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夏祭りのお話・後編 

 現在、七時五十五分。
 トイレに直行した二人だが、千佳には大変な誤算があった。
 今日のお祭りの人出はいつもの比ではない。普段はガラガラの公衆トイレは、その入り口から伸びる長蛇の列で封鎖されていた。もともとそんなに大人数をさばけるような場所ではないので、まさに満員満席大人気。おそらくは境内のどの屋台よりも大人気だろう。
 特に婦人用のトイレには、50m近い大行列ができている。その全員がわずか4室のトイレの順番を待っているのだった。
(うぁ……す、すごい人っ……は、はやくトイレ行きたいのに……っ)
 待望のトイレの前で繰り広げられる目の前の光景が信じられず、千佳は呻いてしまう。
 すでに我慢はかなり危険な状態にある。いつものズボンとは違うせいか、荷物でいっぱいで手が自由にならないせいか、剥き出しになっている脚が妙に頼りない。このままこの行列を待ち続けるのはなかなかに厳しそうだった。
 無論ながら、この混雑を予想して境内外には臨時の仮設トイレも設けられていたのだが、あいにくと千佳はそちらの存在には気付けていなかった。加えて仮に向かったとしても、行列の状況は大差ないのだったが。
「……あれ?」
 ふいに、手のひらが軽いことに気付いて千佳は回りを見まわした。
 一緒に来たはずの郁乃の姿が見えない。さっきまで手を繋いでいたはずなのに、その感触もいつのまにか消えてしまっていた。
「え? 郁乃ちゃん? どこー?」
 声をかけても、大混雑の人ごみの中ではなかなか見つかりそうになかった。そうこうしているうちに尿意の波がじわっとこみ上げてきて、千佳はたまらず前かがみになってしまう。
(あぅっ……)
 トイレを前にして、きゅぅん、と膀胱が反応する。恥骨上のダムが決壊の危険性を訴え、即刻放水の許可を求めてくる。千佳は呻きながら両脚を交差させ、それを却下した。
 このままじっとしている余裕はあまり残されてはいないようだった。まして、並ぶのを中断して友人を探し回っている余裕はもっとない。気になりつつも、千佳はよちよちと列の最後尾に並ぶことにした。
(うぅ……だいじょうぶ……ガマンガマン……)
 もじもじと腰を揺すりながら、千佳は列の最後尾に走り寄った。
 不安定な下腹部をそっと押さえ、じりじりと焦りながら少しずつ進む列を待つ。
 並んでいる人たちの様子は千差万別で、千佳よりも小さな女の子もいればずっと年上のお姉さんもいる。けれど、みんなどこかそわそわと落ち着きなく、進む順番を待っていた。
 なかにはずっごく綺麗なお姉さんもいて、この人たちも全員、千佳と同じようにトイレがしたいのだと思うと、なんとなく不思議な気分にもなる。
(あの子も、ジュース飲み過ぎちゃったのかな……)
 待ちきれないのかくねくねとお尻を抑えながら順番を待っている、眼鏡のお姉さんを見て、千佳はそんなことを考えた。
 そんなに狭いトイレではないはずだが、さすがに多勢が並んでいるせいか列の進みはゆっくりだ。切羽詰まった様子の先頭の人と入れ替わりに、すっきりした顔のお姉さんがトイレの入り口から出てくる。千佳もしばらくガマンしていれば、あんなふうにすっきりトイレを済ませてでてこれるだろう。
(あ、あとちょっと……)
 頼りない足元を寄せ合って荷物を片手に集め、空いている手でぎゅうっと浴衣の裾をつかむ。本当は手で思い切り前を押さえてしまいたいのだが、こうも人の多いなかで、小さな子のようにガマンの仕草をすることには抵抗があった。
 しかし、目の前でお母さんに連れられた幼稚園くらいの子がぴょんぴょん飛び跳ねたり、その場で大きく足踏みしたり、ぐいぐいと身体をねじっているのを見ていると、千佳もその尿意に感染してしまったような気分にもなってくる。
 小さな子と同じように『おしっこ~でちゃう~!!』の足踏みをしそうになる、聞き分けのない浴衣の太腿をぎゅっとつねり上げた。
(が、がまんしなきゃっ、も、もうすぐおしっこ……できるんだから……っ)
 じりじりと高まり続ける尿意と、その応援に向かいそうになる手のひらを、意志の力で押さえ込み、短くなった列をまた一歩前へ。重い荷物を握る指にも、自然と力がこもってしまう。
 幸いなことに、一度は本気で最悪のオモラシという事態を危惧して不安になりかけたものの、それ以上に強烈な尿意の波はやってこなかった。さしたる問題もなく列は進み、千佳の前にはあと数名を残すのみとなる。
 順番待ちの列の中、千佳の位置はもう少しでトイレの入り口にさしかかる所まで来ていた。
(これなら、だいじょうぶかも……)
 あとほんの数人でトイレの中に入れるし、そのあとはすぐに千佳の番が回ってくるだろう。それでおなかの中のダムも放水を許可できるし、千佳を苦しめ続けてきたおしっこともサヨナラだ。
 ……が。
 予想外の障害は、思わぬ場所からやってきた。
 さらにもう一人、短くなった列を前に詰めた時、トイレの入り口の壁に張られた張り紙の赤文字が千佳の目に飛び込んでくる。

『このトイレには、防犯上の問題から
 トイレットペーパーを備え付けておりません。
 こちらでお買い求めください』


「え……?」
 その文面の意味がわからず、千佳は目を丸くしてしまう。
 張り紙のすぐ隣には、細長い自動販売機があった。ジュースのそれと同じように、お金を入れるところと小さなボタンが二つ。その上には、ポケットティッシュのようなものがサンプルとして並んでいる。
 千佳にはその意味が良く理解できなかった。
(え、え? ちょっと待って……どういうこと!?)
 まばたきをして、千佳はもう一度その張り紙を見直す。

 ――こちらでお買い求めください。

(これって……と、トイレットペーパーがないってこと……?!)
 そんなわけがないと千佳は首を振る。千佳の常識では、どんなトイレにだって、普通必ずトイレットペーパーがあるものだ。だってそれが無ければ、おしっこを済ませた後に、あそこを拭いて綺麗にすることができない。そんなトイレでは、おしっこができなくなってしまう。
 トイレなのにおしっこができないなんて、ありえない。
 まさか違うよね、と思い込もうとした千佳の前で、少し先に並んでいたお姉さんが前に進み出た。お財布から出した百円玉を2枚、自販機に入れてボタンを押す。
(う、嘘っ!!)
 千佳は思わず悲鳴をあげそうになった。しかし、かたん、と落ちてきた包みを手に、お姉さんはやがて空いた個室の中に入ってゆく。
 同時、すぐに聞こえ始めた音消しの水の音に、千佳は今後こそ戦慄する。
(う、ウソだぁ……違うよね。だって、うん、そんなことあるわけないもんっ……)
 首を振るが、目の前の自動販売機も、張り紙も消えてはくれなかった。
 次に並んでいた、千佳よりも少し年上の眼鏡の女の子も、もじもじと脚を擦り合わせながら同じように自販機にお金を入れて、小さなパッケージを買おうとしている。
(そ、そんなぁ……な、なんで!? み、みんなどうして、……おかしいよこんなの、どうしてこんなイジワルなのっ!? お、おしっこするのに、お金かかるの……!?)
 さっき、千佳はかき氷屋さんで300円のかき氷を買った。姉にもらった分の200円と合わせても、おこづかいは320円しかなかった。そこから300円を引いて、千佳のお財布のなかには、20円しか残っていない。
 20円じゃ、自動販売機のトイレットペーパーは買えるわけがない。
 もしお店の人がいるなら、お願いしておまけしてもらったり、たとえば20円分だけ買うこともできるかもしれないが、ここにあるのは自動販売機だ。そんなことは絶対にできない。
 列がまた進む。もうすぐ千佳の番が回ってくるだろう。けれど、千佳にはトイレットペーパーがない。
 だから、順番が回ってきて個室に入れても、千佳は、オシッコが、できない。
「ぁ……っ」
 困惑の渦中にある千佳の前で、また一つ個室が開き、列の先頭の小さな女の子が、お母さんに見送られて早足で個室に駆け込んでゆく。あんな小さな子でも千佳とは違って、ちゃんとおしっこをする準備ができているのだ。
 それなのに、千佳は――
(な、なんで……おかしいわよ、なんで……!? う、嘘に決まって、こんなの……っ!!)
 ついさっきまで少しでも一人でもいいから早く先に進んでほしい、と思っていたはずの順番待ちの行列が、得体のしれない恐ろしいものに変貌して、千佳に迫ってくる。
 このまま、順番が回ってきたらどうすればいいのだろう。
 個室に入っても、下着を下ろしても、しゃがみ込んで――それから? それから、どうすればいいのだろう?
 おしっこができないのに、そこで何をすればいいのか。混乱に陥ったまま、千佳はよろよろと、次の順番へ押し出されてゆく。とうとう千佳が列の先頭だ。困惑のまま立ち尽くす千佳の前で――あっさりと、同時に二つ、個室が開く。
(あ、あっ、あ……ど、どうしよう……っ!?)
 混乱する頭を整理する暇なんて、なんにもなかった。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。おしっこしたい、おしっこできない、ぐるぐると堂々巡りを続ける千佳は、ぽかりとあいた個室のドアと並ぶ行列を交互に見、言葉を失う。
「え……あ」
「ちょっと、開いたわよ? 入らないの?」
 千佳の後ろにいたオバさんが、不機嫌そうに言う。計ったようにたっぷりと水分を吸って膨らんだ下腹部が、憧れのトイレを前に『きゅんっ』と切なく疼いた。
 脚の付け根にぷくっ、と膨らんだ熱い感覚が、そのまま腿の内側につうっと噴出しそうに震えて――
(だ、だめっ、でちゃう、出ちゃうっっ!!)
「っ、っは、入りますっ」
 ほとんど反射的に、千佳は開いた個室の中に飛び込んだ。後ろ手に鍵をかけ、狭い個室の中にやや汚れた和式便器と二人きりになって、千佳はぎゅうっと荷物を詰め込んだトートバッグを握り締めた。
(ぁ、あっ、あ、あっ)
 ようやく待ちかねたトイレを前に、千佳の身体は心を置いてきぼりにして、どんどん勝手におしっこの準備を始めてしまう。しかし――
「ほ。……ホントにないっ……そんな、なんでよぉ……!?」
 壁に取り付けられた銀色のロールホルダには、トイレットペーパーどころかその芯すらも掛かっていない。ひょっとしたらという一縷の望みすら無残に打ち砕かれて、千佳の目の前は絶望に暗く沈む。
 間違いなく、このトイレには紙がないのだ。その事実を突きつけられ、千佳は足元が崩れ去っていきそうになる錯覚すら覚える。
(と、トイレ……トイレなのに、おしっこしたいのに、おしっこできないなんて……!! む、無茶苦茶じゃないっ……)
 焦る下半身はタイルの上でサンダルをきゅきゅっと鳴らし、浴衣の裾を乱し、足踏みを繰り返す。必死になって脚の奥に『タイム』を訴え、ぎゅうっとトートバッグの上からあそこを押さえ込む千佳だが――
「あ」
 ぐらり、と傾きかけた千佳の脳裏に、天啓のように稲妻が閃いたのはその時だ。
(……そ、そうだ、そうだっ!! てぃ、ティッシュ……!!)
 お母さんにうるさく言われて、トートバッグの中に押し込んでおいたポケットティッシュのことを思い出し、千佳は慌ててその中身に手を突っ込む。身をよじり、腰をねじりながら、脚を踏み鳴らして――
「あ、あったぁ……っ!!」
 ほどなく、探った指に小さなビニールの感触。
 取り出してみれば問題なく中身も確認できた。折りたたまれた白く柔らかな紙。大切なところを処理するのにも申し分のないそれは、まさにいま、千佳に与えられた唯一の救いの手だった。
 普段ほとんど意識したこともないアイテムが、いまはまるで宝物のようにすら感じられる。
「よかったぁ……」
 これでだいじょうぶ。これでトイレできる。
 安堵とともに、千佳はほっと息をつく間もなく、ぎっしりと中身の詰まったトートバッグを荷物掛けに掛け、ちょっとためらってから、浴衣をたくし上げて下着に手を掛ける。
「んぅ……」
 あまり綺麗なトイレではないが、もう悩むことなどない。
(はー……ほんと、一時はどうなるかと思った、け、ど……)
 だが。
 個室の壁にも小さな注意書きがあることに気付いて、千佳は下着を膝上まで下ろしかけた中腰の姿勢のまま、今度こそ言葉を失ってしまった。

『トイレには決してティッシュ等を流さないでください。
 故障の原因となります。
 必ず、専用の用紙をご使用ください』


「そ、そんなぁ……!!」
 あまりにも理不尽に、幾重にも重ねられた警告が、千佳の尿意を束縛する。
 もはや、それは千佳にとっての死刑宣告に等しい。
 とどめとばかりに記されたその注意書きは、見事なコンビネーションで、このトイレで千佳がおしっこすることを完璧に禁じていた。
(あ、あっ、あっ)
 すぐ真下、完全に準備の整った状況のトイレを前に、熱い衝動がぐいぐいと身体の奥からこみ上げてくる。けれど、ここは駄目だ。千佳にとって、おしっこは許可されていない場所であり、トイレでは、おしっこをしてもいい場所ではない。
 まったく予想もしていなかった事態に、千佳はただ、呆然と無力に腰を揺さぶるしかなかった。





 8時20分。
 空っぽに近いお財布を握り締め、ふらふらと列を離れてトイレの近くを右往左往していた千佳は、ほどなくして郁乃と合流する。
「あ、い、郁乃ちゃん」
「あはは、千佳ちゃん。トイレなんかすっごい並んでたね……」
「う、うん」
「もうちょっとで、オモラシしちゃうところだったよぉ」
 笑いながら言う郁乃に、引きつった表情で答える千佳。
 もうちょっと、ではない。千佳は今まさにそのオモラシの危機と戦っているのだ。千佳はあのまま、格好のトイレタイムをふいにして、おしっこを済ませることなく水だけを流し、トイレを後にした。
「ねえ、千佳ちゃん、わたしあれやりたいんだけど、いいかな?」
「え。あ、う、うんっ」
 不意に訪ねられ、思わず頷いてしまう千佳。郁乃はヨーヨーすくいを指差して、千佳をそこへと引っ張ってゆく。
(あ……っ、や、ぁ…)
 せっかくたどり付き、一度は個室にまで入ったトイレからまた遠く引き離されることに、千佳は激しい抵抗すら覚えてしまう。しかし、まさか、笑顔の友人にトイレに入れていないとは言い出せなかった。
(郁乃ちゃんも、ちゃんと、おしっこしてきてるのに……っ)
 なにしろ、同じようにトイレに行ったはずの郁乃は、ちゃんとトイレに行ってきている様子なのだ。軽い足取りの郁乃を見て、千佳は顔を紅くする。
 郁乃はちゃんとお金を出してトイレットペーパーを買って、トイレの中でおしっこをすることができた、『きちんとした女の子』なのだ。
(や、やっぱり、あたしだけなんだ……おしっこ、できなかったの……)
 あのトイレに並んでいた大勢の行列の中で、自分だけがちゃんとおしっこを済ませられなかった――そんな猛烈な劣等感とそれによる羞恥が、千佳の言葉を封じ、責め苛んでいた。
 百恵にあんなに念入りに無駄使いしないようにと言われたのに、千佳はそれを守らなかった。その結果、トイレに入るお金も持っておらず、普通の女の子ならちゃんとできるはずのトイレットペーパーを買うこともできなくて、とうとうおしっこをすることもできなかった。
 恥じ入る千佳のおなかで、ますます尿意は激しく膨れ上がる。もう手で押さえていないと、いつオモラシが始まってもおかしくないようにさえ思えた。
 ズボンなら、股の布地をぎゅっと引き上げ、足の間に食い込ませて片手だけでもうまく圧迫することができるが、ひらひらの浴衣ではうまくいかず、下着の頼りない感覚と、内腿の頼りない感覚が引き立つばかりで、かえってそこの余裕のなさを意識してしまう。
「ぁ……っ」
 切羽詰った喘ぎ声が、千佳の唇からこぼれる。
 無理して歩いているために、動いて圧迫された分がそのままダムから溢れ出してしまいそうだ。じわ、と脚の間に熱い雫が広がるような感触に、千佳はきつく唇を噛み締めた。
 とにかく食べてしまおう、と無理をして飲み込んだかき氷が致命的だったのだ。身体が冷えてしまい、さらに次々と全身を巡って集まるおしっこが、際限なくダムの水位を上昇させてゆく。決壊の危険を知らせる警報はさっきから鳴りっぱなしで、ぎゅうぎゅうと脚の付け根に押し付けられ、足の間に挟まれた手のひらの奥では、浴衣に小さく染みが広がりだしていた。
(だ、だめ、出ちゃう……っ、おしっこ出ちゃうっ……!!)
 きゅんきゅんと収縮する膀胱が、激しく尿意を訴える。
 我慢で精一杯の千佳は、もうすっかり余裕がなくなっていて、郁乃が不自然に饒舌なことや、これまで興味のそぶりもなかったヨーヨーすくいに急いでいることへの疑問を感じることはなかった。
 大混雑のトイレを見た途端、郁乃が突然姿を消した理由も、先に入っていたはずの郁乃が、トイレの中に見つからなかったことも、千佳は不思議には思わなかった。
 だから、実はもう限界だった郁乃が、とても順番待ちなどできないと諦め、境内の裏手にある茂みでこっそりおしっこを済ませていたことも、それに気付かれまいと無理に明るく振る舞っていることも、知る由もない。
「あれ、千佳ちゃん、どうかしたの?」
「う、ううんっ、なんでもないっ」
 戦果のヨーヨーを、あまり上手ではない手つきでぱしぱしと揺らす郁乃から、千佳は慌てて浴衣の前を離し、目をそらす。すると、じっとしていることができない脚がはっきりとおしっこ我慢のダンスを足踏みを始める。
 いっぱいに水を詰めこんでぱちゃぱちゃと揺れる風船は、ちょうど今の千佳のおなかの中のオシッコのタンクを象徴しているかのようだった。
(ど、どうしよう、もれちゃうっ……、と、トイレ……っ)
 ひり付くくらいの欲求が、千佳の震える下半身を襲う。
 もし、いまこの神社の神様がお願いを叶えてくれるというなら、間違いなく一番熱心にお祈りしているのは千佳に違いない。心の中で『おしっこさせてください』を必死に繰り返しながら、千佳は脚をモジつかせ、くねらせながらふらふらと郁乃の後を追う。
 その一方、郁乃は郁乃で千佳に気付かれないようにふるまうので精一杯で、普段ならすぐに気付くだろう、千佳の様子がおかしいことにまで気が回っていない。
「どうする、千佳ちゃん?」
「そ、そうだね……」
 空回りのまま続く意味のない会話。けれど、それのもたらす決定的な違いは、茂みに駆け込んですっきりしてきた郁乃と、今なお我慢の真っ最中の千佳の間に如実に現れていた。
 千佳の片手はもう浴衣の上からぐいぐいと足の付け根を握りしめている。顔色も蒼白で、買い込んだお土産もいまにも取り落としてしまいそうだ。
 うまくうごかない頭をフル回転させて、千佳はなんとかいますぐにおしっこを済ますための方策を探す。
(い、言わなきゃ……おしっこしたいって、トイレ行きたいって……!! で、でも、えっと、さっきのトイレじゃ、お、お金なくちゃトイレットペーパー買えないしっ、お姉ちゃんもういないから、い、郁乃ちゃんにお願いして、お金借りて……あ、で、でもっ、そうなったら、なんでさっきおしっこしてこなかったのって、言われちゃう……そ、そうだ!! おなか壊しちゃったって言って、もう一回……)
 ちら、と後ろを振り向く。
 混雑のずうっと向こうで、さっきよりも長く伸びた行列が、千佳の視界に映った。
(む、無理!! あんなのもう一回並ぶなんて、絶対間に合わなくなっちゃう!! と、途中でおしっこはじまっちゃうっ……!! そんなの嫌ぁ……!!)
 トイレまで間に合わない、とはっきりと自覚をしてしまったことで、千佳の我慢が大きく緩む。根負けしたようにじゅわぁ、とイケナイ感触が内腿の奥に広がってゆく。もはや錯覚ではない、本当の崩壊へのカウントダウンが始まっていた。
「っ……!!」
(と、トイレ、といれ、おしっこっ……ほ、他にトイレ、おしっこするとこ、と、トイレ、おしっこ、おしっこっ、おしっこぉ!!)
「ね、ねえ郁乃ちゃんっ、あ、あたし、そろそろ帰らなきゃっ」
「え?」
 焦るあまりに唐突にそんなことを口走った千佳に、郁乃はぱちくりと目をまばたかせる。まだまだ遊ぶよ、と言っていた親友が急にそんな事を言い出したのだから、当然のことだろう。
「も、もう遅いし、つ、疲れちゃった!!」
 言いながらも、千佳の脚はすでに震えながら後ろを向き、境内から遠ざかり始めていた。不自然に足踏みをして、一方の膝をもう一方に擦りつけるのを繰り返しているため、千佳の浴衣の裾は大きく乱れている。
「え、でもまださっき、お祭回るって行ってなかったっけ?」
「そ、その、えっと――そ、そう!! 金魚!! 金魚見に行かなきゃ!!」
 その上きつく足の付け根をつかみ、大きく前後に揺すられる腰は、もう誰が見ても言い訳のしようのないトイレ我慢の証明だ。
(だ、ダメ、出ちゃだめ、我慢、家までガマンっ!!!)
 声にならない悲鳴を上げる千佳の浴衣の奥で、じゅじゅ、じゅぅうっ、とまた水音が響く。押さえつけた指の間から、水気たっぷりの布地を越して暖かい感触が脚の間を伝ってゆく。
「そっか、じゃあ千佳ちゃん、一緒に帰ろうか?」
「ダメっ!! あ、あたし先に帰るっ!!」
 はっきりと拒絶をぶつけられ――郁乃が、呆然と表情を失くす。
「え……な、なんで?」
「っ、なんでもなにもないから!! じゃ、じゃあねっ!!」
 限界寸前の千佳はもはや、傷ついた表情を浮かべる郁乃にも気付けなかった。長年の友情がはっきりとヒビが入り、音を立てて壊れてゆく。
 言うが早いか――千佳は、身を翻し、家のトイレを目指して一直線に走りだす。
 後には、ぽつん、と取り残された郁乃が、ぷらん、とヨーヨーをぶら下げたまま、その背中を見送っていた。





 家に辿り着いたころには、浴衣の被害は深刻なものとなっていた。下着はもはや壊滅状態で、水を吸った布地はわずかに身体を揺するだけでじゅぅ、と水滴を滲ませる。
 すでにちびった分だけでもかなりの量に達しているが、立て続けに摂取した水分は今もなお少女の前進を巡る旅を終え、千佳の下腹部に集まり続けている最中で、わずかでも排出されたそばからおしっこが次々と補充され続けている。
「ぁ、あっ、あっあっ」
 じゅん、じゅわ、じゅぅうっ、ひっきりなしに漏れ続ける出口はジンジンと麻痺し、下着が熱く濡れるたびにぞっとするほどの解放感が激しくオモラシの誘惑を繰り返す。
 はだけた浴衣の裾からのぞく足を幾筋も水流がつたい、脚の付け根を掴む指の間からも、ぽたぽたと水滴が垂れ落ちる。
「った、ただい、まぁ……ッ!!」
 家の前の道、サンダルを脱ぎ散らかした玄関、そしてリビング横の廊下にまで、ぽたぽたひちゃんっとオモラシの痕跡を点々と残しながら、千佳はどかどかと家の中を走り抜ける。
(っと、トイレ、トイレ、ッ、といれぇ!!!)
 一刻の猶予もない。……否、どうしようもないくらいに濡れた浴衣に、ぐちゃぐちゃの内腿、汚れた足跡。端から見ればもうとっくに千佳はオモラシをしていた。あとはトイレに入るまでどれだけ多くおしっこをおなかの中に残しておけるか――そんな違いだけだ。
 股間を握りしめる片方の手を離し、千佳はおしっこで汚れたままの手でドアノブをつかみ、渾身の力を込める。
 しかし、無情にもがこん、という重い手ごたえ。ノブには使用中の赤文字が並んでいる。
「千佳? 帰ってきたの? 入ってるわよ」
「お、お姉ちゃんっ、はやく、はやくぅ、トイレぇ!!!」
 必死の形相で足踏みをし、今にも吹き出しそうなおしっこを押さえ込みながら、千佳は乱暴にドアをノックするが、姉の声はのんきなものだ。
「なによ、もう少し待ちなさいってば。金魚、テーブルの上においてあるわよ?」
「ま、待てないっ、金魚とかいいから、っ、で、でちゃ、でちゃうぅっ!!!」
「もぅ、幼稚園の子じゃないんだから、少しくらい我慢しなさいよねー。すぐかわってあげるから」
 そんな事を言いながらも、ドアの向こうで姉が動く気配はない。
 すぐ、という言葉は今すぐではなく、次の順番で入っていい、くらいの意味合いなのだ。
「ッ、だめもうだめでちゃう出ちゃうおしっこでちゃう意地悪しないで絶対むりもう我慢できないのッ!! おしっこしたいの、でちゃうの、トイレ、おしっこっ、早くねえお姉ちゃんはやく、本当にもれちゃうっ、でちゃうっおしっこ、おしっこっ、おしっこーーーっ!!!」
 ここまでずっと、地獄のような我慢を続けて帰ってきたのに。
 絞り出すように叫んだ懇願と同時、千佳の下腹部はきゅ、きゅっ、と最後の収縮をはじめてしまった。ぷくりと膨らんだ排泄孔が、千佳の意志などお構いなしにオシッコを絞り出してゆく。
「ぁ、あっ、あ、あーっ!!」
 腰をくねらせ、膝をクロスさせ、内腿ををぎゅぅっと押しつけて、身体を丸めてオシッコのダムの決壊を塞き止めようとする千佳だが、じゅじゅっ、じゅうっ、と溢れ出す熱い液体は千佳の内腿に見る見るうちに拡がってゆく。
 裸足の脚を伝って廊下にこぼれるオシッコの滴が、ぽた、ぽたというにわか雨からぱちゃぱちゃ、ちょろろ、という本降りに変わってゆく。
「お、ね、ぇ、ちゃぁっ……」
 最後の力を振り絞って、がり、と扉をかきむしる千佳。
 一方の姉は暢気なものだ。ドアの向こうでようやく出る気になったのか、かちゃかちゃと身づくろいを始めている。
「んもぅ、ちょっと待ちなさいよ……もう4年生でしょ、あんまり恥ずかしいこと大声で言わないの」
 そのあと少しが、もう千佳にはどうしても不可能だった。
(っ、だめ、ぇっ……お、オモラシなんか、しちゃ…ッ)
 トイレの目の前で、間に合わなかった、なんていう最悪の事態だけは、どうしたって許容はできなかった。
 ふわりと腰が浮く。力を失った両膝が折れ、千佳はしゃがみ込んでしまった。
 押さえる力の弱くなった股間から、とうとう本当の勢いでしゅるしゅるとオシッコが漏れ始める。
(ぅぅああぁあああっ!!!)
 ぎりぎりと歯を食いしばり、残された力のありったけで、千佳はリビングに飛び込んだ。せめてなにか、床の上ではなく何かの入れ物に――そんなせめてもの抵抗が、千佳に残されたわずかな少女としてのプライドだった。
 千佳はテーブルの上にあったガラス製の金魚ばちを掴んだ。ぐっしょり濡れて肌に張り付くパンツを下ろす余裕などなく、浴衣の上から脚の間に、透明なガラスの入れ物を押し付ける。

 ぶじゅ、じゅるる、じゅぶぶぅーーーっ!!

「ぁ。あっ、あぁ、あっ」
 それにほんの一瞬遅れて、シャワーの先にタオルを押しつけたような、激しい水音が響いた。千佳のおしりを水浸しにしたオシッコは、押しつけられた金魚ばちの中に激しく叩き付けられる。
「出たわよ……って、ちょ、ちょっと、なにやってんの千佳!?」
 姉が驚いて声を上げる。千佳はもう、答える気力すらなかった。
 壊れた蛇口のように吹きだすオシッコが、ガラスの底にぶつかって激しく泡立ち、じゃぼじゃぼと水面を揺らしてゆく。小さな金魚ばちをあっという間に支配し、水位を増してゆくほの薄く黄色い水。
 トイレの目の前で、金魚さんのために用意してあった、大切なおうちを――千佳のオシッコが占領してゆく。
 暴れ回る水流の中で、とったばかりの七匹の金魚たちは、何事かとあちこちに泳ぎまわっていた。



 (初出;書き下ろし)
 
[ 2009/08/16 19:20 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)
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