おうとする。一応、じゃれ付いた雰囲気を出してはいたが、流石にサツキも無視しかねた。軽く口を尖らせ、チエリの手を払いのけて抗議する。
「別にいいじゃない、復習するくらい……勝手でしょ、私の」
「……ちょっとぉ」
 しかし、そうされてチエリの声が不意に深く沈んだのは、サツキの予想の外だった。
「なんか感じ悪くない? サツキってば」
「べ。別にいいじゃない。成績悪いよりは」
 サツキがそれなりに懸命なのは、理由もある。家庭の事情で祖父母と暮らしているサツキは、奨学金のお世話になっていた。その貸与の条件にはさほど厳しくはないが成績の基準もあり、それをクリアしておかないといろいろと不都合があるのである。
 もっとも、そんなことで余計な同情を買いたくもなかったので、そのことは誰にも話していない。
 だが――チエリにはそんなサツキの成績に拘っている姿勢が、酷く腹に据えかねたらしかった。
「ねえ、サツキって昨日もしかして勉強してたの?」
「え……なにそれ」
 質問の意味が分からず、サツキは思わず聞き返した。1週間も前から部活も休みになり、試験期間に入っているのだ。いくら適当な生徒でも、この期間くらいは普通、それなりに勉強はするものだ。
「そりゃ、したけど……。てゆうか普通するでしょ、試験前なんだし」
 だからサツキは、普通にそう答えてしまっていた。だが、次の瞬間の不穏な空気を、サツキは肌で感じ取ってしまう。
「えぇー!? なにそれっ。サツキぃ、ちょっと空気読んでよ~」
「ホント。やな感じ。自分だけ優等生ぶっちゃって」
「……な、なによ、悪い?」
 いきなり爆発した批判にわけが分からず、反射的に言い返すサツキ。それはサツキにはごくごく普通の回答だったのだが、チエリたちの感情を逆撫でするには十分なもので、場の雰囲気はさらに険悪なものとなる。
「……ふーん、そーゆう態度取るんだ。なんかさ、村瀬ってちょっとさ、……ねえ?」
「言えてる。もう少し回りの事考えなって言うかさ」
「あたし達のことなんかどうでもいいってこと?」
 酷く乱暴な理論――のように、サツキには思えた。しかし、そう思っているのはどうも、周囲でサツキだけらしい。いつしか付近にはチエリの友人たちVSサツキ、という構図ができつつある。
「て、テストなんだから勉強するくらい普通じゃない。違う? わ、私だって別に普段からそんな真面目じゃないし――」
「へぇー、それってさ、自分は勉強しなくてもあたしたちより頭いいって言いたいの?」
「ち、違っ……そんなこと言ってないじゃないっ!!」
 チエリがますます視線の温度を下げて行く。どうして彼女の機嫌を取らねばならないのかという理不尽も覚えながら、サツキは言葉を継いで説明を追加した。
「そういう事じゃなくて……別に、いい子ぶりたくて勉強してるんじゃないし、その、あんまりひどい点だと……困るからっ」
 しかし結局、奨学金のことは言い出せず、曖昧な抗弁になってしまう。そんなサツキの言葉尻を捕まえるように、チエリは言い返す。
「なによそれ……それさ、あたし達が頭悪いっていってんの?」
「そ、そんな――」
 とうとうサツキが立ち上がろうとした時だ。
 がらぁ、とドアが開き、担任の教諭が入ってくる。少し遅れてホームルームの鐘が鳴り響く。
「よし、席に着けー。おら、時間だぞー」
 なし崩し的に、サツキの周囲の友人たちも各々の席に戻る。
 とりあえず妙な話題が中断されたことに、サツキは小さく安堵を覚えていたが――チエリたちの間に燻り始めた火種は、けっして消えているわけではなく、それどころかどんどんと火を起こし、火花を立てて燃えだしていた。
(なんかさ、アレだよね、サツキって)
(かもね。今の、ちょっとどうかなって思う)
(いちおう、言ってることわかるけどさぁ……)
 多くの学び舎で繰り返されてきた、愚かな行い。けれど尽きることないその種火は、徐々に煙を上げ音を立て、大きくなってゆく。
 声を潜めてメモ用紙のメッセージを回しあいながら、気付いていないサツキの背中を見て、少女達が囁きあう。
(いいよ、なんかサツキ、自信あるみたいだから。ちょっとハンデつけてもらおうよ)
(どうするの?)
(んーと、ねぇ)
 今日の連絡事項を告げてゆく担任の声などどこ吹く風。顎に手を当てながら、サツキの背中と――カバンから覗いた、お茶のペットボトルを眺め、やがてなにか見つけたようにきらりと目を光らせる。
(ふぅん。……そっか)
 少女の胸のうちで頭をもたげた悪意は、静かに哀れな犠牲者の足元へと這い寄り、気付かれぬようにしっかりと、サツキの脚に深く絡み付いていたのだった。





「よし、じゃあホームルームは以上。各自今のうちにトイレは行っておけよー」
 挨拶を最後に。担任の教諭が教室を出てゆく。
 1時間目の現国までは5分ほど。サツキが一旦は机に出したノートをぱたん閉じて、席を立とうとする。
「ねえ、サツキ?」
「な、なに?」
 その先を塞ぐように、チエリはすっとサツキの傍に歩み寄った。チエリはまだ困惑しているらしいサツキの前で、軽く眼を伏せ、弱々しげな声を作る。
「ごめんね、なんかさっき、ちょっとヘンなこと言ったかも……」
「え……ああ」
 きゅうに変わった友人の態度に、軽く面食らいながらも、サツキは事態を理解したのか、やがてほっと胸を撫で下ろす。
「ちょっと、イライラしてたかも。なんかヘンな事言っちゃって、ごめんね……」
「そんな……私こそ、なんか、かっとなっちゃって……」
 そう、結局――大本から嫌な子、というわけじゃないのだ。ちょっと、たまに噛み合わないだけで――
(……なんて、思ってんでしょうね、この子)
 深く沈んだ思考で、ちらりとサツキを睨み、チエリはさりげなくサツキに近寄って、手を合わせてぺこっと頭を下げる。
「ホントごめん。わたしが遊んでんのが悪いのにさ、サツキもそうなんだって勝手に思っちゃって……」
「そ、そんな……」
 戸惑うサツキを横目で見ながら、チエリは視線を動かして、教卓の上の時計を見た。たったこれだけのやりとりで思っていたよりも分針が進んでいることを確認しつつ。さらに謝罪の言葉を口にする。
「でもさ、やっぱわたし――」





 ――それから、およそ1分半。
 ようやく離れたチエリを後に、サツキはやや早足で教室を出て行く。その後姿を見送るチエリに、アキが聞いてくる。
「ねえちょっと、チエリ、あんなんでいいの? なんか拍子抜けっていうか」
「ふふ。大丈夫。あれだけ時間稼げば、十分でしょ」
 チエリは振り返ってアキを見、ユミと、他に数名の少女達が、きちんと席を離れていることを確認して、くすりと笑った。
「チャイムまであと2分くらいしかないし。ユミたちもいるもん」
 今頃、サツキはさぞ困惑しているだろう。こみ上げてくる笑みを隠すこともなく、にこにこと上機嫌にチエリは席につく。
「サツキって、結構近いじゃない、おトイレ。なんかあれさ、前に聞いたんだけど、家でそう言うお茶飲まされてるんだって。お通じにいいってアレ」
「へえ……そうなの?」
 休み時間に連れ立ってトイレに行くのは女子の風習みたいなものだが、トイレに行ったからと言って誰も彼も必ず個室に入るわけではない。お喋りや身だしなみのチェックだけで戻る子も多いのだ。
 そんな中、サツキは必ず、いつもトイレで個室を利用しているのだった。
 だから――たぶん、今はきっと困っていることだろう。
 授業前には必ず済ませているトイレの前に、ずらりと並んだ順番待ち。ユミ達のおかげでいつもの倍以上の利用者がいるトイレでは、とても一時間目開始前に間に合うはずがないのだから。
 チエリはふとその光景を思い描き、それからアキに言った。
「ねえ、たぶんサツキ、困って帰ってくると思うからさ。自販機でさ、コーヒーと紅茶買って来てよ? せっかくだからたっくさん喉を潤してもらおうよ。テストでいい点が取れるようにさ」
「了解~」
 暗い感情を覗かせながら、少女たちはくすくすと囁きあう。
 まもなく、チャイムの鳴るほぼ直前に、ユミたちに連れ立って微妙に晴れない表情のまま戻ってきたサツキを見て――チエリはますますその笑みを深くした。



 (初出:書き下ろし)
 
[ 2009/04/04 22:22 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)

謎の競技の話。 


 最初は女の子たちが謎の状況でくじ引きでトイレの順番待ちをしてるってだけの妙なシチュエーションを書くだけの予定が,だんだん変な方向に。





 そこは大きな、まるで体育館のような部屋だった。
 屋外ではないことは、空を覆う天井と、小さな窓から夜空が覗いていることでわかる。見上げる天井も高く、端までは大きく、バスケットのコートどころかサッカーグラウンドですら入ってしまうのではないかと思うほどに、広い。
 そこが何のための設備なのかは、一見してわからない。ワックスを掛けられた板張りの床は段差も継ぎ目もなく、軋むこともなかったが、さりとてその上に何かのスポーツの試合場などが用意されているわけでもない。
 確かに、床には白いテープが何かを示すように張られ、この会場を用意した人間の意図を知らせている。しかしそのテープが作るのは、細長い四角。
 そう、まるで駅のホームにある、車両ドア前の列を作るためのガイドにも似ていた。
 そして事実、そのガイドに従うように、多勢の少女達が列を作り、並んでいた。

「っ、くぅ……」
「ぁあぅ……っ、」
「はあ、はぁっ……」

 少女たちは一様に顔を曇らせ、悲痛な表情を浮かべていた。その脚は硬く閉ざされ、姿勢は前屈み。いまにも倒れこんでしまいそうな者や、顔をうっすらと赤くして、息を荒げている者もいる。
 年齢はみな一様で、さしたるばらつきは見つからない。まるでどこかの学校の一学年をそのまま抜き出してきたようだ。それを証明するかのように、少女たちは同じ服装をしていた。
 やや厚めの生地の、白いTシャツと、深い紺色のスパッツ。
 誰が見ても納得の、体操着である。流石にこのご時世、もはや化石を通り越して骨董価値をもつようになったブルマを身につけていることこそないものの、下半身を覆う薄い布地は、健康的な少女の脚をしっかりと包み、その柔らかな曲線を綺麗にトレースしている。 
 いまはぎゅうっと閉じ合わされた内腿と、その上にくいと切れ込んだ股の付け根のささやかな食い込みも、しっかりと覗かせるほどだった。そこから、少女達が当然その下に穿いているはずの下着を身につけていないこと、競技用のスパッツには当然あるはずの、股間を保護するパッドの縫いこみもないことが見て取れる。
 そしてまた――ばらつきのある中で特に発育の良い少女の胸元に眼をやれば、その体操着の胸元を押し上げる胸の膨らみを保護するブラも、また少女たちには許されていないこと分かる。
 ブラに限って見れば年齢を考えればそのような少女がいてもおかしくない世代ではあるが、それにしても全員そろって、おまけに下まで、体操着以外をなにも身につけていないというのは、いささか異常な状況である。

「ぅ、あ……く……」
「っふ、はぁ、はあっ、……ぅああぅ」

 体操着そのものにも、異常はあった。ふつう、胸に記されるのは、古式ゆかしくクラスのナンバーか、あるいは昨今の防犯事情から目立つものは何もなく、裏地に小さく名前を記す程度のもの。
 しかし、少女たちの胸には確かにゼッケンのようなものがあったが、そこに記されているのは共通性のないただの数字だけだった。ぱっと見たところ3桁以上のものはなく、そして同じ数字を振られている少女もいない。それだけ見れば、たとえばマラソンの選手番号にも見えるかもしれない。
 だが――その数字は、やけに偏っていた。300番台から、400番台――時折500番台が混じり、ごくごく稀に600番台、700番台前半の番号が見える。800を超える番号はほとんど見当たらず、逆に200番台の前半や100番台もまた、ほとんど見つからない。
 まるで何かの成績のようだが、少女たちの様子とその番号が付随している様子もなかった。番号が大きいから皆苦しげなのかと言うとそうでもなく、その一方で小さな番号でも今にも倒れてしまいそうにふらふらな少女もいる。
 そして――少女たちは同時に全て裸足だった。体育履きどころか、ソックスまで脱がされた剥き出しの脚のままでいた。まだ季節的には十分に冷えるこの時期の夜中、広い広い板の間に立つには、少々辛いものがあるだろう。
 思わず爪先立ちになってしまうのは、そのせいだろうか?
 しかし、少女達が小さく声を上げながらも切なげに身をよじり、ふらふらと危なっかしく身体をゆするのには、他にも理由がある。
 少女たちの手は、皆、誰一人の例外もなく、背中で細い紐を使って、しっかりと縛られていたのだ。ちょうど腰の上、肩甲骨の下、『背中に手が回る』の言葉を文字通り体現するかのように、少女たちは両手の動きを完全に封じられている。
 ただでさえ冷たい板の間で歩きづらいところに、手まで縛られて――うまくバランスを取るのは至難の業だ。おまけに、並んだ列にいる皆が一様に同じ格好をしているため、誰かがふらつけば他の誰かにぶつかったり寄りかかったり、ちょっとしたことで次々連鎖的に倒れてしまいかねない。
 手を使わずに起き上がることは、このまま立っているよりもさらに難しいことを、少女たちは知っている。

「っ、あ、はあ、は、はっ」
「ね、ねえ、は、はやく――お願い、はやくして……っ」
「もぅ、ほ、ほんとうに、だめ、なのぉ……っ!!」

 身体をくねらせる少女のうち、列の先頭のほうにいる少女たちが、小さく唇を震わせて懇願する。
 その視線の先には、制服姿の数名の少女が、小さなテーブルについていた。体操着の少女たちとさして年齢のかわらない彼女たちは、しかし幾分大人びた雰囲気で、いかにも多勢の前で喋るのに慣れている、と見える。
 その保障のように、制服の片袖にピンで留められた腕章には「生徒会執行部」と記されている。そのことが、多くの少女たちと、その向かいに立つ制服姿の少女たちの間に、明確な差をつけているようだった。
 列を作る少女たちは一見、順番を待つかのようにもみえる。しかしその先頭の少女が何かを許されているかというとそんなこともなかった。他の体操着姿の少女たちとまったく同様、腕を後ろに縛られたまま、腰を震わせての前傾姿勢だ。
 もはや、彼女たちの『オシッコ我慢』は限界に達しつつあるのは誰の眼にも明らかだった。



 そんな状況の中、机に座る制服姿の少女のひとりが、隣の少女に軽く視線を向けた。制服姿の少女たちは何かを確認するように小さくうなづきあってから、その中の一人がパイプ椅子を引いて席を立つ。
 一斉に、体操着姿の少女たちの視線が、そちらに集中した。一つ一つの言葉を聞き取れない、騒音にも似たかすかなざわめきが起こり、広い室内に浸透してゆく。
 そんな注視の中、まったく気にする様子もなく、席を立った制服姿の少女は卓上のマイクを取り、軽く音響のオンオフを確認して、口を開く。

『皆さん、長い間ご苦労様でした』

 わずかにハウリングの残る声が、大きな室内に反響する。部屋のどこにいようと関係なく届く、無視もスルーもできない、まるで命令のような声だった。
 それに従い、体操着の少女達が小さく身を震わせる。脚を深く『く』の字に曲げ、まるで柔軟体操のような姿勢。けれど、緊張に硬く強張った少女たちに余裕の色は見えない。
 ご苦労様と言われても、それで彼女たちが苦痛から解放されるいるわけではない。現在進行形で激しくなり続けるさざ波のような排泄欲求に、少女達は背筋にうっすらと汗を浮かべ、熱い吐息を繰り返す。

『まもなく集計が終わります。結果発表までは今しばらくおまちください。……初めに、生徒会執行部より今期の総評を申し上げます』

 どこからか、苦悶のような声が上がった。
 そんなことはいいから早く! という一同の強烈な視線を、まるで風を受け流す柳のようにあっさりと流して、生徒会の少女は一度、手元の目録に視線を落とし、再び顔を上げる。

『今期の測定では、記録を更新された方々はかなり少ないものとなっています。全体的に伸びは低下し、昨年までの状況に比して、特に上位の伸びが著しく低下していることが、集計結果に現れています。一方で下位成績者のなかには努力を放棄するような姿勢もみられ、各委員会からも厳しいご意見をいただきました。また測定中の規律にも大きな乱れが見られ、学院生徒にはあるまじき姿を晒した生徒も少なくありません。……今一度、“貞淑なる乙女”たらんとするものの集う本学院の本分に立ち返り、より一層の向上をはかることが急務と思われます』

 生徒会の少女は、良く通る声で淡々と総評を読み上げてゆく。
 寄り添う少女達の多くは、けれど半分上の空で、一刻も早く順位発表に移って欲しいとただその一念を繰り返していた。なかには本当に口の中で小さく、はやく、はやくとつぶやき続けているものまでいる始末。
 ただ、ぎゅうっと下半身の一箇所、熱い水流の渦巻く場所の出口を閉ざしているだけで、余裕や節度といったものは微塵も感じられない。
 そんな有様であることも、生徒会の少女たちには嘆かわしいものに映る。これがかつて戦前は県下随一の偏差値を誇り、かの霧沢と並んで全国にその名を示した聖ユリアン女学院の現在なのだ。
 来年度から実施が予定されている強化プログラムの執行も、これではしかたないことかもしれない。そんな、諦観にも似た共感が、生徒会の少女たちの間に広がる。なによりも先に立って、かつての栄光の復権を目指す生徒会の前には、重くも遠い道のりがあることが改めて感じられた。

『それでは、これより上位成績者の発表を行います。
 ――順位の発表の前に、再度、順位と賞品の確認をいたします。まず第1位。校舎一階、西館トイレ、4番目の個室の鍵』

 ざわぁ、とまるでうねりの様にざわめきが膨れ上がった、その一言だけで、これまで小さな静寂を保っていた広い室内に、喧騒にも似た騒音が巻き起こる。
 これまでの長い長い我慢が報われる瞬間を前に、体操着の少女たちに落ち着けというのが無茶と言うものだった。彼女達は皆、全校生徒の面前でのオモラシという最低最悪の結果を回避するためだけに、脚を寄せ合い腰をよじって、必死に耐えてきたのである。
 それに加えて1位の賞品内容はまさに破格。どれだけ占領しても、どれだけ思う存分使っても構わない、自分専用のトイレが与えられるということだ。これはおよそ一週間にわたり、学院で誰も手に入れられなかったものである。
 気兼ねなく思う存分に好きなだけオシッコのできる、そのための専用の場所――どれほど焦がれて、どれほど恋しかったことか。喉から手が出るほどに欲しいまさにその場所が――1位の賞品だという。何十時間にも渡るガマンの果てにそんなものを示されて、これでおとなしくていろという方が無理だろう。
 ぎゅうっとスパッツの上から脚の間を押さえ込みながら、体操着の少女たちは誰もが皆、自分が“そこ”を使っている光景を想像する。たとえ絶対に1位なんてありえないことが分かっていても、そうせずにはいられない猛烈な衝動が、いまなお下腹部に激しくこみ上げているのだ。想像の中で、400人近い少女たちのオシッコが、一斉に校舎一階、西館トイレ4番目の個室の中へと流れ込んでゆく。
 怒涛のような熱気のうねりを前にして、しかしマイクを取る生徒会の少女はまるで動じず、賞品説明の補足を付け加える。

『言うまでもありませんが、賞品は一人でしか使用できません。規約に違反した場合、入賞資格とともに賞品も剥奪になりますので、ご注意ください。その場合、繰り上げ当選などもありません。
 続いて第2位、こちらのシビンです』

 言葉に従って、生徒会の腕章をつけた少女の一人が、高々とガラスの容器を掲げて見せた。1位の待望のトイレから、2位にいきなりのランクダウンを宣言され、落胆と悲痛の声が湧き上がる。
 そう、確かにこのガラス容器も、オシッコを済ませるためには問題なく使えるもので、そのために用意されたものだ。もともとの用途から異なるそこいらの缶やペットボトルなんかに比べれば、遥かに遥かにマシなのだが。
 しかしせめて、2位ならば、準優勝ならば。“おまる”くらいはあるかもしれないと思っていた少女たちには、あまりにも辛い仕打ちだった。
 なにしろこのシビンは透明なガラス製の容器。無論ながら男女兼用のようなちゃちなものではなく、ちゃんと思春期を迎えたばかりの少女の身体に合わせてにつくられた特注品である。だが、それでもトイレとはまったく違う。たとえカーテンの裏側や物陰などに隠れてこっそり使ったとしても、その透明な容器にたっぷりと注がれた、恥かしい液体の様子も量も色合いもなにもかも、余すところなく見られてしまうのである。
 賞品内容として上げられたのはシビンのみで、それの使用時、あるいは使用後に、中身をどこかに処分するための権利は付随していないことが生徒会から強調される。予想通りのことではあっただろうが、少女たちはさらに悲鳴を上げた。
 つまり、あのシビンにオシッコを済ませてしまったが最後、それをずっと持ち続けていなければならないというわけだ。

『3位は携帯トイレ。ごく標準的な、市販のものです』

 体操着の少女たちの苦悶をよそに、淡々と解説が進む。
 3位の携帯トイレを見て、少女たちの多くは意外な安堵を見せた。実のところシビンなどといわれるよりは、気分的には遥かにマシなシロモノである。もちろん比較の問題ではあるが、シビンと同じ使用法だとしても、人生でお世話になるかもしれない回数を比べれば、こちらのほうがずっと抵抗が少ないのだ。
 その一方で、緊張に全身を強張らせた少女たちも少なからずいる。顔色を変えた少女たちの胸元の数字は、一様に500を超えていた。
 市販品、つまり一番良く使われるということは、まず標準的な使用方法、あたりまえな使用条件を前提にしている。だからこそ、予定を超えた状況には対応しきれないということだ。
 もっとも、こんなものにオーダーメイドなどないわけだから、仕方のない問題ではある。しかしどれだけ希望的観測をしても、そもそもこの賞品が自分にとって役に立たないことをはっきりと自覚している少女たちにしてみれば、こんなものはまるで賞品たりえないのである。
 もう脚の付け根の出口のすれすれまでやってきているオシッコは、一度出し始めたが最後、途中でとまることなどない。それゆえに、標準的な携帯トイレで最後まで“済ませられない”となれば。余った分は全部外に溢れてしまう。それでは――トイレを使った意味などないのだ。その意味で、まず間違いなく誰でもすっきりと楽になれるだけ、シビンのほうが上等とも言えた。
 折角、苦労に苦労を重ねてたどり着いた上位入賞の賞品が、その実まるきり役立たないなど――報われないにも、程がある。だからこそ、おそらくあの小さな携帯トイレよりも多くのオシッコを、おなかの中に溜め込んでしまっているだろう少女たちは、そのことに苦悶し、表情を青ざめさせていた。

『4位の賞品は、あちらに用意しました』

 次の賞品は、生徒会の手によって示されることはなかった。マイクの解説に促され、少女達はその視線の先に、それを見つける。
 4位、表彰台を外れて入賞のトップに当たるその賞品は、いかにもなイメージそのままの、チープなデザイン。白鳥を模した子供用の“おまる”だった。
 先ほど、いっそもうそれでもいいと思っていた少女たちも、その光景を見て絶句する。どうしてトイレの次あたりに来そうなこの賞品が4位なんて中途半端な順位に用意されていたのか――。
 その理由は、本来、持ち運びができるはずのそれが、部屋のほぼ中央あたりにせり出した大きなステージの上に、高々と設置されていたから。これ見よがしに大きなボルトと金具でステージ上に固定されたそれは、さらにガムテープでぐるぐる巻きにされ、持ち運びをはっきりと禁止されていた。
 つまり、あの遮るもののないステージの中央で、おまるを使えと、そういうことなのだ。いくら緊急避難でおまるそのものを使うことは許容できても、400人を超える視線の中であの赤ちゃんがトイレトレーニングに使うような器具をまたぐとなると、その難易度は桁外れに跳ね上がる。
 もはや、3位の表彰台を外れた者は、評価にすら値しないと言わんばかりの仕打ちだった。

『なお、前後いたしますが努力賞も隣に用意されている金ダライです。努力賞の発表は入賞者の発表後に行います』

 さらに幾分酷いのが、憎らしいほど配慮されたその隣の金ダライ。条件そのものはおまるとほぼ一緒だが、もともとそのための用途に作られていないわけだ。
 生徒会の少女が試しに軽く叩いただけでかぁん、と五月蝿いほどの音を立てる金ダライは、まるで音響増幅器のように、激しく迸り叩き付けられる少女の水流の水音を、受け止めたそのままに、この広い部屋の中いっぱいに喧しく鳴り響かせることだろう。
 それのもたらす苦痛といったら、あのマイクの比ではない。どちらが少女たちを辱め、苦痛を強いるかは言うまでもない。
 しかしそれも仕方のないことだ。努力賞とは努力したことに対し報いるための賞ではなく、より大きな努力を期待するための、一種の罰ゲームに近い。ゆえに、我慢の足りない少女にはそれ相応の大きな羞恥を与えると言うのが、今の生徒会のやり方である。

『5位は、飼育委員会からの提供です。この場を借りてご協力に感謝いたします』

 次にてできたのは、ペット用の室内トイレ。匂い消しの砂が敷かれた猫用のものと犬用のものが用意され、用途に合わせてどちらでも選択可となっている。しかしそんな選択肢を、与えられたところで崖から落ちるのとライオンに食べられるのどちらがマシかというような問いしかない。用途に合わせてなんて、いまにもオシッコの漏れそうな少女たちにとって、使用方法はひとつしかないに決まっているのだ。
 しかも、室内用のペットというのは総じて小さい。それだけにそのトイレもとても小規模なもので、普通に使うにしたってそもそも無茶がある。いくら小柄な少女と言っても、チワワや猫にくらべて、出す量が少ないわけがない。まして今ここにいる生徒の全員は、ほぼ膀胱の貯水量の限界までオシッコをガマンしているのである。明らかに吸収が間に合わないことがはっきりと分かるものだった。
 しかしそれもまた当たり前のこと。5位の商品が、それより上位の賞品よりマシなわけもない。
 ……唯一の救いは、この5位の賞品が4位の賞品のようにステージ上に固定されているわけではないということだろうか。生徒会の補足もなく、それは、少女たちにこのペット用トイレを使ってオシッコをする場所だけは自由であることを保障するものだった。
 もっともその利点も、砂のぎっしり敷かれた重いペット用トイレを、少女の細腕とふらつく脚でどこまでか持っていけることができるというの問題を踏まえたうえでの話なのだが。

『6位は紙おむつです。なお、前回はこちらの不手際で幼児向けのものが用意されておりましたので、今回は成人女性用のものを用意いたしました。きちんと着用の上、ご使用願います』

 そろそろ本当に賞品なのかも怪しくなってくる。確かにオムツにすること自体はオモラシとはやや趣を異にし、違うと言えるかもしれないが、そもそも少女達が今切実に欲しているトイレという場所がきちんとあって、その使い方も分かっているのに、その上であえて、漏れそうなオシッコのためにオムツを穿いて、そこにオシッコをしろなどというのは実に問題外、ありえないことだ。
 前回も今回と同じく6位の賞品はオムツだったが、生徒会の不手際によって幼児向けのサイズのものが用意されてしまった。そのため見事6位に入賞した少女はそれを着用できないという理由を盾にこれ幸いと地面にそれを配置して、そこにオシッコを済ませ、想定とまったくことなる使い方をされてしまったという珍事が起きている。
 これでは、人目から隠れてきちんとシビンなり、携帯トイレを使ってしまうのと大差がなく、持ち運びの許されない4位、5位の賞品よりも事によると上位の賞品と扱われかねないものだった。
 その反省を踏まえ、生徒会はきちんと着用して使用できるものを用意し、権利にもそれを含めてきたのである。

『7位、シャベル。使用敷地は校庭グラウンド内のいずれかとします』

 体操着の少女たちの悲痛な呻きも、そろそろ最高潮に差し掛かっていた。一見まるっきり無関係にも見えるこの賞品、要するにどこでもいいから穴を掘って済ましなさい、ということだ。
 しかもなんとだだっぴろい校庭の、グラウンドの中だけをその対象にするという凄まじい縛りつき。そもそも我慢しながらのへっぴり腰ではまずまともに使えるだけの深さ、大きさの穴を掘りきることもできないだろうし、万一間に合っても、グラウンドの中央でなければならないという制限が同時に発生し、ステージの上での行為よりも酷いことになりかねない。
 第一、自分のオシッコのための穴をいちいち掘るなんて、惨め極まりない思いをせねばならないとなれば、受け入れられる者はほとんどいないだろう。
 なお、こちらも、数年前に砂場を利用した少女がいたため、以後レギュレーションに改定が加えられているのだった。

『8位、西棟三階視聴覚室横トイレの鍵』

 ここで、いきなり具体的に出てきたトイレの配置に、一瞬少女達の間からざわめきが起こる。しかし、そこが男子トイレの場所であり、おまけに個室が全て鍵で封印されているという条件が継いで明かされると、ざわめきは叫びに変わった。
 たとえ男子トイレに入ること自体に抵抗があっても、個室そのものは女子トイレと何も変わらない。それだけならご褒美にも思えるものだが、個室が封印されているということは、使えるのは小用便器か、あるいは排水溝くらいのものだ。そこで用を済ませるというのは、正直に言っても恐ろしいほどの苦痛である。
 8位の賞品に許された自由は、立ってするかしゃがんでするかを選択できる程度のものでしかなかった。

『9位、ポケットティッシュ』

 ここで示されたのはなんとも意地悪なことに、本当にただのポケットティッシュ、それも使い古されてあと残り1、2枚というだけのものがひとつだけだった。もはや限界に近く肩を寄せ合う少女たちの前にそれを堂々と掲げてみせる生徒会も、大したものだといえる。
 確かにいま、体操着のみの着用を許され着の身着のままの少女達は他に何も持たされておらず、後始末に使うポケットティッシュは必須のものだろう。何しろこれまで示された賞品の権利には、1位の賞品を除いてこの後始末という観点がすっぽり抜け落ちている。
 だが、逆にポケットティッシュだけ提示されてもどうしようもないのだ。仮に家庭用のティッシュひと箱ともなれば、出てきたオシッコを全部、染み込ませてしまうという方法もないわけではないが、もしそれが叶うならそれは4位、あるいは3位の賞品だろう。
 9位の賞品に相応しく、少女たちの苦痛の解放には何の助けになるわけもなく、ただ握り締めるくらいにしかならないのである。

『10位、入賞最後となる権利は、我慢権です』

 耳慣れない単語は、しかし体操着の少女たちにはすぐに理解のおよぶところとなった。生徒会が示したのが、彼女たちの備品の鋏だったからだ。つまり、いま背中で固定されたこの腕を自由にしてくれるので、どうぞご存分にぎゅうっと握り締めて、オモラシを我慢なさいということなのである。
 姿勢もポーズも制限なし、まったくのフリースタイル。今は膝の交差と腰のくねりに頼るしかないために、いますぐ両手でそこを押さえ込みたいという猛烈な衝動は、ほぼ全ての少女たちに共通の思いだった。そこで、10位にギリギリ食い込んだご褒美に、どうぞ心ゆくまで堪能してもいい、というものなのであった。
 思うように動けないことに比べれば破格の、けれどまったく根本的解決にならない商品なのは、実に憎らしい。
 そして――ここに至り、少女達は気付く。
 これまでに示された9位までの全ての賞品に対し、両手を自由にするという条件が含まれていないことに。
 つまり、1位のトイレ使用権も、2位のシビンも、3位の携帯トイレも、4位のおまるも、努力賞の金ダライも5位のペット用トイレも6位のオムツも7位のシャベルも8位の男子トイレの使用権も9位のポケットティッシュですら。
 そもそもそれを使うための、手が使えないのだ。
 そんな状況では、たとえどんなに素晴らしい賞品をもらえたとしても、ただの宝の持ち腐れ。オシッコを済ませるための何の役にもたちはしない。それどころか、なまじできるという希望がチラつかされるだけ、苦痛を倍増させるだろう。その果てに待つものは間違いなく、限界を超えてのオモラシである。

「い、意地悪っ……!!」
「ひどいよ、ひどすぎるよぉ……」
「そんな、そんなのって……」

 渦巻く抗議の中、上位10位の成績が公開される準備が始まる。ほんの十何分か前まで、少女達が命と引き換えにしても欲しいと思っていたものは、まるで砂漠の蜃気楼のように、どこかに消えうせてしまっていた。身をよじらせる少女たちに、しかし無常にもランキングを並べた紙が掲示板に張られて行く。
 さっきまでは羨望の対象であったはずの上位入賞者。しかしいまはそこに選ばれてしまうことこそが、最悪の罰ゲームだ。

『さて、それでは順位の発表となります。なお、選外の方々には残念賞として、お茶が配布されます。良く冷えていますので、残さず飲んでください。
 また、前回記録を更新された方には、身体を温められるように暖かいお茶が用意されています。それでは――』

 そして――
 少女たちの苦悩は、続くのである。


 (初出:書き下ろし)
[ 2009/04/04 16:51 ] 小ネタ | トラックバック(-) | コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。