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夏祭りのお話・前編 


「ほら千佳、もうお姉ちゃんたち出かけるわよ。着替えなさい」
「あ、待ってよおかあさんっ」
 うだるような暑さが、夕焼け空とともにわずかに弱まり、入れ替わりに蝉の声が強くなって、それに重なるように小さな花火の音。
 ベッドに寝そべってお財布をひっくり返し、お小遣いを数えていた千佳は、慌てて飛び起き、今日のために用意した硬貨を詰め込んだお財布をポシェットに詰め、リビングに向かう。
「百恵、千佳の手伝ってあげてくれる?」
「はーいっ」
 リビングでは既に浴衣に着替え終えた姉が、千佳を待っていた。Tシャツとカットジーンズを脱ぎ、こどもぱんつ一枚になった千佳は、とてとてと姉の側に走り寄る。
「おねえちゃん、もう着替えたんだ」
「約束、5時半からなのよ。千佳も友達と行くんだっけ?」
「うん、郁乃ちゃんといっしょ」
 一番の友達との待ち合わせは6時からだ。待ちきれずバンザイをする千佳に、姉は苦笑しながら浴衣を着せてくれる。
 今日のお祭のために新しくしてもらった浴衣は、白地に向日葵をあしらった爽やかな色合いだ。いつもズボンで元気に走り回っている千佳には、ひらひらした浴衣の感触は微妙に馴染まない。
「ほら、じっとして。せっかくお洒落して行くんだから、今日くらいはちょっとはおとなしくしてなさいよ?」
「えー? そんなのやだよ。ぜったいリベンジするんだもん」
 千佳は口を尖らせた。リビングの机には、大きな透明の金魚鉢が置かれている。これも、今日のために用意したものだった。
 昨年、千佳は具合悪く夏祭りの当日に風邪を引いてしまい、泣きながらベッドで一日を過ごした苦い経験がある。一番楽しみにしていた金魚すくいもできず、それから一年、カレンダーに印をつけてずっと今日を待ち続けてきたのだ。
「あれだってお祭りの後だっていいじゃない。ちゃんと捕れるか分からないのに」
「そんなことないよ。きっと大漁だもんっ」
 ぐっと拳を握り、千佳は高らかに宣言する。
 きょうはその決戦の日だった。ピカピカの新しいおうちに、きっと沢山金魚さんを連れて返ってくると、千佳は固く決心していたのだった。
 妹の意気込みを感じ、姉もはいはい、と応じてくれる。
 もうすぐ5時を指す時計の針を見上げながら、千佳は期待に高鳴る胸とともに、ふつふつと闘志を湧き立たせているのだった。





(んー……なんかすーすーするなぁ……)
 いつもは感じるズボンの感覚がなく、下着のしたはすかすかと頼りない布がぶら下がっているだけなので、妙に脚が落ちつかない。
 とは言え、向日葵の浴衣は千佳が一番気に入っていた柄だ。鏡に見ても可愛いので、たまにはこんなのも悪くないかな、と千佳は思う。
(まだかな、郁乃ちゃん……)
 サンダルの底を鳴らしアスファルトの地面を蹴って意気揚々と出発した千佳は、予定通り6時15分前に待ち合わせの神社隣のお店の前に到着していた。
 片手には手持ち無沙汰を埋めるために買ったジュースのペットボトルと、途中の出店で買った焼き蕎麦のパック。まだ境内にも入っていないと言うのに、焼き蕎麦はその全部が、ジュースはすでにその半分ほどは千佳のおなかの中だ。
 最初はまばらだった人通りも神社に向かうにつれて徐々に増し、いまや道路は人ごみでごった返すほどだ。二年ぶりのお祭の盛況に、否が応でも千佳のテンションは高まっている。
「ん。……あ!! 郁乃ちゃんっ、こっちこっちーっ!!」
 道路の向こうに待ち焦がれていた小さな姿を見つけ、千佳は大きく手を振って叫んだ。名前を呼ばれた少女は、ちょっと恥ずかしそうにしながら慌てて人ごみをかき分け、千佳の元にやってくる。
「こんばんわっ、郁乃ちゃんっ」
「千佳ちゃん、こんばんわ」
 薄赤の格子模様の浴衣を着た郁乃は、ぺこりと頭を下げる。
「もう来てたんだ、千佳ちゃん」
「待ちくたびれたよぉ。早くいこっ」
「うん。……あれ、もうご飯食べちゃったの?」
「ん? ああ、これくらいどーってことないよ。おやつみたいもんだってば」
 焼き蕎麦のパックをゴミ箱に放り込み、千佳は笑いながら答える。ついでに半分ほど残っていたペットボトルを開け、腰に手を当てぐいっと一気飲みを始めた。
「んくっ、んくっ、んくっ……」
 瞬く間にペットボトルの中身が減ってゆく。男前な飲みっぷりに郁乃が『わぁ……』と感嘆の声を上げた。
「んっ……ぷはっ!! ふう、美味しかったー!!」
 あっという間に一本を飲み干して、千佳はけふ、とちいさなげっぷをした。
 さっきの焼き蕎麦が、ソースたっぷり、紅ショウガもたっぷりで、喉が渇いて仕方がなかったのだ。
「あはは……すごいね。……わたしならもうきっとお腹いっぱいだよ」
「そうなの? もっと食べたほうがいいよ、郁乃ちゃん。そんなんじゃ元気出ないよ?」
 きょとんと首を傾げ、千佳はそのまま空のペットボトルもゴミ箱に押し込んで、もう一度自販機に向かう。
 さすがに郁乃が驚きの声を上げた。
「ええっ、そ、そんなに飲んじゃって平気なの!?」
「うん、なんかすっごい喉渇いちゃってさー。おんなじの飲んでもつまんないし、今度はこっちにしよ。……よっと」
 さっきの隣のボタンを押して清涼飲料水を選んだ千佳は、すぐさま冷え冷えのペットボトルの封を切って口をつける。
「んくっ、んくっ……」
 今度もあっという間に、半分近くが千佳のおなかの中に消えてしまう。
「ふぅ……」
「すごいね……」
 何を褒めているのか分からないが、とにかく千佳の飲みっぷりに郁乃は目を丸くしていた。千佳もなんとなく張りきって、残りもぐいぐいと飲み干してしまう。
 実は、途中でそろそろさすがにおなかが苦しくなっていたのだが、郁乃の期待を含んだ視線を裏切れないような気がして、千佳はボトルを空にするまで無理をしてしまった。
「わぁ……ほんとに全部飲んじゃった」
「ぷは……おなかたぽたぽいってるや」
 あっという間に空になったボトルを隣のゴミ箱に放りこんで、千佳はおおきくVサインをする。
「ね、ねえ、ほんとにそんなに飲んじゃっても平気なの? 千佳ちゃん? お手洗いとかいきたくならない?」
「へいきへいき。これくらいなんてことないってば。まだまだこんなもんじゃないよっ」
 威勢良く答えて、千佳は再び空になったペットボトルを自販機横のゴミ箱めがけて放り投げた。狙いを過たずがこん、とナイスシュートでゴミ箱の中に納まるペットボトルを見て、うし、とガッツポーズ。
「今日も絶好調っ!!」
「あはは……でも、よかったよね。雨じゃなくて」
「ほんとほんと。今年もお祭中止だったらどうしようかって思ったよ。でもいざこうなったら、もう今日は遊んで遊んであそびまくるんだからねっ」
 ぐっと握りこぶしを掲げ、にかっと笑顔で宣言する千佳。友達のあまりの元気のよさに、郁乃もつられてあはは、と笑う。
 何しろ2年ぶりのお祭りだ。去年の鬱憤を晴らすかのように、溜まりに溜まった『お祭り』エネルギーが大爆発。千佳はいつも以上に大はしゃぎだった。
「じゃあ、行こうか」
「うんっ」
 にっこりと頷く親友と、千佳は夕闇の迫る境内に駆けだした。





 念入りに下見をしておいたおかげで、千佳は戸惑うことなく次々と屋台を回ってゆく。
 まずは定番の綿飴にソースせんぺい、たこ焼き、お好み焼き、フランクフルト、リンゴ飴。いつもはお母さんがうるさくておなか一杯食べられないお菓子が、今日に限っては食べ放題だ。あんなに水を飲んだのもすっかり忘れて、千佳は次から次へと屋台を駆け抜けてゆく。
「……うぅ、6等だ……」
「あたし4等!! おじさん、はやくちょうだいっ!!」
 元気に溢れ有り余っている千佳の様子に、屋台のおじさんも威勢良く応じ、古臭い携帯ゲームを取り出して渡してくれる。それをポシェットに放り込み、千佳はぐりん、と視線をめぐらせて次の屋台を見つけ出した。
「ねえ、あっち面白そうだよ?、行こ、郁乃ちゃんっ」
「わ、わ、待ってよぉ!!」
「あれ面白そうっ!! あたし絶対あれやるからねっ!!」
 そんな様子の大騒ぎが三十分あまりも続き、千佳はもはや、そのままどこかで露天でも開けそうなくらいの大荷物を抱えていた。クジで当てたゲームと指輪をぶら下げ、お面を斜めにかぶり、射的の景品を背負って突き進む千佳に、郁乃も負けじと付いてゆく。いつもはどちらかというと引っ込み思案な友人も、お祭を堪能して楽しんでいるようで、千佳はそれも嬉しかった。
「よし。これで大体回った……かな」
「はー、ちょっと疲れたよぉ……」
 流石に少しはしゃぎ疲れ、二人は境内の少し離れた場所に移動していた。
 リンゴ飴と綿菓子を交互にはむはむとかぶりつく千佳。郁乃はその隣で熱々のタコ焼きをはふはふとつつき、舌を軽く火傷してうぅ、と目を細めていた。
 お囃子の音と、さらに混み始めた雑踏。活気はいやまし、屋台に響く呼び込みの声もさらに高まっている。お祭はまだまだこれからだ。
「えっと、次はどこ行こうか?」
「うーん……あっちのほうまだ行ってないよね? お化け屋敷とかどう?」
「え゙……」
 ここで、思わぬ郁乃の提案に千佳は言葉に詰まってしまう。
「ゔ……あ、あたしそういうのちょっと、ヤダなぁ……」
「えー? どうして、千佳ちゃん、一緒に行こうよ。楽しいよ?」
 千佳はジェットコースターやフリーフォールのような絶叫系は大好きだが、そういうお化けとか幽霊とかが大の苦手なのである。一方で普段はおとなしい郁乃は、夏となるとなぜかそういう怖いところに好んで行きたがるので、千佳はいつも困っているのだった。
 汗をたらたらと流し、千佳は目を泳がせて反論する。
「ほ、ほら、暗いところだからあぶないし。それにお客さんたくさんいるから並ばなきゃいけないし!!」
「えー? いいよべつに。ちょっとくらい待っても。千佳ちゃんとお話してれば楽しいもん」
「で、でもさ、えーと……」
 目をきらきらさせる郁乃は、すでに境内の反対側に聳え立つ大きな小屋に意識を吸われてしまっているようだった。お化けの恐怖に身の危険すら感じ、ここはなんとか思い止まってもらおうと、千佳はなにかないかと周辺の屋台を見まわす。
「えーと……あ、お、おじさん、ラムネ!! ラムネちょーだいっ!!」
「わ、千佳ちゃん!? 待ってよぅ!!」
 千佳はとりあえず目に入った屋台へ、郁乃を引っ張って走り出した。
 ちょうどお化け屋敷の反対側に、いきなり手を引っ張られて転びそうになる郁乃が悲鳴を上げながらついてゆく。
「お、らっしゃい」
「おじさん、ラムネちょーだいっ」
「あいよっ!! 二百円だ」
 威勢良く差し出されたガラスの瓶。大きな氷できんきんに冷えたつめたいそれを、千佳は郁乃に押し付ける。
「ほ、ほら、郁乃ちゃんも飲みなよ。美味しいよ?」
「う、うんっ」
 あまりにも不自然な展開だが、この際勢いでごまかしきることにして、千佳は自分の分も注文する。郁乃は渡された瓶を捨てるわけにも行かず、おっかなびっくり口をつけた。
「ぅ……」
 一口を飲んで顔をしかめる郁乃。郁乃は炭酸が苦手なのだ。コップ一杯のサイダーを空にするにも30分くらいかかる。
 郁乃のことだからよっぽどのことがない限り捨てたりはしないだろうし、もてあまして飲んでいるうちはお化け屋敷の事は言わないだろうから、これでなんとかなるだろうと千佳はこっそり額の汗を拭った。
(……うぅ。でももうおなか一杯……すぐに全部は飲めないかも……)
 流石にあれだけ食べに食べていれば、げっぷがでるのも仕方がない。
 しかし、ごまかすためとは言え買ってしまったものは仕方がない。無理をしてでも飲まないとお小遣いも勿体ないので、千佳はラムネを喉に流しこむ。
 しゅわしゅわという炭酸の味が喉で弾ける感触も、残念ながらそんな気分ではいつもほどには素敵ではなかった。
「ふぅ……美味しいね」
「うん。そうだねっ」
 ちびちびとラムネを少しずつ傾けながら、郁乃も応じる。とりあえずお化け屋敷、と言う単語はどこかに飛んでいってしまったようなので、千佳はほっと一息を付いた。
 そうしてはたと気付き、千佳はぽんと手を叩く。
 すっかり舞い上がって忘れていたが、そもそも大切なことがあったのだ。
「そうだ郁乃ちゃん!! あたし、絶対に行かなきゃ行けないとこあったんだよ。去年のリベンジ!!」
「え? あ、そっか。千佳ちゃん楽しみにしてたもんね」
「そうだよ。郁乃ちゃん応援してくれる?」
「うんっ、もちろんっ」
 笑いあった二人はそのまま、金魚すくいの屋台へと歩き出す。
 けれど、お祭りに浮かれすぎていた千佳が忘れていたことは、金魚すくいの他にももうひとつあった。
 時刻は午後6時40分。千佳が浮かれ気分でおなかいっぱい、立て続けに摂取した水分は、ゆっくりと身体中を巡り、元気な身体を循環して、次第にある部分に集まりつつあった――





「ほらほらどうしたお嬢ちゃん、そのへんうまくいきそうだぞ?」
「うぅ、黙ってってばおじさんっ!!」
「……千佳ちゃん、頑張ってっ」
 薄紙の張られたポイを右手に、水を張った金属製のお椀を左手に。
 色とりどりの金魚が泳ぎ回る水槽の前にしゃがみ込み、千佳は難しい顔を崩さずにじっと睨めっこを続けていた。2年越しのリベンジとばかりに向かった金魚すくいの屋台で、千佳はもう15分も水の中の金魚とにらめっこを続けていた。
 何度も体勢を入れ替えて機会を狙うも、元気な金魚たちはポイを近付けると途端にさっと散ってしまい、なかなか狙いが定まらない。
「ほれほれ。お嬢ちゃん、どうしたい? もうギブアップかい?」
「うーっ、見てて、今年の私は一味違うんだからねっ!!」
 そう。いつもなら痺れを切らして水槽を掻き回し、あっという間にポイの薄紙を破ってしまうところだが、今年の千佳は違う。辛抱のきかない心をぐっとこらえて、じっと機会を待ち続ける。
「……うーっ」
「千佳ちゃん……がんばれ!!」
 焦る気持ちを落ちつけ、じりじりと立てた膝を入れ替え、チャンスを待つ。
 済んだ水の中を泳ぎ回る金魚たちは、千佳の視線から逃げるようにすばしこく泳ぎ回り、右へ左へと散っては集まりを繰り返す。
 息を詰め、ぐっと歯を噛み締め、千佳はじいっと待った。
 そして――
「ええーーーいっ!!」
 掛け声と共に突き出されたポイは、激しく水槽の水面に波を打たせ――
 跳ねあがる水飛沫と共に、千佳のお椀には赤と黒と白の三色に彩られた、大きな金魚がおさまっていたのだった。
「ぃやったぁっ!!」
 とうとうやってのけた達成感に、千佳はジャンプして喜ぶ。郁乃もそれに負けじと大喜びで、感極まったように千佳に飛びつく。
「千佳ちゃんすごいっ!! やったね!!」
「うんっ、リベンジ成功だよっ!!」
 待ちに待っての会心の出来にぐっと拳をかため、ガッツポーズをひとつ。
 いつの間にか屋台の周りには人だかりができていて、お店のオジサンも、郁乃も揃って拍手をして、大健闘の千佳を出迎えてくれた。
「よぉし、今のでコツつかんだっ!! おじさん、みててよ、もうこうなったらこのお店の金魚さんぜーんぶすくっちゃうんだからね!!」
「おう、そりゃすげえ。商売あがったりになっちまうな」
「じゃあ、いっくよーっ!!」
 そんな大騒ぎは、結局4回も新しいポイを買って、さらに15分以上も続いたのだった。





 赤、黒、白、捕ったばかりの色とりどりの金魚が、都合7匹。千佳のぶら下げる透明なビニールのなかで、元気良く泳ぎ回っている。
 時刻はそろそろ7時半過ぎ。千佳は溜息とともにお財布を覗き込んで、口を尖らせていた。
「ひー、ふー……もう120円しかないや…」
「あはは。千佳ちゃんすっごく食べてたもんね。射的だってもう一回もう一回って何度もやめなかったし」
「だって、もうちょっとで落っこちると思ったんだもん」
 あんなにたくさんあったはずのお小遣いは、いつの間にかどこかに着えてしまい、お財布の中にはもう十円玉しか残っていなかった。
「郁乃ちゃんはまだおこづかいあるの?」
「うん。まだ半分くらい」
「うー、いいなぁ……」
 底を尽きかけた乏しい軍資金は、何度数えてもきっかり120円。それ以上増えも減りもしなかった。まだまだ遊び足りないのに、これでは精々ジュース一本かおみくじ1回。どこに行くのも自由にならない。
「でも、わたしもちょっと疲れちゃったし、お店、見て回ろうか?」
「んー……」
 郁乃が気を使ってくれるのも心苦しいので、千佳は曖昧に言葉を濁し、なんとはなしに辺りを見まわす。
 その時、ちょうど鳥居のほうへ歩いてゆく人たちの中に、見なれたオレンジの浴衣を見つけ、千佳はぴょこんと飛び上がる。
「あ、やったぁ!! 郁乃ちゃん、ちょっと待ってて!!」
 郁乃に言うと、千佳は金魚のビニールバックを揺らしながら一目散に走りだした。人ごみを駆けぬけ、鳥居の下で数人と連れ立っているオレンジの浴衣まで一直線。
「お姉ちゃん!!」
「え? あ、千佳」
 きょとんと目を丸くする百恵の腕に飛びつき、千佳は普段は使いもしない甘い声をあげる。
「ねーえ、お姉ちゃん、今帰るとこ?」
「そうだけど……どうしたの?」
「あのさぁ、おこづかい貸してよぉ」
 レアすぎる妹の猫撫で声に、姉は微妙な表情で眉を寄せた。
「な、なによ? わ、ちょっと引っ張らないでってばっ」
「ねえ、ねえいいでしょ? お姉ちゃん。ね? ちゃんと返すからっ、ねえ、ねえねえねえ!!」
「わわわ!! こら、帯くずれちゃう……ちょっと!! 千佳、わかった!! わかったから放しなさいっ」
「やったーっ!! おこづかいゲットー!!」
 たまりかねた姉は、渋々お財布から100円玉を2枚取り出すと、千佳の手のひらに握らせる。大喜びの千佳は、文字通り現金にぎゅむーっと姉にくっついた。
「ありがと、お姉ちゃんっ」
「まったく……これだけだよ? 私、もう帰るから、千佳もあんまり遅くなる前に帰ってきなさいね?」
「うんっ!! ねえっ郁乃ちゃん、次はかき氷屋さん、行こっ!!」
「あ、ちょっと待って千佳」
「え?」
 振り返るなり駆け出していきそうになった妹を呼び止め、百恵はちょん、とその手の荷物を指差す。
「金魚。あんまり狭いトコに入れっぱなしだと可哀想でしょ。連れて帰ってあげるわよ?」
「えー?」
 せっかくの戦果を取り上げられる気分になり、千佳は不満そうに口を尖らせる。百恵も妹のそんな反応は心得たものではいはい、とその頭を軽く撫で、
「ちゃんと用意してあるんでしょ、金魚のおうち。早く広いところで泳がせてあげなさいってば。ね?」
「うー……」
 不承不承、といった風で頷き、千佳は金魚のビニール袋を百恵に差し出す。
「大事にしてよね、頑張ってとったんだから!」
「はいはい。あんたも気をつけなさいよね」
「うん。郁乃ちゃん、いこ!!」
「え、わ、千佳ちゃん、置いてかないでよぉ……わわわ!?」
「ね、イチゴにするメロンにする? あ、レモンもブルーハワイもいいなぁ……」
「わわ、千佳ちゃんあぶない、あぶないってばーっ!!」
 ようやく人ごみを抜けて追いついてきた郁乃の手をがしっと掴んで、千佳はまた駆けだした。転びそうになりながら、郁乃も必死にそれについてゆく。
 あっという間に夜店の中に消えていった妹たちを見送り、百恵はやれやれと腕を組んだ。





 千佳の様子がおかしくなりだしたのは、探し当てたかき氷さんで買ったメロン味をを食べはじめてから、まもなくのことだった。
「千佳ちゃん、どうしたの? 食べないの?」
「う、うん」
 郁乃に促され、千佳はかき氷にストロースプーンを差して、しばし思案。それから思いきったようにぱくりと口に運ぶ。
 甘さと冷たさにぶるっ、と背中を震わせて、千佳はぎゅぅっと目を閉じる。
「うー……ちょっと、一杯食べすぎちゃったから、おなかいっぱいで」
「あはは、やっぱりっ」
 くすくすと笑う郁乃。千佳もそれに応じるものの、その笑顔はどこか硬い。
 ふと下を見れば、浴衣の裾から伸びるサンダルの脚は、せわしなく寄せられて、左右に揺れ、爪先で地面の石畳を叩いている。向日葵模様の浴衣の下では、健康的に日焼けした下半身が切なげによじられ、膝小僧が擦り合わされていた。
 そう。今の千佳の興味は、目の前のかき氷ではなく、一足先に帰った大収穫の金魚でもなく、もっともっと別のものにあった。
(お……おしっこ……)
 じんじんと脚の付け根に響く尿意が、小さな背中を震わせる。
 ジュース2本に、ラムネに、リンゴ飴に、2杯の屋台のジュースに、さらにはかき氷。いくらなんでも飲みすぎなのだった。
 お祭りの勢いに浮かれて摂取しすぎた水分が、ようやくそれを自覚した身体の1ヶ所へと、急速に集まってきていた。
(……うぁ……っ)
 きゅん、と下腹部に危険な信号が走る。
 かき氷を食べる手が止まり、代わりに浴衣の上から、千佳の手のひらがそっとおなかの下のほうを押さえ込む。落ち付きなく左右に小さくくねる腰のすぐ上、敏感になったオシッコのダムが警戒水域の突破を告げていた。
「ねえ、次、どこ行こうか?」
「う、うんっとねぇ……」
 郁乃に聞かれても、千佳の返事はどこか上の空。頭も真っ白で、うまく答えが浮かばない。じんじんと痺れる股間を気にすれば、きゅうっと寄せ合わされた内腿に力を入れていなければならず、自然足取りも重くなる。
 いつしか、千佳は郁乃に引っ張られるようによちよちと歩くことしかできなくなっていた。大事なお祭のおもちゃや景品が詰まったトートバッグも、ほとんど手に引っ掛かっているだけのような有様だ。
(ぅう……ほ、ホントにしたくなってきちゃった……)
 後先を考えずさんざん冷たいものを食べ続けたせいで、さらに身体が冷えたのか。一度意識した尿意は加速度的に高まってきていた。
 あたりが暗くなるのにあわせ、いくらか涼しい風も吹いてきて、屋台の熱気に溢れる人ごみに時折の涼を運んでくる。なんでもなければ大歓迎のそんな風も、今の千佳には意地悪すぎる。
(………えっと……)
 千佳はちらり、と郁乃の様子を窺った。
 遠慮なく何でも話せる仲とは言え、やっぱり女の子として言い出しづらいことはあるのだ。
「ね、ねえ郁乃ちゃんっ」
「あれ、なに? どうしたの千佳ちゃん? どうしようか? お化け屋敷行ってみる?」
「え、えっと……」
 ぶるぶると背中が震えた。いまその単語はとてつもなく危険だ。こんな状況でもし入ったりしたら、非常に大変なことになりかねない。
(ち、チビっちゃう……かも……)
 お化けへの恐怖と、それ以上の切羽詰った下半身の事情にせかされて、千佳は小さく目を反らし、差し迫ったおしっこを訴える。
「あ、あのさ……ちょっと、おトイレ行きたいかも……」
「え、あ、そっか」
 言われて初めて気付いたというように、郁乃は頷く。
「そう言えば、わたしもちょっと行きたいかも」
 千佳に比べれば、郁乃はどうやらまだまだ余裕がありそうだったが、それでも郁乃はちゃんと千佳の意を汲んで、提案に乗ってくれた。ここで強固にお化け屋敷、と言い出さないのが、郁乃のとってもいいところなのだ。
「トイレってどこだっけ?」
「えっと、たしかこっちから行けると思うよっ」
 実はさっきから入念にチェックしていたので、トイレまでの道のりは完璧に千佳の頭の中に入っている。
 焦る気持ちをおさえつつ、千佳は郁乃を先導して境内を出た。



 (続く)
[ 2009/08/16 19:17 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)
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