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河川敷の運動会・5 


 仮設男子トイレと女子トイレの間――順番待ちの行列でごった返す周囲の中に、奇妙な空隙が出来上がっていた。
 人目を憚らずに体操服の上着を引き下ろし、あるいは手のひらで張り詰めた下腹部を撫でさすりながら、小さく下半身を左右に揺り動かす。少女達の我慢はいよいよもって限界に近い。
 しかし、彼女たちはお互いに視線を交わしながらも、一歩が踏み出せずにいる。
 仮設トイレの個室は壊れているわけでも、隣の女子トイレのように使用禁止とされているわけでもない。
「っ…………」
 また一人。欲望に餓えたような視線でちらりとそちらを窺っていた少女が、悪魔のささやきを理性でねじ伏せるようにして顔を反らし、俯く。
 長い長い、女子用仮設トイレの順番待ちに並ぶ少女達はしかし、見ないようにしているその方角へ、我知らず意識を向けずにはいられない。
 ――男子トイレ。
 誰もいない、誰も並んでいない、混雑の中の空白地帯。今すぐにでも、溜まりに溜まった下腹部の下劣な欲望を叩きつけるように排出できる場所をすぐ前にして、しかし彼女達はそこから顔をそむけ、脚を遠ざけ、あまりにも無謀と言える、トイレ順番待ちの長蛇の列に並び続けている。
「ぅあ……ぅ……っ」
 顔を赤く、体操着の前を押さえ、シャツの裾をぐいぐいと引き伸ばすようにして掴み、足踏みをし、腰を揺らし、しゃがみ込み、大事な場所をかかとに押し当てて擦りつけ。はしたない姿を公共の視線に晒してまでも、意固地なまでにそこを――すぐ目の前のトイレを無視して我慢を続けようとするその理由は、明白だ。
 そう。なにしろそこは――男子トイレなのだから。



 いや。この時点ですでにその区分けは意味を持たないだろう。少女達がちらちらと横目で見つめては顔をそむけるその一角は、正確には『元・男子トイレ』とでも言うべき区画なのだ。
 およそ10分ほど前に、放送を通じて運営から、男子トイレの一部を共用として使えるようにした旨の通達があった。それにより、男子側の仮設トイレのいくつかは正式に女子トイレへと変更されたのである。
 あくまで男子トイレ側にあるとはいえ、そこは彼女たちも使っていい、女子用のトイレとなったのである。
 河川敷のグラウンドに起きた、大量同時多発トイレ我慢現象――その危機は午前を過ぎ、昼休憩をはさんで午後を迎え、いよいよその深刻さを増していた。
 女子トイレの混雑と、それに伴う順番待ちの長期化に伴う大量の『おトイレ難民』の発生は留まる事を知らず、いまや会場の半数以上の少女達がトイレを求めて苦悩する事態となっていたのである。
 急遽の会場移転に伴う、設備不足――大会の規模・参加選手や観客の総数に対して十分なトイレが設けられていなかったことが、この混在の主要因であった。
 無論、これらの事態を運営側も黙って見ていた訳ではない。近くのトイレを案内し、本来は運営関係者のみに用意していたトイレを急遽女性用とすることなどで対応を図っていたが、それでもなお混雑は解消されるには至らなかった。なにしろ新たに追加されたトイレは個室にしてわずか2つ。おまけに大会関係者の多くも同じようにトイレの少なさに苦慮していたのだから、焼け石に水どころか実質効果はないに等しい。
 と言って会場から最も近いトイレまでは20分近くも歩く必要があるとなれば、これまた解決策とは言い難かった。見学・応援に集まった者ならばともかく、参加者の多くは複数回競技に参加する状況であり、プログラムの進行上長時間会場を離れるわけにはいかないのだ。移動だけで往復40分も要するトイレまで行っている余裕などあるわけがない。
 その上、この混雑では20分を歩き抜いた先のトイレでも、同じように順番待ちの行列ができていることは予想に難くない。そしてそれは事実であり、一度会場を離れてトイレに行けば、1時間以上を浪費することは確実なのである。
 既に我慢の限界に近い『おトイレ難民』の少女達にしてみれば、そんな苦行――長い長い旅路に耐えることはとてもではないが考えられなかった。



 そのような状況でさらに緊急事態、苦肉の策として取られたのが、この男子トイレの一部開放だったのだが――結果としてみれば、それはさらなる悪循環を生みだすに過ぎなかった。
 その理由として、参加選手の多くが思春期の少女であったことも関係する。
 もともと、大会参加者の多くが思春期の学生であることを鑑み、彼等のプライバシーを尊重するために仮設トイレはただの野ざらし・共用ではなく、男女の区別を明確にしてして設置されていた。
 それを急に『こっちの男子トイレも女の子が使っていいですよ』と言ったところで、抵抗なくそこへ入っていける少女は少ないであろうことは、厳然たる事実である。男子校の学園祭などでも生じる事態だが、建物の中のまともなトイレですらこうなのだから、仮設トイレで何をいわんやであろう。
 そこはもともとの「女の子のトイレ」ではなく、さっきまで男性陣が利用していたトイレなのだ。それだけでも人一倍繊細な思春期の少女達には使い難い場所だというのに、他にも足を遠のかせる理由がある。
 仮設男子トイレと女子トイレには、おなじく仮設の洗面所と共に、パーティションが設けられていた。参加者のための最低限のプライバシーを守るための仕切りは、仮設トイレの男子側と女子側を真ん中で区切っている。
 当然ながら、解放された個室は男子トイレの側にある。
 そのすぐそばには男子の順番待ち列が、人数としては少ないながらもしっかりと存在していた。同じ男子トイレ側であるのだから、当然のごとく彼等の視線を遮るものはなく、そちらのトイレを使おうとしようものなら、彼等からたちまち好奇の視線を向けられることは間違いないのである。
 まして、その前に順番待ちの行列を作るなど、なまなかなことで許容できるものでなかった。
 少女達にとって、よほど切羽詰まっているのならともかくも、異性の文字通りの眼の前でトイレの列に並ぶことは、強い抵抗を覚えるものだったのである。
 急遽『仮設・女子トイレ』として設定された『元・男子トイレ』。そこを使うためには、耐えがたい尿意に身をよじり、悶え、長い長い順番待ちをしている姿を、異性の前にさらさなければならないのである。
 しかもその上、男子トイレ側には利用人数を稼ぐため、個室とは別に「小用」便器が別に設けられていた。こちらは個室と背中を向け合うように、小用便器がほぼむき出しで屋根の下に並んでいるだけの簡易なもの。
 男子達がこちらを使うとなれば少女達に背中を向けて、そのまま用を足す格好になる。
 すぐ隣で、仕切りもなく男子たちがオシッコを済ませているのを見せつけられながらとあっては、少女達もたまったものではないことは、少し考えれば自明だった。
 結果、解放された男子トイレは、男性陣にも、少女達にも使われないまま、ただ利用者のない無人の空隙となるばかりだったのである。
 運営側の措置は、結果的に利用者全体に対するトイレの絶対数を減らしただけにすぎなかったのだ。



 ――こうしてみると、男性用のトイレも本当に数が足りていたのかは疑わしい。
 そもそも、男性であれば、たとえ成人であっても小用はほとんど気にすることもなく屋外で済ませることができる。トイレが使える状況でわざわざそちらを選ぶことはないだろうが、その心理的な抵抗は、女性に比べれば遥かに小さなものだ。
 しゃがむ事もなく、ものの1分で用を足してしまえる上に、後始末はぷるぷると振って雫を切る程度で済んでしまう男性や少年たちが、きちんとトイレを使うというルールを順守していたのかは疑わしい。
 しかし。少女達にしてみればそれは大きな差だ。
 男の子と違って、女の子はいくら切羽詰まっても、気軽にオシッコをしてくる訳にはいかないのである。いちいち下着を下ろし、しゃがみ込まなければならないし、終わったあとだって腰を振ってはいおしまい、という訳にはいかない。後始末のためのティッシュは必須だし、そうなれば当然、ゴミまで出てしまう。物理的にも心理的にも抵抗は段違いである。
 なによりもその、心理的な抵抗の壁――『お外でオシッコをする』という事実のもつ重みが違うのだ。
 多く常識として、女の子であれば、トイレの外でオシッコなどという行為は、よっぽどの理由がなければ選んではならない、してはならない恥ずかしいことであることを教えられる。
 だからこそ、少女達は恥ずかしい思いをしながらも――『これからあそこでオシッコをする』と分かってしまう事を敢えて許容しながらも、ながいながいトイレの順番待ちに並ぶのだ。
 だがいまや、この河川敷のグラウンドにその常識、倫理を貫く事は果てしなく難しい。多くの少女達がその下腹部を恥ずかしい液体で満たし、もじもじくねくねと腰を揺すりながら、希少なトイレを探し求め、飽和状態の大行列を前に耐え続けている。
 遠からず全てが破綻することは、目に見えていた。




 (初出:書き下ろし)
[ 2012/01/02 22:30 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)
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