FC2ブログ



スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

お嬢様ごっこ。 


 テーブルの上のペットボトルを取り、飲み口に直接口をつけてお茶を喉奥に流し込む。
「んく…んくっ、んくっ……」
 さかさまになったペットボトルの中で、ごぽっと泡立った水面が揺れる。
 これが初めてってわけでもないけど、なにしろ全部で2リットルもある。ジュースみたいに甘くもないし、炭酸がきいてるわけでもない、ただの苦いお茶だ。普段のボクなら、絶対に飲んだりしないと思う。
「んく…んく……っくん。ぷはっ」
 息継ぎをした瞬間、背中をぞわぞわぁっと小さな震えが這い上がってくる。
 思わず口元を離しそうになり、ボクは少しだけむせてしまった。けほけほと口を拭い、それでも頑張ってもう一度、ペットボトルに口を付けた。
「んっ……ぷは……」
 最後のひとくちを飲み下して、大きく深呼吸。残りの1リットルを、なんとかおなかの中に飲み込んだ。
「飲んじゃった……」
 制服のブラウスの下で、おなかがぱんぱんに張って苦しい。
 あらためて、空になったペットボトルを見下ろしてみれば、ちょっと信じられないくらいの量。その中身全部が、ボクのお腹の中に注ぎ込まれているのだ。少しくらい苦しくったって当然だろう。
 ……けれど、それもすぐに楽になることをボクは知っている。
 このお茶はある健康食品メーカーが売っている看板商品で、身体への水分吸収を助け、老廃物をそとに出す働きがあることで有名だった。美容のために最適と、ネットの掲示板などでもよく話題にされている。
 その効果は強力で、水を飲んだ時なんかとは段違いに速い。
 だから胃のなかをたぽたぽにしている水分はあっというまに吸収され――すぐに、ボクのおなかの、別の場所をたぽたぽにしてしまうのだ。
(ん……っ)
 ぶる、と腰が震える。
 お昼休みの前から、ボクはずっと、トイレを我慢している。6時間目の最後のほうは、我慢がかなりきつくなってきて、椅子の上でぎゅっとあそこを押さえてしまったくらいだ。 
 そのうえで、こんなお茶を2リットルも飲んでしまったのだから――もっともっと、オシッコがしたくなるのは間違いがない。
(はうっ……♪)
 そおっと触れてみたおなかは、もうはちきれそうにパンパンに張り詰めていて。同時に脚の付け根にもじぃんっとイケナイ感覚が電流のように走る。
「ん、んぁ…ぅ……っ」
 自分でも信じられないくらい、いやらしい、女の子みたいなえっちな声が出てしまう。
 ゆっくりと視線を隣に向ければ、ロッカー横の鏡に、見慣れた姿が映っていた。
 うなじで切り揃えたちょっと癖の強い髪、太めの眉。部活のせいで日焼けした肌。力を入れて睨めば、大抵の男子はビビッて逃げてしまう目つき。自分で言うのもなんだけど、胸もぺたんこで、腰回りだってすかすかだ。
 学校を上がって制服を着るようになって、ようやく男の子に間違われることは少なくなったけれど、いまでもジャージ姿なら男子トイレに入っても追い出されない自信がある。……全然いいことじゃないけれど。
 普段からオトコ女なんてからかわれているボク――工藤千尋が、ほんの少しだけ、“おんなのこ”になれる瞬間。
 それがこの、“お嬢様ごっこ”をしている時だ。
「……あやっ、もうこんな時間っ? 急がなきゃっ」
 ふと見れば、もう時計は4時を回っていた。急いで帰らないとすぐに真っ暗になってしまう。
 ボクは鞄を手に、部室の更衣室を後にした。廊下にはひんやりとししていて、ひと折り分短くしたスカートから染み込んできた寒さがきゅうんとおなかの中を刺激する。
 ボクは震えだしてしまいそうになる膝を抑えつけ、慎重に、きゅうっと閉じ合わせた。下腹部を圧迫するおしっこを意識しながら、歩幅も小さく、ゆっくりゆっくり、昇降口までを歩いてゆく。
 いつもは2段飛ばしで駆け降りている階段も、今は油断できない。爪先を意識しながらそろりそろりと脚を下ろすたび、じんっ、と身体の奥にイケナイ感覚が響いてくる。
「ん……ふ……」
 小さく息をこぼして、ぶるる、と身体を揺する。
 ぱんぱんに膨らんだおなかをそっと撫でるボクの頬は、かあっと熱くなっていた。





 校門を抜けて表通りへと出ると、いよいよ本番。いつもは背中に背負う鞄を、おしとやかに両手で持ち、身体の前を隠すようにして――ボクの“お嬢様ごっこ”が始まる。

『……あ、あっ……っ、ど、どうしましょうっ……ほ、本当に間に合わなくなりそう……っ』

 いつも通りの通学路のなか、ボクは頭の中で『下校途中、お手洗いに行きたくなってしまったお嬢様』になりきるのだ。
 とたんに周囲には雑踏が満ち、行き交う人々の視線が突き刺さる。殺風景な通学路には、大勢の通りすがりの人達が、じっとボクを見つめている。
 今のボクは、歩いているだけでまわりの人たちの目を引くような、そんな素敵で可憐なお嬢様なのだ。
 だから万が一にでも、ボクがオシッコを我慢していることに気付かれたりなんかしちゃいけない。

『……だ、だめ……っ。きちんとしなくちゃ……お、お手洗いにいきたいなんて気付かれたら、わたくし……もう、恥ずかしくて表を歩けませんわ……』

 頭の中の想像上のボクは、すっかり深窓のお嬢様になり切っている。どうしようもなく恥かしがり屋で、男の子の手を握るどころか話したことすらないような筋金入りの箱入りのお嬢様。
 今日は送り迎えの車がちょうど故障していて、どうしても歩いて帰らなくてはいけなくなった。――そんな設定。
 人前でトイレに行くどころか身じろぎするのも躊躇うようなお嬢様のボクは、学校でもほとんどお手洗いに立つことはない。たとえどうしても我慢できなくなっても、気づかれないようにこっそりと、慎み深く席を立つようにする。
 それでもいつもは取り乱したりしないんだけど、今日は特別な理由で――(細かいことは決めていないけど、とにかくタイミングが合わなくて)――お手洗いを済ますことができなかったのだ。

『だ、だめよ、ちゃんと、我慢しなければ……っ』

 当たり前だけれど、通学路の途中にはいくつも商店街があって沢山、たくさんのお店が並んでいる。コンビニだって2つあって、その気になれば簡単にトイレが借りられる。でも、世間知らずのお嬢様なボクは、そんなところにおトイレがあるなんて思いやしない。
 ううん――もし知っていたとしても、そんなところのおトイレを借りるような、みっともなくてはしたない真似は、“お嬢様”のほうのボクには絶対にできないのだ。

『そんなこと、……できるわけありませんわ……いい歳して、お、お手洗いのしつけも出来ていないって、思われてしまいますものっ……』

 “おトイレのしつけ”。ふと浮かんだこのフレーズが気に入って、ボクは想像を膨らませる。
 お嬢様のおトイレのしつけは、とても厳しくて、人前でトイレに行きたいそぶりを見せることすら許されないのだ。たとえどんなに切羽詰まっていても、おなかがおしっこでぱんぱんに膨らんでいても、優雅に、微笑みながら『少し、失礼いたしますわ』そう言って、ゆっくりと席を立つ。
 いや――違う。本当のお嬢様は、そもそも人前で勝手に席を立つような無礼なことはしない。トイレは自分ひとりのときだけにしっかりと済ませておくもので、誰かと話していたり、用事があるときには後回しにすべきことなのだ。だからこんなに我慢してしまう前に、きちんとトイレに行っておくことこそが当たり前。それができないのは、お嬢様失格の、とても恥ずかしいことなのだ。

『ふあぁ……んっ……』

 小さな頃からそうやって躾けられてきたはずのお嬢様のボクは、けれど今、限界寸前までトイレを我慢してしまっている。人前で気付かれてしまいかねないこの状況こそ、もうとっても恥ずかしい事態なのだ。
 膨らむ想像とともに胸がどきどきと高鳴る。もう一人のボクの状況に、自然と頭に熱が籠る。
 それは同時に、お嬢様のボクが感じている、恥ずかしい気持ちなのだ。
 交差点の横断歩道に差し掛かって、赤信号に従いボクは足を止めた。

『あ、あっ……い、急いでいますのにっ……』

 焦る気持ちを表現するように、ボクはそおっと腰をくねらせる。硬く張りつめたおなかに、脚の付け根にじいんんっ、と甘い痺れが走り、思わず息がこぼれる。
 もちろん、たったそれだけの動きで誰かが見ているわけもない。
 横断歩道には二人くらいしか人がいないし、周りの人はじっと信号を待っているだけだ。
 でも、想像の中では違う。びくびくと、尿意に負けて腰を揺すってしまったお嬢様のボクは、そこで恥ずかしい声を上げてしまうのだ。それを見て、何人も何人もの人が、怪訝そうな顔をして、お嬢様のボクを見る。

『いやぁ、み、見ないでぇ……っ』

 じろじろと無遠慮に見つめられて、顔から火を吹きそうになって、お嬢様のボクは俯く。
 横断歩道の前で足踏みを始めてしまい、信号待ちの人たち全員に、オシッコに行きたいんだと気付かれてしまった。そのことにお嬢様のボクは、死にそうなくらいに恥かしさを覚えている。

『ち、違いますっ……お、お手洗いなんかじゃ……っないんです……あ、だめ、え…っ』

 気分を盛り上げるように、小刻みに爪先を動かしてみる。
 じんっ、じいんっ、と響くおしっこの波が、ボクのおなかの中に溜まった液体をたぷんたぷんと揺らす。
「ん……っ」
 思わず、小さく溜息が出た。スパッツを内側から押し上げるように、おなかが外にせり出し始めている。あんなに飲んだ健康茶が、はやくもその効果を発揮し出しているみたいだった。
 信号が変わり、横断歩道で待っていた人たちが次々に歩き出す。
 けれどボクは、そのままそこで、誰かを待つふりをして立ち続けた。

『あ、あっ、だめ、え……おさまってぇ……っ』

 ボクの想像の中でお嬢様のボクはいま、猛烈な尿意の波に抗って、一歩も歩けないような状態なのだ。たまらずその場にしゃがみ込んでしまいそうになるのを、懸命にこらえ続けている。
 足を擦り合わせて、腰をくねらせて、通りすがりの人からじろじろと見られながら。けれどもうすっかり余裕をなくしてしまって、鞄の下でギュッとスカートを掴んでしまう。
 現実のボクも、そっとおなかをさする。まるでタイヤみたいに硬い感触に触れると、きゅうんっと足の付け根に甘い痺れが走る。ぞわぞわ押し寄せてくる波に、思わず何度も、いやらしい声を漏らしてしまう。

『そ、そんな……だ、だめぇ……っ』

 ちか、ちかと点滅する青信号。
 お嬢様のボクは、ついに横断歩道を渡り損ねてしまったのだ。
(そうだ……っ♪)
 そしてボクはふと思い付き、想像の中で、この赤信号は突然、一度切り替わると10分は変わらないということにしてみた。すっかり我慢の限界の状況で、10分なんて待っていられるわけがない。ここをまっすぐ帰るのが家への――“お屋敷”への近道なのだが、お嬢様のボクはそこをもう通れなくなってしまったのだ。
 もちろん実際の交差点はたったの2車線。ほとんど車通りもなくて、思い切って信号無視をしてしまえば5秒で渡ってしまえる。でも、お嬢様のボクにそんな事は出来るワケがない。

『うそ……そんなの意地悪よ……っ』

 理不尽な事態にも、しかしお嬢様はくじけない。
 後ろ髪をひかれる思いで、横断歩道を渡るのをあきらめ、別の回り道を探すのだ。





(えっと……)
 おなかにじんじんと響く尿意を感じながら、ボクは次の舞台を探す。……と言っても、だいたい候補は決まっていた。横断歩道から歩道沿いを歩いて、途中でわざとふらふらと脇道を曲がってみたりしながら、ボクは近くの公園にだとりつく。
 広い割にジャングルジムと砂場くらいしか遊具も無くて、人気のないこの公園は、ほとんどの人が素通りしてゆく。

『はぁはぁ……っ、あ、あともう少しよ……!!』

 公園の入り口でそっと腰を揺すり、ボクは“お嬢様”の演技を再開した。
 目指す場所は公園の端っこにある公衆トイレだ。わざと公園の入り口も遠い場所を選び、意図してゆっくりと、そこまでの道のりを歩いてゆく。お嬢様のボクは足元がもうふらふらで、急ぐこともできないということにして。
 ちょうど周りの視線も無いので、ボクはわざともじもじと脚を擦り合わせ、スパッツの上からそっとおなかを撫ででみる。じぃんっ、とおなかの底に走る甘い痺れに、思わずふうっと息がこぼれた。

『お、おトイレ……おトイレ、早く…っも、もう、お手洗いなら、どこでも……いいからぁ…っ』

 お嬢様のボクは渡れない横断歩道を諦めて、なんとかオシッコを我慢しながらここまでやってきた。本当なら、箱入り娘のお嬢様であるボクがこんな、誰が使ったかも分からないようなトイレを使うのは絶対に避けたいことなのだ。
 そもそも人前でトイレに駆け込むなんてはしたないことなのだけど、けれど今はそんな建前も忘れてしまうくらい、お嬢様のボクは我慢の限界なのだ。

『あ、あとちょっと、あそこまで……あそこまで我慢すれば、……っ』

 行く先に見える公衆トイレに向かいながら、何度も周りを見回してみる。
 もちろん誰も居ないんだけど、そこにはオシッコを我慢していてはしたない格好をしているお嬢様のボクに、興味しんしんな人たちがいる、ということにする。

『ああっ……駄目、駄目……みないで、見ないでくださいっ……』

 顔を赤くしながら、お嬢様のボクは何度も立ち止まり、しゃがみ込みそうになってしまうのをこらえて、それでもなんとか公衆トイレまで到達する。
 おぼつかない足取りで、婦人用トイレの入り口をくぐり――そのまままっすぐ個室へと向かう。

『ま、間に合った……っ!!』

 けれど。
 開いた個室の鍵を見て、お嬢さまのボクは、絶望するのだ。

『そ、そんなぁ……っ』

 普通に空いていたトイレの中の個室を『故障中』ということにする。
 もちろん他にも個室はあるけど、そっちも壊れているか、存在しないことにした。
 つまり、お嬢様のボクはここではオシッコができないのだ。
「んんっ……」
 実際に、ここまで来てやめようとすると、かなり強い尿意がやってきた。現実のボクもつい催してしまい、スパッツの上から手を挟みこむように、あそこを押さえこんでしまう。
 すると、想像の中でお嬢様のボクは、ドレスのスカートをはしたないぐらいにぎゅううううっ、と絞り上げていることになってしまう。
 真っ白でさらさらの、綺麗なドレスを――無残なくらいぐちゃぐちゃに握り締めて、ぶるぶると腰を震わせる、お嬢様なボク。
「ぁ、あぁ、あっ……だめえ、でちゃう……っ」
 想像の中のお嬢様になりきって、ボクも悲鳴を上げてみる。
 ぞわあっと背中を走り抜ける尿意の波が、じんじんと腰を熱くした。

『そんな……嘘よぉ……っ』

 ふと思いついて、想像の中で、ボクは個室のドアに張られた『故障中』の文字の下に、さらに意地悪な事を付け足してみることにした。

 ――『お急ぎの方は、紳士用のトイレをご利用ください』。

『そ、そんなの、できるわけないじゃない……っ!!』

 まあ、普段のボクなら、――オモラシしちゃうくらい切羽詰まればえいっと入ってしまうだろうけど。男の子と手を握ったこともない――いやまあ、現実のボクだってそんな経験ほとんどないけど――お嬢様のボクには、そんな選択肢はあるワケない。絶対にあり得ない決断だ。
 実はここの公衆トイレには紳士用と婦人用のふたつのトイレの間に、もうひとつ。車椅子用のトイレもあったりするんだけど、そこも想像の中で存在していないことにした。

『だ、だめよ……我慢しなくちゃ……』

 もう、限界も限界、いつ漏らしてしまっても分からないくらいの状況で、がくがくと腰を震わせながらも――なんとか、必死に波を乗り越えて。お嬢様のボクは、我慢を持ち直し、次のトイレまで向かう決心をする。
 そう。まだまだ、こんなものじゃ終わらない。
 ボクが本当に限界になるまで――お嬢様のボクの、永久我慢は続くのだ。



 (書き下ろし)

 
[ 2011/02/12 21:35 ] 我慢 | トラックバック(-) | コメント(-)

放課後待ち合わせの話。 

 みずたまりWEBサイトさんリスペクトの習作。
 ツギハギ劣化コピーになってしまった。





『――放課後、中庭で待っています』

 まだ年も明けて間もない1月の朝。紺野若葉の新学期は、上履き入れに入っていた折り畳まれたメモに書かれたそんな言葉で幕を開けた。
 紺野若葉は、クラスの中でも特に目立ったところのない少女だ。自分でそんなナレーションを入れてしまうほどに、成績も中の真ん中。部活は週に一度の歴史研究会。委員会活動はしていないし、体育祭でも文化祭でも、注目を集めるような桧舞台に上がった経験もない。クラス全員参加の劇をやれば、大道具のその3かその4。あるいは出番5秒のセリフもない通行人Cあたり。
 ふたつの胸のふくらみは、なんでもできる証拠。……ずっとずっと昔の魔法少女がそう歌っていたけれど、自分のさびしいむなもとを眺め、若葉はますます憂鬱になる。夢と希望が詰まっているはずのそこは、クラスの誰よりも慎ましやかだ。
 まったく無い、という訳ではないはずだけど、たとえば血迷って上半身裸で男湯に入ってみたりしても、十分くらいは気付かれないのではないだろうか。
 小学校に上がる前から、まったく変わらないぺたんこの胸を見下ろして、一人こっそり溜息を吐く日々。でもたぶん、自分はそんな感じに、世の中のもっともっと美人でカッコよくて才能のある人たちに主役を譲り、エキストラや印象の薄い脇役や、事によれば舞台袖の観客あたりのポジションを担当しながら生きてゆく星の下に生まれているのだろう。
 ずっとずっと、そう思いながら過ごしてきた若葉にとって、このイベントはまさに青天の霹靂だった。
「……これ、って」
 何度か手紙に目を落とし、思わず若葉は震える手で目を擦る。まさか、そんな、何かの冗談? 何度瞬きをしても、指で擦って透かしてみても、素っ気ないボールペンの文字は消えなかった。
 かあっと胸の中が訳もなく熱くなり、言葉にできない不思議な気持ちが自然、唇を震わせる。

(――うわ、うわあ)
(――これって、そうだよね? そういうこと、だよね?)

 そのままバンザイ三唱して叫びだしたくなるのを堪え、ごくり、と口の中に唾を飲み込む。これまでにも一度も、美味しい話を見たことがないわけじゃない。迂闊に勘違いしてがっかりするくらいなら疑い深くなれ。
 残る理性を総動員して我に返った若葉は、大急ぎで手紙をポケットの奥に仕舞うと、新年の挨拶を交し合うクラスメイトたちに混じって教室へと向かった。

 いつものとおり退屈で長いだけの校長先生の挨拶が延々続いた新学期の朝礼も、お正月番組に感化された担任の先生がくだらない冗談ばかりを連発するHRの時間も。若葉の脚はちゃんと地面を踏んでいるのかも確かではなく、ずうっとふわふわ宙に浮かんでいるような心地だった。
 夢じゃないかと疑って何度もほっぺたをつねり、流しで顔を洗ってみたりもしたが、ポケットの中を探ればメモの感覚は確かにそこにあった。
 堪え切れなくなっては机の下でメモを開くたび、最初に見た時と同じ、放課後の待ち合わせを告げる素っ気ない14文字(句読点含む)が目に入ってくる。教室の後ろのほうの席で背中を丸めて、若葉は何度も何度もメモをなぞって確認する。

『――放課後、中庭で待っています』

(――うん。うん。間違いない)
(――ないよ、ね…? うん。ない。ないったらない)

 最初はその内容を見るたびにやけそうになる口元を堪えるのに苦慮し、続いてまさかなくしてないだろうかと、30秒に1回はポケットを探って安堵し、次には開くたびに文面が変わっているのじゃないかと不安に思うようになり、最後には内容を吟味しようとノートにそれを書き写してみたりしながら、若葉は新学期の1日目を過ごした。
 日直の挨拶と共に帰りのHRが終わり、クラスメイト達が次々に席を立ってゆく。
 インフルエンザが猛威を奮っている今年も、明日からはもういつも通りの退屈な授業の日々が始まるが、今日はまだ、冬休みの名残のように半日で授業はおしまいだ。
 お休みの最後の余韻を楽しもうと、午後からの遊びの予定を計画しているクラスメイトたちを尻目に、若葉はカバンもロッカーに置いたまま、いち早く教室を飛び出していた。





 職員棟を挟んで反対側。ちょうど地図上に「三」の字を描く校舎のうちの下側二つに挟まれた中庭は、冬の季節も手伝って、人の気配はまばら。
 隅の日陰には薄灰色に溶け残ったお正月の雪が積み上げられ、ますますあたりの寒さを強めているかのようだった。
 はあ、と吐き出した息が真っ白く若葉の視界を覆う。
 どきどきと高鳴る胸の鼓動が、まるで全身を包むように若葉の身体はわけもなく熱くなっていた。昇降口でいったん外履きに履き替えて、ぐるりと校舎を迂回して中庭に繋がる園芸倉庫の裏手に来る間に、緊張に口の中が乾き、あたまの中は『落ち着け、落ち着け』というぜんぜん落ち着かない無意味な呪文でいっぱいになっている。
 ポケットの中で手紙の感触をもう一度確かめて、中身を慎重に読み返し、若葉はそっと倉庫の陰から中庭に視線を巡らせる。
 そこに目立った人影がいないことを確認し、若葉はほんの少しだけ安堵した。
 言葉にできない焦燥と、これからどうしようという困惑と、もしかして勘違いじゃないのかという不安をぐっと押し殺し、若葉はゆっくりと中庭のほうへと歩みを踏み出す。

(――ひょっとしたら、見えないところで誰か待ってるかもしれないし)
(――でも、先に待ってるほうがいいのかな)
(――なんか、飛び付いてるみたいで、かっこ悪くないかな)

 人生永世エキストラの自分にはこんなことの経験なんてあるわけがないし、相談できるような人もいなかったから、若葉にはどうするのがいいのか何が正しいのか全然わからない。
 でも倉庫の陰でじっと待っているのも待ち合わせとしてはおかしい気がしたので、若葉はゆっくり、できるだけ自然なふうを装って、中庭をぐるりと一周する。
 やっぱり、誰もいなかった。
 もともと冬場で、並木のようになっている桜の葉も全部落ちていて、芝生だってすっかり薄い茶色。雪解けのせいで地面も湿り、寝転がるにはよほどの勇気と制服をびしょ濡れ泥だらけにする覚悟が必要だったから、倉庫裏から死角になっている場所なんかほとんどなかった。
 それでも念入りに、2回もぐるぐると中庭の中を歩き回って、若葉はまだあたりに誰もいないことを確認する。

(――放課後。……うん。時間、合ってるよね)
(――まだ、HR終わってないのかも)
(――って言うことは、うちのクラスじゃ、ないのかな?)

 ちらと見た腕時計は、もう十分に放課後と言える時間を指している。午前中しか授業がない今日なら、用事がなければ帰宅を始めていていい時刻だろう。先生たちだって新年早々から遅いお昼や残業は嫌だろうし、まだ帰りのHRを続けているとなればよっぽどのことだろう。
 あるいは、他になにか急な用事があるのかもしれない。『これ』よりも優先していいことなんかそんなにないとは思うけど、でも、たとえば委員会とか、部活とかで、どうしても外せない用事ができたとか。そういうことはあるかもしれない。
 そんなことを考えながら、若葉は中庭の木のそばにそっと近寄る。
 薄い雲のたなびく空に、枝ばかりを広げる木の幹に背中を預ける。さりげなく校舎側の窓からも隠れるように。
 若葉は胸に手を当てて何度も深呼吸する。
 ちょっと油断すると、いまにも誰かが校舎の陰から、こちらに歩き出してくるように思えた。
 いっときも気が抜けない。緊張しすぎたってよくないだろうけれど、たとえば思い切り気を抜いてぼけーっとしているところを見られたら、やっぱりそれはそれでまずいような気がする。きゅ、と握りしめた薄い胸の奥、女の子らしく早鐘のように高鳴る鼓動はさっきからアップテンポを行ったり来たりだ。衝撃を緩和する胸がないから、そのうち心臓が変になって倒れてしまうんじゃないかと、まるで乙女みたいな思考で若葉は赤く染まった顔をぷるぷると振る。
 とにかく、ちゃんと待とう。できるだけ周りに気を配りながら、若葉は革靴の脚を擦り合わせ、はあ、と手のひらに小さく息を吐きかける。
 時折、渡り廊下を生徒たちが通り過ぎてゆくのが見える。若葉はそのたびに何度もびく、と背中を緊張させながら、じっと一人、立ち続けていた。
 けれども、春や夏ならともかくも、枯れ木だらけの寒い中庭には、この時期誰も興味なんかないので、木陰の若葉には誰も気付いていない。

(――コート、着てくれば良かったな)

 姿を見せない手紙の主を待ちながら、若葉は少しずつ後悔を始めていた。
 しんしんと染み込むような寒さは、お昼近いはずなのにまったく和らぐ様子がない。晴れてはいるものの真冬の低い太陽は、中庭を一日中日陰にしているようで、ただじっと立っているだけで少女の身体はどんどん冷えてゆく一方だ。
 とくに足元は、雪がまだ残っているだけあってかじかむほどに寒い。
 ぐぅ、と若葉のおなかが小さく唸り、空腹への抗議をあげる。そう言えば今日の朝は全然美味しくもない七草粥。半分残して出てきたせいもあってか、やけに手足に寒さがこたえる。
 指先を擦り合せた手をポケットに突っ込んで握りしめ、靴の中で冷えた爪先にぎゅっと力を入れる。
 もともと冬服と呼ばれてはいても、この制服が対応していると言える季節は精々が早春、晩秋までの季節まで。それだけでは、1月の芯の寒さに抗するには厳しい。
 登下校の時はこの上に厚手のコートを着ているし、マフラーや手袋だって着けている。ベストだって着こんでいるけれど、けれど今はそれらもなく、じっと木の傍にいるだけで身体も動いていない分、さらに身体が冷えてゆくのだ。

(――んっ……)

 ぶるるっ、と小さな背中が震える。ぞくり、と腰骨のあたりに膨らみ始めた感覚がじわじわとその勢力を誇示しつつある。
 寒さで催した熱いものが、じわりっと若葉の意識の上まで拡がってきた。
 きゅう、ともきゅん、とも表現できる、『おんなのこ』を急かすむず痒い感覚が、若葉の下腹に重く澱のように溜まってゆく。
 小さく唇を噛んで、大きめに息を吸う。
 『女の子は腰を冷やしちゃダメなのよ』。お正月に田舎に帰った時にも聞いた、お祖母ちゃんの冬場の口癖がちらりと若葉の頭を掠めた。マッサージ器を一番弱くして脚の付け根に押しつけた時のような、熱っぽい痺れが徐々に頭をもたげてくる。

(――トイレ……)

 ますます冷える身体がぶるると震える。鼻奥にすん、と寒さを吸いこむ。
 一方の足にもう一方を擦りつけ、爪先で地面をつつく。もじもじと交互に擦り合わされる膝とともに、若葉ははっきりと尿意を自覚した。
 振り返ってみれば、今日はすっかり舞い上がっていて、学校に来てから一度もトイレに行っていない。渡り廊下と二つの校舎に挟まれ、コの字型になった地面の上には、雪を溶かさない寒さが満ちている。
 もぞ、と動かした腰の感覚が、下腹部の張りを感じさせた。おへその下の方に感じる強張りは、その奥に溜まった熱い液体の存在感を強めていた。いつの間にか弱火で沸騰を始めたような気配が、下半身をゆっくり侵略してゆく。
 スカートの下から染み込む寒さは、膝下の靴下一枚ではとても防ぎ切れず、ふくらはぎと腕のあたりにぽついぽつと鳥肌が立つ。ぎゅっと寄せ合った太腿の奥で、下着の感触が脚の付け根に食い込んで、女の子のだいじな場所に軽い刺激が響く。

(――トイレ、行きたい……)

「ん、っ、……ふ…」
 もぞもぞと身体を揺すり、姿勢を傾けた若葉の小鼻がぴくと震えた。鼻にかかった吐息がかすかな不快感と、腰骨にじんわり拡がるくすぐったいトイレの予兆を訴える。
 さりげなくスカートの上からおなかに触れた手に、空気を入れすぎた自動車のタイヤのような感触が帰ってくる。ざわざわと小さく波打つおしっこが出口の閉ざされた若葉のダムの中で水位を増してきているのだ。
 こみ上げてくる尿意をただちに解放せんがため、まっすぐにトイレに向かいそうになった若葉の足は、けれど二歩目を踏むことはなかった。ぴた、と靴底が地面に張り付いたように、ポケットの中にある手紙が、少女を寒い中庭に縛り付ける。
 踏み出した足でそのまま立ち止まり、その場で小刻みに足踏みをはじめながら、若葉は下腹に膨らむ感覚を散らそうと、小さく腰を揺する。

(――トイレ、行ってる間に、誰か来たら……)
(――待っててくれるかもしれないけど、誰もいないと思って、帰っちゃうかも)

 顔もわからない手紙の相手は、けれど若葉の心の中をびっくりするぐらい大きく占めていた。ぺたんこの胸がとく、とくとなお高鳴っている。
 そうだ。誰かもわからないけれど、待ち合せている相手を放っておくなんて、いくらなんでも不実だと若葉は思う。
 それに。
 もし、若葉がおしっこに行っているその間に相手が来ていたりしたら、逆に若葉がその人を待たせることになってしまう。もう放課後のチャイムからかなり時間が経っていて、そんなに遅くやって来たということは、若葉のほうが待ち合わせの相手のことなんかどうでもいいと思っているように見えてしまうかもしれない。
 もしそうなったら、どうやって説明すればいいのだろう? おしっこしにいってました、なんて言えるわけない。

(――おしっこ、行きたい、けど…)

 身体の訴えは、もうそんなに余裕がないことをはっきりと知らせていた。
 じん、じん。朝からのおしっこを含んで膨らんだ膀胱が、トイレ、トイレと若葉を急かす。ぐっと脚を交差させ、左右の靴を入れ替えるようにして身体をよじる。それでもどういう具合か、おなかはぐるぐると鳴っていた。こんなにトイレが近いことなんてなかったように思う。まるで板でも仕込んだみたいに硬くなってしまった下腹をそっとさすり、とん、とん、と爪先を動かす。
 そのままこの場で、足踏みをはじめてしまいそうだ。少しでも動いていれば紛れはするけれど、立ち止まっているととたんに、おなかの重みがずぅん、と身体の奥に響く。
、下着に触れるおしっこの出口に、ぴりぴりっと甘い刺激が電流のように走った。

(――トイレ……)
(――ううん。我慢しなきゃ)

 膨らむ尿意に揺らぎかけた心。それがまるで、手紙の相手に対する不実のように感じられ、若葉は決意と共にきゅっと脚を閉じ、いちどはだらしなく緩み始めようとしていたおしっこの出口に、改めて力を篭めなおした。
 おしっこなんかで、自分の心は揺らがない。ちゃんと待って、ちゃんと返事をする。これっきりかもしれない人生の一大イベントに比べれば、こんなトイレのちょっとした我慢なんか些細なことだ。
 まだ見ぬ相手への想いで、小さな胸をいっぱいに満たし、謂れのない迫害に抗する聖女のような気分で若葉は膨らみかけた尿意をぐっと飲み込む。
 慎ましやかさを取り戻したあそことは対照的に、おなかの中にとどまる事を強いられたおしっこが、恥骨の上のダムを押し広げ、一回り膨らんだような気がした。
 じわりと嫌な気配が背中を圧迫する。ぐうっと下腹が重苦しくなり、詰まっているものが鉛か何かに変わったような気もしてくる。さっきまで寒かったはずの背中に、いつのまにか薄く汗が浮き始める。

(――大丈夫。これくらい、我慢できる)

 言い聞かせるようにそう心の中で繰り返し、若葉はちらりと校舎に視線を向ける。時間もだいぶ過ぎたせいか、廊下の窓を通る生徒の数はかなり少なくなっていた。
 けれど、ここで話をするのには、それくらいのほうがきっといい。
 一年を通じて日陰が多く、陰気なイメージのある中庭は、春や秋の気候のいい季節意外は学校生活の中でもあまり意識に上らないような場所だ。もっと日当たりのいい屋上や第二昇降口、部室棟なんかもあるから、ほとんどの生徒はお昼休みにもそこを利用する。
 若葉たちの教室からは廊下側、2年生の教室と特別教室のある校舎からは窓側に面しているけれど、よっぽど授業中に退屈でもしていなければ校舎からそこを見下ろすようなことはほとんどない。
 だから中庭を待ち合わせに指定してきた相手のことを、若葉はたくさんある選択肢の中からわざわざ自分を選んでくれたように感じていた。
 たとえ自分ひとりの思い込みであったとしても、若葉はまるで義務のように、それに応えなければならないように思っていたのだ。

(――んっ)

 さっき波を堪えてからそんなに時間が過ぎていないのに、また一気に尿意が膨らんできた。脚の付け根が緊張して、頭の後ろが熱いような気分になる。さっきまでとは違う熱っぽさ。
 スカートの中で膝が擦れる。寒さと尿意の区別が付かなくなってくる。ふくらはぎが冷たくなり、ぎゅ、ぎゅっと太腿に力が篭る。
 こぽこぽと、音を立てて、身体の奥から染み出してくる黄色い尿意の塊が、おなかの中に詰め込まれていくよう。
 また一段とぷくん、と膨らむ膀胱が、じりじりと恥骨を刺激する。おなかの中がぐっとと重くなり、溜息のように息が漏れる。
 ぐぅ、と小さく空っぽの胃袋が文句を告げる。蠕動する内臓の気配が、はっきりとおなかの中に感じられた。膀胱が過敏になって、普段は気にしたこともない身体の中の反応までを感じ取ってしまうようだった。傾いた体勢を直そうと伸ばした足からも、びくん、とダイレクトに振動が硬く張り詰めた下腹部に響く。

(――おしっこ。おしっこ)

 息を詰めると、きゅん、と膀胱が収縮した。普段意識することもない器官が、大きくおなかの中を占領している。早くトイレに行きたい。水に潜って息を止めているときのように、早く楽になりたいともうひとりの若葉が叫んでいる。
 おしっこに行きたい。トイレがしたい。
 おしっこが出そう。トイレに入りたい。
 脚が小刻みに震える。じっとしているのが苦痛で、貧乏ゆすりが始まってしまう。おなかの中に詰まった、熱い砂のようにも感じられる何かが、どんどん重くなっておしっこの孔の上に圧し掛かってくる。
 我慢できずに、内股の足踏みを繰り返すその付け根。若葉のおしっこが溜まっている袋には、小さな孔が開いている。それも、ちょうど一番下、重力に引かれてものが落ちる、一番底の部分に、おしっこを出すための孔が開いているのだ。
 それに抵抗するのは、ほんのささやかに出口を締め付ける括約筋だけ。もともと孔の開いている出口付近を左右から締め付けるだけだから、栓としてはあまりに頼りない。けれど、そうして出口が塞がれているものだから、若葉のおなかのなかで、おしっこの溜まった部分は硬く膨らむばかりなのだ。
 爪先の片方を地面に突き立て、とんとん、ぐりぐりと柔らかい泥を擦る。靴が汚れるけれどやめられない。ぎゅっと握ったスカートの布地にも大きくしわが寄る。

(――んっ。あっ)

 熱い吐息が白い息になる。ぷく、ぷく、と膀胱が膨らもうとする。けれど若葉のおなかの中の入れ物はもうこれ以上なにも入らないとそれを拒絶する。おなかの重さはさらに増し、ちりちりとおへその下に、焦げるような感覚があった。
 おしっこしたい。おしっこ、でちゃいそう。
 激しい欲求が、若葉の決心を鈍らせる。これ以上ないくらいに硬くなった少女の下腹部は、さする指先に硬い感触を返す。浅く早く、深くゆっくり。白い吐息の塊がリズムを変え、左右交互に体重を乗せる脚がひと時も休むことなく姿勢を変える。
 けれど、どれだけ試してみても、尿意を抑え楽にするような姿勢は見付からず、おなかいっぱいに溜まったおしっこはますます脚の付け根の部分に重くのし掛かる。
 いまは、なんとか塞き止めてあるダムの出口も、このまま増水を続けていけば、いつかはひびが入って突き破られてしまう。
 少しでも尿意を散らそうと、脚をくねらせ、ぐいっと下半身をねじり合わせる。閉じた脚は、X字を書くようにクロスして、膝と膝裏をくっつけ合わせる。力を篭めた脚の上で、膨らんだおなかがずきっと痛む。

(――ん、ふっ、はぁっ)

 息が荒くなる。顔にすっと赤みがさす。こぽ、こぽ、と次々注がれるおしっこが、若葉の意識を侵食してゆく。
 おしっこ。おしっこしたい。おしっこでちゃう。
 中庭で待ち合わせのためにおしっこを我慢しているのか、おしっこを我慢するために中庭で待ち合わせをしているのか、混乱した思考がうまくまとまらない。
 下腹部の中をすっかり占領してしまったおしっこの袋を、ちく、ちくと太く鈍い針がつついている感じ。
 重い砂袋でも抱え込んでいるように、若葉の背中は丸まりだしていた。なんどもなんどもスカートの上の辺りを往復する手のひらに、なだらかにせり出した感覚がある。若葉の身体の中に収まりきらなくなったぱんぱんの膀胱が、ぐうっと制服のなかに膨らんでいる。
 せわしない足踏みと共に、それが左右に揺れる。
 たぷたぷ、ではなく、ぶるん、ぶるん。
 はちきれそうに膨らんで、大きく存在感を増した膀胱、おしっこの袋。確かにそれは砂でもタイヤでもなく、暖かい液体の詰まった袋だった。まるで水風船のように、中身をいっぱい詰めこんだおしっこの袋が、もう膨らめないのにどんどん大きくなっている。
 ぱんぱんに張りつめ敏感になった膀胱が、緊張が伝わる胃袋や腸の蠕動まで感じとって尿意を促進させる。ぐるる、と蠢く空腹の音は、そのまま同じだけの尿意の渦を、ダムの内側に引き起こした。
 ぷくっ、とわずかの気の緩みを付いて、脚の付け根近くの筋肉の緊張が緩む。たちまちダムのひびの走ったに部分に水圧が押し寄せる、かりりと若葉のおしっこの出口を内側からひっかいた。
 きゅん、とおしっこの出口がすぼまりそうになる。

(――ぁ、やっ、だめっ)

 ぐうっ、と。まるで見えない手に真上から押し付けられたように、ぱんぱんの水風船が、足元に向けて押し付けられる。背中の骨が圧迫され、電流でも流されたように衝撃が走る。
 膨らみすぎたおしっこの袋が、自重で押し潰されていくようだった。ひく、ひく、と脚の付け根の一番奥にあるおしっこの出口が痙攣し、無理矢理引き伸ばされる。きつく締め付けたはずの水門にじわっと熱い痺れがひろがってゆく。
 おしっこ。おしっこでちゃう、漏れちゃう。
 あっという間に腰上まで押し寄せたおしっこの波。
 押し寄せる高潮の水圧に耐えかね、警報を無視して放水準備を始めたダムをぎゅっ……とスカートの上から押さえこむ。
 きつく力を込めたおしっこの出口に連動して、きゅっ、と下着の奥のおしりの孔まで緊張し、ぴくぴくと震えて縮こまった。
 ぴいんと硬直した若葉の身体は、そのまま二十秒あまり、動かなかった。

(――…………っ、……)

 きわどい所だった。
 もう少しでそのまましゃがみ込んでしまいそうになりつつも、若葉はなんとかその場に踏みとどまる。
 焼きついたようになっている肺を動かし、深呼吸を繰り返して、緊張をほぐす。いまさらのように、じわぁ、と首筋に汗が浮かんだ。熱っぽさは相変わらずだけれど、まるで熱くない。むしろ下半身の感じる寒さはさらに増しているようだった。
 これ以上ないくらいに硬く張り詰めた膀胱が、服の上から触れてもはっきり解るくらいに膨らんでいる。ちりちりと焦げるような激しい尿意は、一箇所だけではなくおなかの奥底のほう全体にまで広がっていた。
 ぴしゃり、と冷や水を掛けられたように、若葉の頭がすっと軽くなる。
 耐え切れないかもしれなかった尿意の波が押し寄せてきたことで、熱くなっていた頭が冷え、ようやく冷静な第三の視点が自分の状況を見下ろす。

(――と、トイレ。出ちゃう)

 おしっこの我慢の限界を悟り、若葉は唇を震わせた。
 冷めた頭に、またかあっと熱く血が昇ってくる。
 こんな姿で、誰に会えるものか。背中を丸め、泣きたくなるくらいに脚を寄せあわせ、スカートの上から両手で股間を押さえ、おしりを突き出したアヒルみたいな格好。
 溜まり続けたおしっこがおなかのなかの小さな袋を膨らませ、いまや下半身のほとんどを占領して、身体の外にまでせり出している。
 つん、と鼻の奥が熱くなる。
 こんな有様になるまでおしっこを我慢して、いったい何をするつもりだったのか。あたまの中は半分以上おしっことおしっこの我慢とトイレのことでいっぱいだ。たとえ誰かが来たとしても、満足に受け答えもできそうにないのに、なんの意地を張っているのか。
 本当は、わかっていた。
 こんな手紙なんか嘘っぱちだ。若葉を呼び出した相手なんてどこにもいやしない。ここで待ってたって、誰も来るわけがない。だって、手紙には日付も、時間も、誰からなのかも書いていなかった。

『――放課後、中庭で待っています』

 たった14文字の言葉だけに惑わされて、馬鹿みたいだ。
 ぐす、と水っぽい音で息を吸い、みっともなさで泣き出したくなるのを堪える。背中を震わせ、若葉は叫びだしそうになった声を飲み込む。
 後ろ髪を引かれる感覚を振り切って、若葉は小走りに――それもできなかったので早足で、中庭に背中を向け、歩き出した。高鳴る胸のかわりに、ひっきりなしにうねり、疼くおなかをそっと抱えて。
 くしゅ、とポケットの中に仕舞っていたメモが握りつぶされる音がする。
 こんなくだらないものに半日、ずうっと舞い上がっていた自分が情けなかった。





(――早くトイレ。早くしなきゃ)

 戻るまでの道のりは来たときの倍近い距離があるような気さえした。一歩ごとにぱんぱんの水風船が上下に揺れ、嫌でも限界近い尿意が意識させられる。
 早くトイレ。早くおしっこ。
 若葉のおしっこの水風船に向かって、身体の奥から湧き上がった熱い液体が容赦なく注ぎ込まれる。
 塞き止められた腰骨の上のダムの上流では、その水位に負けない水圧で、若葉の身体が新しいおしっこをつくり出している。刻一刻と限界許容量に近付く貯水量に、首筋にはしっとりと汗が浮かび、握り締めた手のひらは小さく震える。
 もう膨らめないのに、どんどん膀胱の中身が増えていく。
 吹けばそれだけ大きくなる風船にだって伸びきる限界があって、それ以上膨らませば、伸びてはいけないところが伸びてしまう。若葉の膀胱は長い間注がれ続けたおしっこでもう限界近くまで膨らんでいる。

(――おしっこ。おしっこでちゃうよ)

 土足で廊下には上がれないので、校舎をぐるっと回って昇降口まで向かう。途中で誰ともすれ違わなかったので、若葉の右手はぎゅっとスカートの前を押さえたままだ。
 こんなの、誰かに見られたら恥ずかしくて表を歩けない。
 けれど手を離したらそのまましゅるしゅるるぅと下着の奥が水音を立てそうで、ぷく、と膨らみそうになるおんなのこの大事な場所を指の先できつく押さえ、歯を食いしばって急ぐ。
 昇降口にも、ほとんど人の気配はなかった。時計の針はもう12時を大きく回っていて、かつん、という泥のくっついた若葉の靴音がやけに大きく反響する。
 誰もいない。
 冷静になってみれば、考える余地なんかほとんどない。
 最初から全部、騙されたにきまっていた。
 誰だかはわからないけれど、こんなことにろくろく免疫のない若葉は、絶好のターゲットに違いなかった。いまどき子供でもしないような悪戯に、まんまと若葉は引っ掛かったのだ。
 朝からずっと浮かれ気分でメモを見返してにやけているところや、滑稽にも相手を思い描いて顔を赤くしているところ、来るはずもない相手を何十分も待ち続けてこの寒い中じっと中庭に突っ立っているところを見て、悪戯の張本人は意地の悪い笑顔をしていたに違いない。
 いや。そもそもそんなことにすら興味もなかったのかもしれない。ほんの気まぐれで走り書きしたメモを放りこんだ先が若葉の所だったというだけで、いまごろ悪戯の張本人は、悪戯のことも忘れてどこかで笑っているのかもしれなかった。

(――っ)

 やっぱり、こんな胸のぺたんこな女の子なんか誰も好きじゃないんだ。
 かわりに恥ずかしいおしっこで硬く膨らむ下腹部を押さえ、若葉は俯く。
 ぐす、と涙の味のする息を飲み込んで、若葉は目元を擦り上履き入れに向かう。下腹部をできるだけ圧迫しないようにかばい、不自然に股間を緊張させたまま、おぼつかない足元でなんとか外靴を脱ぎ――
「えっ」
 そこで、息を呑んだ。
 上履きが。ない。
 一瞬何が起きたか分からず、ぱたんと上履き入れの蓋を閉めて、もう一度開ける。間違いなく中身は空っぽだ。外靴はいま足元にあって、さっきまで裸足でなかったのだから間違いなくここに上履きがあったはずだ。
 もう一度、ふたを閉めた上履き入れの名前を確認して、再度中を見る。
「……ない…。」
 今朝のメモの代わりに、誰かが失敬したとでも言うのだろうか。あわてて左右の上履き入れを覗くが、もちろん若葉の上履きがあるわけもなかった。
 困惑している間にも、ぶるっ、と若葉の背中が震える。尿意は消え失せたわけでもない。トイレを訴える下腹部の声はさらに激しくなっている。

(――だめ、でちゃう。もう出ちゃう)

 ぶるぶる、と腰が震え出す。ギュッと抑えた出口が無理矢理左右に広げられる。ぱちんと破裂してしまいそうな股間の先端を、スカートの布地を握りしめる手のひらがぐいぐいと擦り、押し揉む。
 もうこれ以上大きくなれない膀胱が、さらなる中身の追加を拒絶した。押さえ込んだ手のひらに押し返され、焦げるような尿意の逆流がぐうっと背骨を押し上げて、若葉の全身にぶわっ嫌な汗が浮かぶ。
 高まる水圧にたったひとつの出口、皮一枚で支えられる小さな孔がぴくぴくと痙攣する。下半身の大部分を占領してなお大きく。おへその裏側ぐらいまで膨らんだおしっこの袋の重量が、おしっこの出口へとのしかかる。
 圧迫に耐えかねぴくんと押し開けられそうになっただいじな場所を、若葉の手のひらが押さえ込んだ。
 下着の上から直接、おしっこの出口を指で無理矢理閉じ合わせ、揉みしだく。

(――ぁ、あっ、出ちゃう、出ちゃうっ)

 おなかの内側にあきれるほど図々しくスペースをとって居座ったぱんぱんの水風船が、大きく膨らんで拡がった過敏なその表面で、近くの内臓の動きまで感じ取る。過敏すぎるレーダーのようだ。
 ぴくん、ぴくん。波打つ下腹部をなんどもなんどもさすり、少しでも尿意を紛らわせながら、若葉は靴下の裸足のまま廊下に踏み出した。
 おっかなびっくり伸ばした爪先が昇降口を離れると、ひやっ、と氷のように冷たい廊下が、縮こまっていた脚をさらに強張らせる。骨を伝うような冷たさが一気にふくらはぎの上まで到達し、脚の指先が痛み始める。一歩ごとに脚先が画鋲でも踏んでいるようだ。
「っ、痛、っ」
 冷たさよりも痛みが勝る。けれど脚先の冷たさは確実に、若葉の足元からふくらはぎ、太腿、腰上へと這い上る。寒い廊下のひとけのない静寂が、下腹部に痙攣をはじめさせた。

(――も、もうだめ、トイレ。おしっこでちゃう)

 上履きなんて探してる暇はなかった。
 靴下だけでトイレに入るのには強い抵抗もあったが、もうそんなことは言っていられない。震える脚とへっぴり腰で、下腹部をかばいながら若葉はふらふらと廊下を渡ってゆく。
 昇降口のすぐ前、西階段横には1年生のトイレがある。もう目指す場所は目の前だ。
 下腹部の中で大きく育った尿意の塊は、さっきここを通った時とは比べ物にならないくらいに少女のおなかを張り詰めさせていた。か細い力だけで支えられている小さな孔が、何度も開きそうになってはぐいっと引き絞られる。
 まるで儚い抵抗を砕き、このままダムを突き崩そうとするように、尿意は執拗におしっこの出口をちりちりと焦がす。
 おしっこ、おしっこ。
 冷たいドアの取っ手に手を触れた瞬間、きんと冷えた冷たい感触に、おしりの孔に冷たいものを突っ込まれたように悪寒が走り、それに連動しておしっこの孔がきゅんっとすぼまる。
 同時に、おなかの奥で膀胱が、ぎゅうっと絞り上げられた――ような気がした。

(――ぁ、だめ、だめ、でちゃだめぇっ)

 緩みかけた括約筋に、若葉は身体をぎゅううっとひねって、残る力をかき集めて出口を塞ぐ。
 歯を食いしばり、今度は胸の近くまで一気に押し寄せたおしっこの波から、なんとか溺れないように脚をきつく閉じ合わせる。
 けれど、そんな努力もむなしく、おしっこのすぐ出口のところまで渦を巻いて押し寄せた濁流は、細い出口のところの管をぷくっと膨らませ、若葉の意志に反してじわあぁ、と熱い雫を噴きこぼした。
 吹き出したおしっこが下着の股部分に染みをつくり、すぐに数センチほどの大きさに湿り濡らせてゆく。
「……ぁ、っ」
 足の付け根に感じるぞっとするほどの不快感に、若葉は小さく悲鳴を上げた。
 とうとう、チビった。
 オモラシの予兆でもあるその衝撃に、激しく打ちのめされながらも――なおも第二波の気配を見せる下腹部に怖気を感じ、可及的速やかな解決を目指して、若菜はドアをひき開ける。
 けれど。
 ドアを開いた瞬間、目に入ってくるのはトイレの床を水浸しにしている、真っ黒に汚れた水たまり。

(――な、なに、これ)

 声を失った若葉の、我慢の身じろぎだけが衣擦れの音を響かせる。
 目の前の光景は、夢でも幻でもない。
 生徒の手による掃除とはいえ、それなりに清潔に保たれていたはずの、薄いピンクのタイルに彩られたトイレは、一面に真っ黒な水に汚されていた。
 どろどろと濁った粘性の汚水は、耐えがたい悪臭を放ってトイレ一面を浸し、飛沫を撒き散らして個室の中まで拡がっている。
 靴下だけの裸足で、歩いていけるような状態ではなかった。
「うそ……っ」
 下ろしかけた脚が、汚水だまりを踏みそうになり、若葉はあわててそれを引っ込める。それでもわずかに爪先に感じる、不快な湿り気の感触。触れるどころか近づくのも嫌になるほどの、汚辱感。
「…………いや、ぁ……」
 少女の喉の奥から低い呻きが絞り出された。胃の奥に鉛の塊を飲み込んだように、ひゅっと胸の下、おなかの上が冷たくなる。首の後ろに濡れタオルを押し当てられたように、意識にノイズが混じってぶつぶつと途切れる。
 個室まで直線距離でおよそ4m。助走距離はゼロ0m。金メダル選手にだって届かないような立ち幅跳びの距離。
 それを、爆発寸前のおしっこ袋をおなかに抱え、まっすぐ背中を伸ばして立てるかも怪しい、若葉がこなせるわけがない。
 明らかな悪意を持って汚されたトイレを前に、ちく、ちくとおしっこの袋の奥に針を飲み込んだように、膀胱が軋む。内側からぢくっと出口を押しつける、膨らんだ膀胱の水圧に、若葉の顔が今度こそさあっと青褪めていた。

(――や、やだ、トイレ……っ)

 まっすぐ飛び込むはずだったトイレを、できるはずだったおしっこを、全く前触れもなくお預けにされて、ぎゅるぎゅるっと膀胱がうねり、猛烈な尿意を押し上げる。身体はその場に静止しているのに、意識とおしっこだけが前に突撃していくみたいだ。
 耐えきれずに若葉はドアの手摺に手をつく。
 すぐそこがトイレなのに。
 若葉はここにおしっこをしにきたのに、それが許されない。か細い我慢を突き上げるように、ごろごろとうねる尿意が少女に襲い掛かる。

(あ、あ、だめ、ここででちゃだめ……っ)

 いっそ、目の前に広がる汚水だまりにしゃがみこんで、そのまま放尿してしまいたい――そうしたらたぶん、ものすごく気持ちいだろう。我慢に疲れた頭は、そんな普段はあり得ない想像をはじめ、とんでもない誘惑で若葉をそそのかす。
 けれど。
 いくら限界近くまで切羽詰まっていても、出来ることと出来ないことがある。確かにこの惨状ではたとえ実行しても解りはしないだろうが、いつ誰が通るか分からない廊下に面したトイレの入り口で下着をおろし、下半身を丸出しにしておしっこを始めるなんて選択肢は、若葉にはない。
 若葉は全身を伸び縮みさせながら、押し寄せるおしっこの大津波をじっとやり過ごす。
 はあ、はあ、と大きく肩で息をつきながら、若葉はぎゅっと唇をかんだ。

(――と、とにかく、別のトイレ……っ)

 ここのトイレが使えないのだから、ぐずぐずしている暇はなかった。
 きびすを返した若葉は慎重に歩きだす。けれど抜き足差し足のようにゆっくり踏み出した一歩も、張り詰めた下腹部は敏感に感じ取り、新しい尿意を生み出してしまう。甘い痺れのような感覚は、おなかの表面ではなく奥のほうへ伝播し、ぱんぱんに膨らんだおしっこの袋を透過して、出口のすぐそばの底のほうをじぃん、びりびり、と振動させる。あそこにぎゅっと力を篭めるたび、ぞわわ、ぞわわ、と何度も背中の方へこみ上げてくる。
 わずかな振動が引き金になり、ずっしりと重いおなかの中がぶるんぶるん震える。若葉はもうはっきりと、おなかの中でぱんぱんに膨らんだ水風船のビジョンをイメージすることができた。
 器に水を入れて揺すったときの、たぷんたぷんという感覚ではなく、薄い膜でできた袋が、今にも破裂しそうなくらいに中身を注ぎ込んで、端を持って揺さぶっているのと同じだ。
 ここから一番近いトイレは、ちょうど階段を一階分登ったところにある2階のトイレ。その次は少し遠くなるけれど、もうひとつの昇降口のところにある。どちらも若葉は使い慣れていない場所だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 二階のトイレは直線距離こそ短いが――なにしろ天井を通り抜けて真上に5mも垂直移動すれば届くのだが――いつパチンとはじけてしまってもおかしくないおなかを抱えたまま、上下の階段を昇り降りするのは危険に思えた。
 少し遠回りになるが、もうひとつの昇降口まで行こう。そう思い、若葉は廊下に出る。

(――あ、っ)

 足元からざぱりと押し寄せるおしっこの波。あっという間に膝を越し、腰のすぐ下までやってくる。
 寒さと水分の相乗効果でますます活性化した若葉の循環器官は、これ以上中身の入らない袋に、無理矢理液体を注ぎ込もうとする無茶をやめてくれなかった。
 そして、若葉が懸命におしっこを溜め続けている袋には、その底の部分に出口があるのだ。今は閉じられていても、限界まで伸びきった水風船の出口は、ぎゅっと握った手のひらだけでは抑えきれない。
 余裕のない袋に無理に中身を注ごうとすれば、膨らみきった力に耐えきれず、閉じ合わせている出口が膨らみ、ぷくっと開いてしまう。
 ダムの放水を促すように暴れるおしっこが、わがままを言う子供のように暴れ、ちく、ちく、となおも出口をつつく。
 我慢の延長戦の最中、もうできるだけ余計なことを考えないようにしよう、と若葉が窓の外へ視線をやった時だった。

(――だれかいる)

 こちらを見られた――という意味ではなかった。
 若葉がふと視線を向けた先は、校舎に囲まれた中庭。さっきまで若葉の居た場所だ。
 そこに、ぽつん、と制服姿の人影がある。
 ちょうど若葉には背を向けていて、誰なのか顔はわからない。クラスメイトかどうかもわからない。知っている相手かもしれないし、知らない相手かもしれない。木陰に立っているのと遠目のせいで、身長もはっきり判別がつかなかった。
 ついさっきまで若葉のいた場所で、その子はきょろきょろと周りを見回し、ポケットから携帯を出して時間を確かめている。

(――どうしようっ?)

 頭の中から吹き飛んでいたはずの、見えない手紙の差し出し主が、一瞬で再構成される。
 誰だろう。わからない。ひょっとしたら若葉を待っているのじゃなくて、他の誰かと待ち合わせをしているのかもしれないし、別の用事で来ているだけかもしれない。
 でも。
 でも、でも。
 このまま若葉が遠回りしてトイレに行って、おしっこを終えてすっきり戻ってくるまで、あの子はそのまま、待っていてくれるだろうか?
 そうだ。もう放課後になって時間はかなり経っている。学校に居る生徒だってまばらだろうに、なんで今中庭に出てくる必要があるのだろう。普通ならこの季節のあんな場所に用事なんかないはずだ。
 若葉が、あそこで何分待っていたとかは、この際関係のないことだ。
 名前も、時間もわからない待ち合わせ。そんな不確実なものは、たぶん悪戯のはずだ。
 でも。でも、いま、中庭には確実に誰かが来ている。約束を守ろうとしてくれているかもしれない相手がいることが、こうして分かっているのに、それをほったらかしていていいんだろうか?
 だめ、そんなことより早くトイレ! おしっこでちゃうよ!
 若葉の心がそんな悲鳴を上げる。 

(――でも)
(――勘違いかもしれないけど)
(――いま行かなかったら、会えないかもしれない)

 そうなればもう、若葉はあの手紙の差出人が誰だったのかもわからないままだ。
 後ろ髪を引かれる思いと、可能な限りの全速力でトイレに行きたがっている下半身を、無理矢理意志の力でねじ伏せて。
 若葉は再度昇降口に向かって、靴を履き替える。
 靴下だけで歩いた廊下の冷たさに、まるで棒のように凍えていた足が、感覚の薄れた爪先で革靴を引っ掛ける。
 体を曲げたり、伸ばしたり――ほんのわずかな運動で膨らみきった膀胱が圧迫され、おしっこが出口に押し寄せる。ぴくぴくと痙攣をはじめたおしっこの孔に、またぷくりと熱い雫がたまり、細く押しつぶされた管の中にまで注水がはじまる。じわあ、と下着が滲む。
「ぁ、あっ、あ、っ」
 ほんの数ミリ、ぎゅっ、とスカートの間に深く押し込んだ手のひらのすぐ内側にまで、おしっこの重さを感じる。
 じわ、と肌に押しつけられた下着の股布に残る湿り気が、若葉の我慢を激しく揺さぶる。
 おしっこ。おしっこでちゃう。おしっこ漏れちゃう。

(――い、急がなきゃ。はやく)

 はやくしないと、おしっこでちゃう。
 けれど、若葉が向かう先はトイレではない。ひょっとしたら、人生で一番大切なことになるかもしれない、中庭だ。
 トイレから引き離されるのを嫌って、若葉の尿意はなお激しくなる。おなかのなかがぐるぐるとうねって、なにか別の生き物が暴れているような気さえした。
 もう少し冷静なら、なにを馬鹿ことをしてるんだと自分を叱り飛ばしたに違いない若葉の理性は、もうなにを優先すべきなのかを理解できていなかった。
 我慢し続けたおしっこで、溺れそうになりながら――若葉は校舎を周り、中庭へと走る。
 ぐるっ、と最後の角を曲がり、中庭に出た瞬間に。
 下着の奥に、まるで焼きごてを当てられたような刺激が走った。ぢくぅっ、と排泄孔に鈍く重い痛みが走り、おしりの孔までぷくりと盛り上がる。
 じわぁ、と下着が一気に湿ってゆく。脚の間が熱に包まれ、腰の奥が溶け出すようにうねる。我慢に我慢を重ね続けていた下半身が、勝手にその責務を放棄していた。
 真冬だと言うのに吹き出した汗と、耳奥がきーんと痛くなったのと、目の前が真っ白になったのとで、若葉は自分が一瞬、真夏の太陽の下に放り込まれたんじゃないかと錯覚する。腰の奥、背骨の辺り、身体の芯がじわぁああ、と熱くなり、下着のなかがぐうっと膨らむ。
 これ以上、どこにも膨らめなくなったおしっこの袋が、一番もろい部分を突き破る。
 そうして、ずっとずっと押さえ込まれていた出口のホースが一気に解き放たれた。

(――あ、あ、あ)

 思考が空転し、自分を襲っている事態が理解ができない。そのくせ若葉の下半身ははっきりと、刻一刻移り変わる事態をセンサーのように感じ取っている。
 内股になった脚の合わせ目に、じゅうぅう、と熱い液体が吹き出してゆく。鈍い痛みを残しながら、むず痒さを入り混じらせた――まるでしもやけになった場所をストーブにかざしたような感覚だった。
 ふらふらと揺れた身体が、支えを求めて、中庭の桜の幹によりかかる。前向きに倒れこんだ肩を木の幹に押し付けながら、若葉はぎゅっと握り締めたスカートの股間に、指先がやけどしそうな熱さを感じた。
 細く開いた出口から、渦を巻き音を立てて濁流が吹き出す。
 股間の先端で弾ける灼熱の飛沫が、腰骨と背中を伝い、若葉をふわぁ、と極上の解放感へ押し上げた。
 ぐるぐると感じるおなかの重苦しさはそのままに、下半身が震え悶え、激しく暴れ揺さぶられる。

「ぁ、あ、あっ、あ、ぅ……ぃ、っ、あっ、ぉ、っ」

 意味のない途切れ途切れの母音が、ぱくぱくと開閉する若葉の口から意味のない呻きになってこぼれる。開きかけはしていても、長時間の我慢で焼き付いたおしっこの出口は、じゅぶっ、じゅじゅっ、と短く区切るように断続的に飛沫を下着のなかに撒き散らし、スカートをみるみる染めてゆく。
 身体の中に閉じ込められたまま、何時間もかけて体温で温められた熱水は、まるでお風呂に浸かったみたいな心地よさで若葉の下半身を覆っていった。ぴったりくっついたまま引きつって動かない内腿の間を、何本も何本も、蛇のようにくねりながら水流が流れ落ち、ふくらはぎを伝って、革靴の中に注ぎ込まれてゆく。
 冷え切った爪先が溶け出すように熱い。氷のような廊下を歩いて、冷たくなった足先に、じわああ、とおしっこの熱が滴ってゆく。
 しゅううう、じゅぅぅううう……
 直接地面を叩いているわけでもないのに、はっきりとおしっこの音は響いていた。
 下半身だけ熱いシャワーを浴びているような気分。
 少しだけ大きめの靴をすぐにいっぱいにしてかかとからあふれ出すおしっこは、若葉が体をひねるたびに下着の奥でぶじゅっ、ぶじゅっとひしゃげた蛇口みたいな音を響かせた。とうとう力尽き、完全に開ききったおしっこの出口から、信じられないほどの勢いでおしっこが飛び出し、木のの根元ににばちゃばちゃと広がってゆく。
 あれだけ大きく硬く膨らんでいた、おなかのなかのおしっこの袋が、あっという間に萎んでゆく。溜まり続けていた中身を残らず撒き散らしながら。

(あ、あぁ、あ……)

 断続的なものも含めると、合計2分半もかけて。
 一滴残らず、最後の最後までおなかのなかのおしっこを出し切ってなお。ぽた、ぽた、ひちょん、と足元に滴り続ける水滴の音を聞きながら、うっとりと目を閉じたまま、若葉は強いられ続けた我慢からの開放に心を許していた。
 ぬかるむ地面に広がる水溜りは、近くの灰色の雪を少しずつ、溶かしては広がってゆく。
 ありったけの熱と中身を吐き出して、おなかの中で、すっかり空っぽになったおしっこの袋は、さっきまでの図々しさをすっかり忘れたように、慎ましやかに小さくしぼんで若葉の体の内側の所定の位置におさまっている。
 ずぶぬれの下半身には、もう最初のころのような焼けるほどの熱さはない。けれど、冷たい足をすっかり暖めてくれた熱はしっかり残っている。
 じんわりと火照る肌に、濡れて張り付く制服が、まるで自分を抱きかかえてくれているようで、その心地よさに濡れた腰をぶるぶると震わせながら――若葉は熱い吐息をこぼす。

「ぁ……ん」

 とく、とく、と、胸の奥で高鳴る鼓動がリズムを刻む。
 熱くなったそこは、さっきまでよりもほんの少し、やわらかくなったようにも感じられ、若葉はそっと、制服の胸を木の幹に押し付ける。自分でもびっくりするような可愛い声が出て、若葉は思わずぼんやりと目を開く。
 頬が熱く、額にはしっとりと珠のような汗が浮かび、前髪を数本、頬に貼り付けている。
 ずぶ濡れの下半身は、おしっこをすっかり出し終えてなお、まだ熱く火照っていた。
 おしっこまみれの押さえた手のひらの中、濡れた下着に脚の付け根がぐちゅ、と擦れる感覚は、尿意とはまた別の、じんわりとした甘い痺れをもたらして、若葉は口の中に浮かんだ唾液の珠を、啜るようにこくんと飲み込む。

「……んぅ、…ふ、」

 くちゅ、と濡れる下着をもぞもぞと指で押さえ、若葉はぼうっと、熱に浮かされた頭で身体を起こす。

 そんな若葉から、少し離れた場所で。
 一人の生徒が、硬直したまま立ち尽くしていた。
 中庭の木の幹にしがみついての、盛大きわまるオモラシを、特等席で一部始終、あますところなく見せてくれた少女に、ただただ言葉を失って。
 振り向いた先にその姿を捉え、若葉の意識が、ざりっとノイズを挟む。

「ぁ……」

 どくん、どくん。
 はっと目を見開く若葉の胸で、高鳴る鼓動が、きゅっと引き絞られる。
 うるさいほどに響く心臓の音が、ひときわ大きく、どくんっ、と震えた。



 (初出:書き下ろし)

 
[ 2011/02/12 21:32 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)

モンスター・ペアレント 


 高野女史の抗議は、3時間にもわたって続いていた。
 時計を見ればすでに7時。応接室に詰めた職員達の顔色にも疲労と困惑が濃い。それは私も同じことで、パイプ椅子に張り付いた腰骨がめきめきと嫌な音を立てる。まだやらなければいけない仕事は残っているのだが、いったいいつになればこの牢獄から解放されるのだろう。気付かれないようにそっと溜息をつく。

「ねえ、一体どういうことかと聞いてるんですよ!? それをさっきからあなた達は、わけのわからないことばかり言って……こんな人たちが先生だなんて、世も末ね!! きちんと説明をしてください、説明を!!」
「ええ、ですから、ことの経緯は――」
「ああほらご覧なさい!! そうやって誤魔化そうする!! まったくもうっ!!」

 とは言え、ただの関係者としてこの席に同席している私など、今もこうして矢面に立たされている学年主任と担任のに比べれば天国のようなものだろう。
 感情をたかぶらせてエキサイトを続ける高野女史は、まるで他人の意見に耳を貸す様子がない。意見どころかほとんど口封じのような勢いで、女史の批判は事件当時の担任の対応、学校の態度から始まり現在の学校制度、若者への抗議、は政府への不満に幅広く及んでいた。
 受験を来年に控え、そろそろ幅広く視点を持つ必要がある時期だとは言え、この場で現在の政府の弱腰外交と利権をむさぼる政治家を批判する演説をぶちあげられても、こちらとしては頭を下げるばかりである。

「ちょっと!! 何とか言ったらどうなの!! だいたいそれが教師の態度ですか!? 生徒すべてに、平等にチャンスを与えるのが当たり前でしょう!?」
「ええ、はい、それはごもっともですが……」
「だったらどうして言うことがきけないの!! 子供でも悪いことがあったら謝りますよ!! このウソつき!! 税金どろぼう!!」
「はあ……」

 私学に税金はあまり関係ない気もする。
 マシンガンのような抗議の盾になってくれている担任と学年主任の背中に感謝をしつつ、良くまあ耐えているなあ、と他人事のように思う。実際、高野女史の言っていることはあまりに滅裂で、真面目に受け取ってしまうと本気で怒鳴り返してしまいそうだった。
 ……実際のところ、私は問題になった試験当時も別の場所におり、事件についても完全に後になってから知った身であるからなおさらである。

「秋穂ちゃんがどれだけ苦しい思いをしたのか、わからないの!? ええきっと分からないわ!! 人の心なんかわかりもしないのよ!! 冷血動物のあなた達は!!」

 どちらかといえば、絵にかいたような三角眼鏡の高野女史のほうが失礼ながら爬虫類のようにも見えたりしたが―――さておき。
 そもそもの事件――(というほどのことなのか、私にはやや判断しかねる)は、3日前の6時間目の授業で起きた。
 その時間、3-Aでは担任教諭による国語のテスト(担当教科だ)が行われており、高野秋穂を含むクラス28人全員がそれに取り組んでいた。
 しかし、試験開始から15分ほどで秋穂の様子がやけに落ち着きなくなっているのに気付いて担任が声をかける。
 秋穂は大丈夫と答えたものの、数分後にはまたそわそわと身体を揺らし始め、再度担任が具合を聞いた。このやりとりは数回行われ、ついに秋穂が尿意を催していることに担任が気付いてしまう。
 異性の、それもまだ若い男性教諭ということで言い出しづらかったのだろう。ようやくそれに気付いた教諭は、秋穂にトイレに行ってくるように勧めるが、秋穂はこれを拒否。理由は回答時間が足りなくなるからというものだった。
 それを説得する際にやや押し問答となるも、結果的に秋穂は試験を中座し、教室をあとにトイレに向かう。これが試験開始からおよそ20分とすこし。
 その後、10分ほどして戻ってきた秋穂は、そのまま試験終了まで回答を続けた。
 ことの経緯は以上である。
 この対応が何かの問題になるなどとは、担任含め私も学年主任も、まるで思っていなかったのだが――試験の結果発表後、この経緯を知った秋穂の母親である高野女史が、秋穂が不当な扱いを受けたと猛抗議をし、こうして学校にまでやってきて相談会を開くという事態となったのである。

「いいですか!? ちゃんとお聞きなさい!! あなた達はね、自分勝手な都合と押しつけがましい偏狭な価値観で、前途ある子どもの将来を傷つけたんですよ!? 本当にこれがどれほど重大な過失であるのか理解しているの!?」
「ええ、はあ、はい……」
「ウソつき!! そんなうわべだけ謝ってれば済むって思ってるんでしょう!! 本当に嘘ばかり!! ……すでに教育委員会ともお話はさせていただいています。この不当な扱いが、秋穂ちゃんの心をどれだけ傷つけたのかわからないの!? このろくでなしの人でなし!!」
「ああ、いえいえ、そんなことは決して……なにとぞ、穏便にですね……」

 汗だくの学年主任は、もはやなにを言っても無駄と、女史の怒りを鎮めるのに精いっぱい。担任も何か言いたそうな顔はしているものの、女史の前で大人げない対応を取ることはなかった。狭量な私にはとてもできそうにない忍耐で、見習わなければならない。
 しかし、実際のところ二人とも内心、気が気ではないに違いあるまい。
 そう、女史の隣で、うつむきソファに腰掛ける――ボブカットの少女。件の高見秋穂である。
 くせのない黒髪、整った顔立ち、化粧っ気もないおとなしめの外見は、昨今の流行とはかけ離れた、清楚で落ち着いた雰囲気で、同性の私から見ても好感が持てる。優等生然と知性を感じさせる切れ長のまなじりは、しかし今は困惑と苦悩に溢れて、落ち着きなく絨毯を行き来していた。
 いやはや、それに比べて隣でヒートアップを続ける高野女史ときたら、ビヤダルを二つ三つ重ねた上に布団をかぶせたような、実に恰幅の良い格好で。編み目タイツの胸元や脚はまるでお中元のボンレスハム。よくもまあ似なくて良かったものだと、当の高野女史以外はそう思うだろう。
 実際、秋穂は礼儀正しく、実に真面目で優秀だった。
 何事にも興味を持ち、積極的に取り組み、気配りもする。内申にも非の付けどころがなく、と言って部活や同級生との交流を避けるでもない。実に絵に描いたような優等生なのである。
 それだけに今回のような問題が起こるとは、誰も思っていなかったのだ。

「ねえ、聞いてるのあなた達!! 返事をなさい!!」

 女史の主張はこうだ。
 試験において、秋穂はもともと中座するつもりなどなく、試験時間終了まで回答を続ける意思があった。それを、担任がむりやり廊下に連れ出して、10分以上も回答時間を浪費させたのだという。それによって秋穂は試験を完投できなかった。これは教師によってわが子の成績が不当に貶められた行為である――云々。
 事によると秋穂に対して特別視――言葉を飾らなければ、秋穂に対して邪な思いを抱いて、弱みを握ろうとした変態の卑劣漢でではないか。言えきっとそうに決まってる!! そんな誹謗中傷まで、女史の口からは飛びだした。
 誤解のないよう言っておけば、試験での秋穂の点数は86点。クラスの平均点である62点から見てもかなり上であり、空欄だった回答欄も二か所だけ。これでいったいどう不当に貶められているのかと疑問に思うが、高野女史いわく、秋穂なら満点が取れて当たり前なのだという。
 つまり担任が秋穂を中座させ、10分以上、試験時間を削られ、さらには精神的苦痛を与えられたことで、満足な実力を発揮できなかった――それが女史の言い分であるらしい。
 実にむちゃくちゃな主張であるが、女史の荒唐無稽な論舌はこれだけにとどまらないのである。

「差別よ、これは差別です!! だいたい教師が、子どもの意志を尊重しないなんてことがありますか!? 自分勝手な正論を押しつける教育なんて、前時代的もいいところよ!! 子どもの成長は自由にさせるのが一番でしょう!! それを――あんな破廉恥な!!
 秋穂ちゃんは、試験を最後まで受けるつもりだったんです!! ――いいですか、もう一回言いますけどね!! 女の子が、お手洗いなんて行くはずがないでしょう!?」

 そう。
 ――女の子はトイレなんか行かない。
 冗談も誇張も抜きに、高野女史は、そう主張しているのである。

「はあ、ですが、その――」
「ええ、よそ様の子はどうか知りませんけどね。失礼ながら先生方もたくさんの生徒さんを見てらっしゃいますから、中には躾のなっていない――こんな、誰が使ったかもわからないような不衛生なお手洗いを、平気で使うような子もいるのでしょうけどねぇ。……ああいやだ。
 ですけど、普通、女の子が人前でお手洗いに立つなんて、そんな非常識なことがありますか!?」

 いやはや、最初にそれを聞いた時は正直、正気を疑った。馬鹿かとアホかと。そのまま『は? あんた何言ってんだ』と、本気で口に出しかけてしまった。
 それは担任も学年主任も同じ気分であるらしい。先程から話題がこの件になるたび、学年主任のほうを困ったように見ている。主任もそれは分かっているようで、困惑は見せながらも、しかし女史の圧倒的安剣幕に圧されて反論はできずにいた。
 だがもっとかわいそうなのは、当の秋穂だ。
 当事者としてこの席に同室している彼女は、エキサイトを続ける母親の隣で、今もなおしきりに腰を揺すって、息も荒く顔も赤く、表情を強張らせている。
 すでに両手は人目もはばからずスカートの間に差し込まれ、下腹部をきつく握りしめている。
 ただでさえ人一倍他人の視線を気にする年頃だ。その羞恥はいかばかりだろう。時折身体を強張らせ、『んっ……』と短く息を詰めるたび、閉じ合わされた膝の間でスカートがぎゅうぎゅうと握り締められる。
 秋穂は切羽詰まった表情で額に薄く汗を浮かべ、しきりに母親のほうを気にしているのだが――高野女史はそれを知ってか知らずか、まるで秋穂のことを顧みようとはしなかった。
 もじもじと小さく揺すられた腰が、ソファの上で揺れ、爪先が絨毯をぐりぐりと擦る。
 速く浅い吐息は、少しでも油断した瞬間に、少女の崩壊が訪れることをはっきりと知らせていた。

「まあ、じゃああなた達は秋穂ちゃんが悪いっていうの!?」
「い、いえっ、決してそのような事は――」
「嘘つき!! いま言ったじゃないの!! だからあなた達は信用ならないのよ!! そうやって適当にたらい回しにすればいいって思ってるんでしょう!! いい歳した大人が自分のことも自分でできないで他人を頼るなんて!!」

 実の母親のくだらない見栄で、トイレにもいかないお嬢様に仕立て上げられてしまった少女は、足の付け根に懸命に指を食い込ませ、激しく腰をよじって、腿を擦り合わせている。
 しかも、部屋の半分は成人男性だ。その心中はいかばかりか。
 私とて、流石に見過ごせない。途中何度か、休憩を申し出てみようとした。しかしそのたびに女史の『結構です!!』『逃げるつもりなの!!』『私が諦めて帰るまで適当に相手してればいいと思ってるのね!!』と散々な言われよう。
 秋穂の様子がおかしいことを、遠まわしに指摘して、少し休憩をと言ってみても、『んまあ呆れた!! あなたまで秋穂ちゃんを馬鹿にするのね!? もう一体どうなってるの、この学校は!?』と今にも噛みつかれそうな勢いで迫られたため、あえなく断念せざるを得なかった。
 今まさに迫る、少女の危機をまるで無視して叫び続けるモンスター・ペアレントの罵声は、なお途切れることはなかった。



 (書き下ろし)

[ 2011/02/12 21:26 ] 我慢 | トラックバック(-) | コメント(-)

佐都子妄想系 


 佐都子はイジメに遭っている。それもクラス全員が結託した大がかりなものだ。
 相談できる相手はいない。先生や両親をはじめ、大人には信じてもらえないし、同年代の友達は全員、いじめっ子の味方をしているからだ。
 どんなふうに説明しても、皆は佐都子の話を信じてはくれず、すっとぼけてこういうのだ。

「あはは。そんな事ないってば。気のせいだよ」

 ――と。
 佐都子へのいじめは、クラスの女子が中心だった。理由はたぶんささいな事で、誰かの挨拶に答えなかったとか、一人だけいい成績をとったとか、そんなものだった。何がきっかけだったのかは佐都子もはっきりわからない。
 いくら道徳の授業をしても、教育評論家が批判しても、政治家が立派な演説をしても。佐都子の年代には、多かれ少なかれあることなのだ。学校という社会は最たるもので、特定の誰かを攻撃の矛先にすることで心の安定を保ち、それ以外の全員の結束を高める。
 そのターゲットに選ばれたのが自分なのだと、佐都子は考えている。
 クラスの女子たちのイジメは、ノートを破ったり、持物を隠したり傷つけたり――そういった被害の出るような手段にはならなかった。そんなものよりももっと陰湿に、佐都子の心を傷つけることを何よりも好んだのだ。
 そうして一番良く使われる手段が、学校のトイレの使用を禁じるものだった。
 けれど。たぶんそれをHRで佐都子が先生に主張しても、誰もその言葉を信じてはくれないだろう。特に男子は絶対にそうだ。

「だって、お前いつも、女子と一緒に便所、行ってんじゃん」

 知らずに――あるいは知ってるけど知らないふりをして、そんな間抜けな事を言うにきまってる。だから先生も、佐都子の言うことなんて聞いてくれないのだ。
 しかし先生は、そして一部の純粋な男子達は、知らないのだ。佐都子が休み時間に、クラスメイトたちと女子トイレに立っても、そこで一滴もおしっこをさせてもらっていないことを。
 トイレに行っても、オシッコができない――それがどれだけ辛いことか分かるだろうか。
 考えてみて欲しい。人一倍、人の目を気にする年代の少女にとって、クラス全員の注目を浴びながら、いまにも出てしまいそうなおしっこを堪えて腰を揺すり脚をもじつかせることが、どれだけの羞恥なのか。
 授業の時間だけじゃない。朝礼の時も、給食の時も、体育の時間も、遠足も、社会見学の時だって。佐都子はいつも、いつでも、おしっこをずっと我慢しながら、参加しなければならない。
 それこそ、死んだ方がマシ――そう思えるくらいだった。




『ねえ、我儘言うのやめようよ。それくらい我慢できるでしょ?』
『もう子供じゃないんだからさぁ』
『ちょっと、なんてカッコしてるのよ……ちゃんとして!!』

 クラスの女子たちは次々と、佐都子の羞恥を刺激するような言葉をぶつけてくる。さも佐都子がトイレに行きたがることが、みっともないのだといわんばかりに。
 それが彼女達のイジメのすべてだった。
 ……というよりは、トイレを使わせない、その一点を除けばびっくりするぐらいクラスメイトたちの態度は変わっていなかった。距離を置くでもなく、無視するでもなく、クラスの仕事を押し付けるでもなく、普通に話してくれるし相手だってしてくれる。
 お小遣いを取られるようなこともなかったし、身体に傷をつけるような暴力もない。
 ただただ、ごく普通に――佐都子がトイレに行くことだけをかたくなに禁止するのだ。想像以上の、しつこさと、巧みさすら備えて。

『今日から、佐都子ちゃんはトイレ禁止ね!』

 ……確かそんな宣言から、佐都子のオシッコ我慢は日常になった。
 はじめのうちは、ただトイレを使わせないだけだった。
 それでも、どちらかといえばトイレの近い方の佐都子には地獄のような苦しみだった。できれば休み時間ごとにトイレに立ち、たとえそれが無理だとしても2時間続けて授業を受けるのが精々の佐都子に、登校してから放課後までおよそ8時間以上、一回もトイレに行かないでいるなんてことは不可能だ。
 もっとも、この頃はクラスメイトたちの意地悪もまだエスカレートしておらず、なんとか時間を見つけてトイレに逃げ込む余裕があった。ぎりぎりのところでチビりそうになったりもしたが、幸いなことにオモラシにまで至ってしまったことはない。
 イジメが本格的なことになっているのに気づいた佐都子はただちにこれに対抗するため、朝、できるだけ水分を取らないように心掛け、出かける前にはトイレで一滴残らず膀胱の中身を絞り出してから家を出るようにせざるを得なくなった。
 それでも、8時間以上の我慢はあまりにも無謀だ。
 佐都子は少しずつ我慢のコツを身に着けていったが、同時にクラスメイトのイジメも加熱していった。何度もおしっこを漏らしかけ、そのたびに死ぬほど屈辱的な目に遭わされた。
 ぎりぎりの所でオシッコを許され、どんどんチビりながらトイレに駆け込むも、パンツをびしゃびしゃにしてしまうくらいは序の口。
 どうしてもトイレに入れずに、ひとけのない校舎裏や、帰り道の草むら、そして挙句は男子トイレでオシッコをさせられたこともあった。




 けれど、一週間が過ぎ二週間が過ぎ、一月が過ぎ二月が過ぎて、できるだけ水分を控えるようにした佐都子がなんとか8時間を平常運転で乗り越えられるようになってくると、彼女たちはまた新しいイジメを考え出した。
 出すものがないなら、補給すればいい。
 彼女たちは朝のHRの前に、お茶を飲ませるように迫ってきたのだ。最初は350mlのペットボトル。それはすぐに500mlに増量し、やがてそれも2本、3本と増えた。
 しかも誰が持ってくる訳でもない。佐都子の机の上に、無言のままにどんと置いてあるのである。

『飲まなかったら、ただじゃおかないからね?』

 まだコンビニのシールが張ったままのペットボトルは、毎日毎日、無言の圧力と共に佐都子の机の上に置かれている。この状況でどうして飲まずにいられるだろうか。
 もともとお茶には利尿作用があるが、彼女達の持ってくるお茶はそれに輪をかけて効果の優れたもの。身体の中の悪い成分を追い出してしまうという触れ込みの美容健康茶だ。
 その謳い文句に偽りはなく、お茶の効き目は素晴らいものだった。
 もともと敏感な佐都子の身体は、てきめんにその効果を受け、ひとくちふたくち飲むと、ほんの1時間くらいであっという間に膀胱がたぷたぷと音を立てるほどに、おしっこでいっぱいになってしまう。
 それを500mlペットボトルに2本も3本も飲むわけだからたまったものじゃない。……いや、おしっこは恐ろしい勢いで下腹部に『溜まって』ゆく。
 まるでザルみたいに身体を通り抜けて、飲んだお茶がそっくりそのまま同じだけ、佐都子の膀胱を占領してゆくのだ。
 そのときの感覚はそら恐ろしく、おなかの中に直接、ホースを繋いで蛇口をひねられているような錯覚さえあった。あ、と思った瞬間には、ひゅごぉお、と音を立ててそのままおしっこが膀胱いっぱいに注ぎこまれてゆくのだ。
 朝、登校するや否や机の上に並べられて待ち受けているペットボトルの重さが、そのまま全部ずしんと佐都子の足の付け根に圧し掛かる。
 そして佐都子は、一番底に穴のあいた、おなかの中の入れ物に、なみなみとおしっこを注がれて、いまにも溢れそうにたぷたぷ揺れる恥ずかしい液体を、佐都子は毎日、延々と放課後まで我慢させられるのだった。






「さとちゃん、トイレいこー?」

 その一方で、友人たちは休み時間になると、そんな風に佐都子をトイレへと連れ出す。これは仲良しを装いながらも実に巧妙で、佐都子がクラスの女子の目を盗んで、他のトイレにいけないように休み時間中ずっと拘束しておくためだ。
 彼女達は佐都子のトイレが近い事を逆手に取り、毎時間そうやって、佐都子を女子トイレに連れ込んでゆく。
 しかしトイレに連れだされた佐都子は、そこで個室を目の前にしながら、決して中に入れてはもらえなかったり、ひどい時は個室の中に見張りをつけられて、内側からカギをかけられてトイレをすっかり塞がれ、オシッコができないようにさせられたりもした。
 クラスの女子たちはまるで皆が揃って、尿意に嬲られる佐都子の下半身を視姦しているかのようだった。
 実際、そうやって佐都子の苦しむさまをみて、悦んでいる変態なクラスメイトもいるのかもしれない。佐都子におしっこを我慢させることは、いつしか彼女達にとっても娯楽となっているらしかった。
 だからその監視も並大抵のものではない。もし佐都子が少しでもそんなそぶりを見せようものなら、即座に携帯で写真を撮られてばら撒かれると脅されもした。
 それが本気かどうかはわからないけれど、試してみる気にはなれなかった。
 他にも、授業中に無理矢理「具合が悪い」と手を上げさせられたり、保健室に行く名目で連れ出されたりした。そんな時ももちろん「トイレに行きたいです」とは言わせてもらえず、オシッコを我慢させられたまま次の時間まで保健室に閉じ込められたりするのだ。
 まだイジメがいまほど本格化していなかった頃は、なんとかそうやって、こっそりトイレに駆け込む事も出来たけれど、いまはすっかりこの裏技も知られていて、万が一にでもトイレに入ることは許されない。
 授業中ならクラス全員が邪魔できるはずもないからこその、絶好のチャンスなのに――それすらも封じられて、佐都子の我慢はますます激化した。
 例の健康茶の作用で、まるで貯水池みたいにおしっこを限界まで我慢し、ぱんぱんにおなかを膨らませながら、トイレを素通りして保健室に行かなければならないときの辛さといったら、筆舌に尽くし難い。
 しかもあろうことか保健の先生まで彼女達の味方をしていて、佐都子をトイレには行かせてくれないのだ。
 そうしておきながら、先生は

「あら。トイレ? 行ってきたら?」

 などと意地悪なことを言うのである。もし本気で佐都子がそうしようとしたら、絶対に阻止するくせに。保険の先生は、佐都子がオシッコをするのを見るのが大好きな変態らしく、変えのパンツや制服まで用意して佐都子を待ちかまえている。
 ……最近ではついに、シビンなんかを用意するようになって、佐都子にそこにおしっこをさせるように迫って来ていたりした。もう最悪だ。




 クラスの女子たちだって負けていない。暗黙の了解だった、放課後はオシッコタイムの規定すら破って、最近では帰りの時間まで我慢の延長戦を強いるようになってきた。
 彼女達は帰り道に、言葉巧みに佐都子を誘い、逃げられないようにしてからさも仲の良い友達のふりをしてはあちこちを連れ回す。
 酷い時はカラオケやファミレスなどに寄り道して何時間も居座り、そこでさらにドリンクバーなどを頼んで佐都子に呑ませるのだ。
 もちろん、その間もトイレには行かせてくれない。その間にも彼女達はこれ見よがしに

「飲み過ぎちゃったよぅー」

 などと言いながらトイレに立つ。目の前で、佐都子が必死にオシッコを我慢しているのを知っていながら、だ。そうやって見せつけることで、佐都子の限界を誘っているのだ。
 もちろんこの時、佐都子派テーブル席の一番奥に押し込められて、外に出られないようになっている。そうして楽しくおしゃべりしている風を装いながら、佐都子の方をちらちらと見ては、

「佐都子ちゃん、トイレ平気?」

 なんて白々しく聞いてくるのである。
 それでも佐都子は負けるつもりはない。こんな卑怯な手段には決して屈することなく、正々堂々、イジメに向かい合うつもりだった。トイレ禁止なんて姑息な真似をするんだったら、最後まで徹底抗戦しかない。たとえどれだけ恥ずかしい目に遭っても、いつか向こうが音をあげるまで我慢し続けてやる、と心に決めていた。


 ……けれどついに今日、このイジメに、姉と両親まで参加してきたのだ。
 帰り道の寄り道に2時間もつき合わされ、ジュースとアイスまで食べさせられ、寒空の下で冷える身体をさんざんに引き回されて。
 しかも帰り道の公園の公衆トイレでは、あろうことかその目の前は低学年の子たちボール遊びのふりをして待ち構えており、佐都子がトイレに入れないようにしていた。途中のコンビニでも、スーパーも同じ。挙句トイレ自体を使わせないなんてことまでしてきた。もちろんその辺の茂みには犬や猫を散歩させて邪魔することを忘れない。
 たった一つのよりどころ、安息の地家のトイレを心の支えに、ふらふらになりながらやっと辿り着いた佐都子を待ちうけていたのは、母親の笑顔。

「今日は、お夕飯は外で食べましょう。すぐに出るから支度してらっしゃいね」

 ついに佐都子は、家でのトイレすら禁止されて、おしっこを我慢したままファミレスに連れて行かれることになった。
 けれど佐都子はくじけない。たとえ家のトイレすら入ることができなくなっても、このいじめには絶対に屈しない。



 (書き下ろし)

[ 2011/02/12 21:22 ] 我慢 | トラックバック(-) | コメント(-)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。