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霧沢学院・2 

 
 オシッコをしない女の子、『ノーション』たちが生徒として通う私立霧沢学院にも、春を過ぎ夏もいよいよ本番を迎える頃、恒例となっている身体測定の季節がやってくる。
 普通の学校ではもっと早い時期に行なわれるこの行事が、学院では中間試験が終わり夏休みが始まる前という妙な季節に予定されているのはきちんと訳がある。
 霧沢学院では3年間、あるいは6年間に渡って寮生活をするのが基本の生徒達だが、夏と年末年始、そして春の長期休暇では授業も部活動の多くも休みとなるため実家に帰省するケースが多い。しかし彼女達の実家は学院とは大きく異なり、ノーションとして振舞うための設備が不足している場合がほとんどである。
 生徒たちの生活環境が大きく変わるこの季節だからこそ、学院は長い休暇の間も生徒達がきちんと慎み深くおしとやかに、ノーションでいられるよう促すため、身体測定を実施するのだ。
 念のため補足しておくと、昨今ではかつて学院の生徒だった少女が母親となり、その娘や姪たちが学院に入学することもあって、個人の邸宅にも少女達がノーションでいられるような設備が用意されていることもある。しかしそれはあくまで例外としてお考え頂きたい。ノーションが少女たちの憧れであることが一般化した昨今でも、実際にノーションとなれるのは選ばれた少女たちのさらにごく一部であり、並大抵のことではないのである。
 実は筆者もまだ幼い頃、遠縁の親戚にいたノーションに憧れ、なりたいと目指して挫折した経験がある。


 さて。霧沢学院の身体測定は、およそ三日ほどのスパンで、2回に渡って行なわれる。無論、これだけの短いサイクルで少女達の身体を念入りに調べるのにはやはりそれなりの意味がある。
 実は、本来教育機関に義務付けられている類の身体測定は、学院でも新入生が学院生活に慣れ、落ちついた5月頃にすでに実施済みなのである。この時期の学院で行なわれる身体測定はそれとは別に、少女達の発育――つまり、どれほどノーションとして相応しい体つきになったかを調べるためのものだ。
 建前上――あくまで、現実と理想という意味で述べれば、霧沢学院にはオシッコなどというはしたなく恥ずかしく下品な行為をする女の子は存在しない。学院はノーションとなるべくして育てられた少女達が、真のノーションとなれるように日夜努力を続けている場所だからだ。ごく稀に大失敗、いわゆる『オモラシ』をしてしまう生徒がいるが、これは例外中の例外。
 学院の生徒は、本来女性の生命活動において必須であるはずの排泄という行為から解放された一段上の存在なのである。
 よって、学院が正式に彼女達の発育度合、要するに『どれだけオシッコを我慢できるのか』を把握することはない。生徒達はそもそもオシッコをしないしトイレにも行かないので、そんなものを調べるということ自体が矛盾しているのだ。


 しかし学院としては、少女達がどれくらいオシッコを我慢できるようになっているのかを把握するのはなによりも重要なことである。普段の生活においていかにオシッコをしないように振舞うのかは学院の生活指導の教師やクラス担任、また風紀委員や生徒会のような一部の生徒たちによっても厳しく監視され、内心という形で報告されているが、そうした精神面とは別に肉体面――実際にどれくらいの量や強さのオシッコを我慢できるのか、そうした能力を調べる必要がある。
 学院の生徒達にはそれぞれ、本人以外には絶対秘密、厳重にカムフラージュされた専用のトイレが与えられており、そこの利用状況や排泄されたオシッコなどの記録が厳密に行なわれているが、これもまたある意味では一部のデータでしかない。
 ある生徒がトイレを利用したからと言って、それが必ずしもその生徒が限界ギリギリまでオシッコを我慢していたとは言い切れないためである。むしろノーションであるためには、次にいつトイレを済ませることができるか分からないのだから、あらかじめオシッコを済ませておく、という心構えが必要になる。よって、トイレを利用したときの生徒は、ほとんどの場合まだ我慢に余裕を残しているのだ。これでは生徒たちの膀胱の許容量や尿意の我慢レベル、普段通りの生活で低鬼的に水分を摂取しながら、一体何時間トイレに行かずに済むのかなどの限界値を探ることはできない。


 ――では、どうすればよいのだろうか。例えば、どうしても我慢できずに、実は自分がノーションでないことを隠しきれず、オシッコを漏らしてしまった生徒がいれば、その時の状況を詳しく調べることで彼女のオシッコを我慢する能力を知ることができるだろう。しかし、建前上オシッコをしないように躾られているはずの生徒達を、当の学院側が無理矢理全員オモラシさせるというわけにもいかない。
 そこでこの身体測定の出番である。
 一般の学校の中にも、オシッコを我慢できる女性ほど美しい、という理念のもとにブラ(=bladder:膀胱)の計測を行なっている場所も多くあるが、霧沢学院の生徒達は決してオシッコをしないノーションので、直接オシッコの量や膀胱の膨らみ具合を計測することはできないことはお分かりだろう。実にまどろっこしいとお思いの方も多いだろうが、何事も一流を貫くにはそれほどの努力や代償が必要だという好例でもある。
 学院の身体検査では、基本的に5月の測定と同じ内容が実施されるが、この時慎重や視力データにはあまり直接的な意味はない。重要視されるのは体重測定、内部診断、そして胸囲・腹部囲・腰部囲測定などだ。


 秘密裏に――あるいは一部の生徒には暗黙の了解として、1回目の測定の前には生徒達の専用トイレの利用は大きく解禁され、同時に生徒達が日常口にする生活水に含まれる利尿剤の成分が変更、排泄の頻度を高めてできるかぎり自然に膀胱を空にしておけるように準備が行なわれる。この時の少女達の記録が、いわば乾燥重量……オシッコを一切我慢していない状態での身体データである。
 次に、2度目の測定――こちらはそれからおよそ3日の間を開き、今度は専用トイレの使用が完全に禁止され、少女達の誰もがオシッコをまったくできない、完全なるノーションとしての生活を強いられた後に行なわれる。
 さしもの学院生徒達も3日、72時間という未曾有の我慢を強いられ、平静な表情を保つことも難しい過酷な条件の中、あくまで表向きだけは普通の身体測定という名目で検査が行なわれ、今度は完全重量――オシッコを限界まで我慢し続けた少女達の身体データが計測される。
 この時の体重は前回との差分のみが記録され、少女達の3日間での体重変化が示される。つまり彼女達がおなかの中に限界まで溜めこんだオシッコの量がはっきりと表示されるのだ。


 たとえ入学直後でも、この変化が小数点以下kgという生徒は少ない。中には数キロ以上の変化を記録する生徒も居り、そうした少女達は暗黙の了解の中高く評価される。
 しかし、単純に膀胱の許容量だけがそれを示すわけではない。ノーションとして必要なのは、オシッコを我慢し続けることではなく、まるでオシッコをしないかのように振舞う能力なのだ。測定では続いて腹部囲の計測が行なわれるが、ここで生徒達の真価が問われるといっても良い。
 一般の学校では、女の子はオシッコをするものであるのでオシッコをたくさん我慢し、大きな膀胱でおなかをふっくらと膨らませるのもまた大人の女性のおおきな魅力のひとつとされているが、ノーションにとってまるで妊娠でもしたかのように大きくおなかを膨らませているのは、それだけで彼女の我慢しているオシッコのことを知らせているのと同じで、大きなマイナスである。
 学院ではその方針のもと、今度は腹部囲いの変化が小さければ小さいほど良い評価となるのだ。本来下腹部に収められている膀胱は、体重を大きく変化させるほどの大量のオシッコを詰めこんで大きく容積を増し、少女の下腹部を圧迫する。しかしそれをそのまま身体の外側へ向かって迫り出させていては、理想の女性像であるノーションの魅力という点では激しく欠けているのである。


 大量のオシッコを我慢しつつ、そんなものではまるで身体の外観に影響のない、そんな女性ほど『オシッコをしない』ノーションとしては相応しいことは当然である。中世の貴族はウェストの細い女性ほど美しいとされ、コルセットなどによる体格矯正も盛んに行なわれた。彼女たちの中には、膀胱が大きく変化(あるいは進化)をとげ、瓢箪のようにくびれた形となって腰の上、胃の下まで膨らむ構造をしていた女性も少なくなかったという。
 いわばこれと同じ事がノーションには要求されている、日常的な訓練で丁寧に鍛えられたしなやかな筋肉によって膀胱の形を外からは気付かれないように変化させ、大きく膨らんだ膀胱を自然に身体の中に収めてゆく素質が求められる。
 この素質については、次の検査である内部診断――膀胱の形状を確認する超音波探査ではっきりと診断される。大きく膨らんだ膀胱が、まだ未成熟な少女の身体を大きく占領し、他の内臓を圧迫せんまでに拡がっている光景は、感動すら誘う。余談になるが、もし機会があれば是非伝聞ではなくご自身の目でご覧になって頂きたいものだ。
 これもまた、人体においては決して荒唐無稽なことではない。たとえば常人の何杯、何十倍という食事をたいらげる能力をもつ人がメディアに紹介されている。彼等は必ずしもめぐまれた体格を持っていない、いわゆる『痩せの大食い』であることが多い。これまもまた一種の天賦の才能、素質であり、彼等が食事を終えた後、レントゲンによって確認された消化器官は、他の臓器を圧倒するサイズになっている事が知られている。人体の不思議、驚異であろう。


 身体測定。通常ならばなんということもない年間行事の一つであるが、ノーションを目指す学院の少女達には、これもまた潜り抜けていかなければならない試練である。
 また、最重要問題である生徒達の身体的オシッコ我慢能力の確認の他に、測定では他の視力測定、身長や座高、血液検査なども行なわれるが、これらにはふたつの意味がある。
 一つは、この身体測定があくまで生徒達の発育具合を測定するためであるという建前によるもの。もう一つは、我慢の限界状況に追い込まれた少女達が、それでもノーションとして振舞うために平時と同じ身体能力をどれだけ発揮できるかを確認するためでもある。
 ほんのわずかな刺激で爆発してもおかしくない限界の尿意に占領された膀胱を抱え、中腰にならず爪先を踏み鳴らすことも膝を寄せることもなくまっすぐに背筋を伸ばしたり、オモラシというあってはならない事態を回避するため一刻も早くトイレを利用したいと思いながら執拗に視力や聴力検査を行なって、普段と同じ能力を発揮することの過酷さを想像していただきたい。彼女達がいかに厳しい環境で生活しているのかお分かりになるだろうか。


 ――さて。ここまで順に述べてきたが、最後に一番重要な話をしようと思う。実はこの身体測定、学院側の真意は少女たちの持つ身体的オシッコ我慢能力を調べること――“ではない”。
 ここから先は学院の真の実情をつまびらかにするものとなる。今後学院に通うであろう少女をご存知の方は、決して口外せぬようにご留意いただきたい。 ぶっちゃけてしまうと、生徒達の我慢能力というものはこのような暫定的な行事のなかで正確に把握する事は難しい。日々、時々刻々と変化し成長する少女達の身体機能は多いに流動的であり、たった年に数度の検査で調査を終えることが不可能に近いのは、賢明な読者の方ならばとうにお察しのことであろう。
 霧沢学院がその様な曖昧な方針を野放しにする愚を犯していることに憤っておられる方もいらっしゃるかと思う。しかし、ご安心頂きたい。実は、これらの少女達の身体機能は、生徒達が学院で過ごす限り、1年365日24時間のリアルタイム、完全体制で管理されており、毎秒ごとに全生徒およそ1000人あまりのパーソナルデータとして記録・更新されている。
 学院は常に生徒達のデータを完全に把握し、管理しているのである。


 このコラムをお読みの方は、ノーション、つまり『オシッコをしない女性』というおよそ概念的な存在を維持するためには、多分に情報の操作が必須であろうことは想像に難くないこととご理解いただけているだろうかと思う。
 なにしろ生物学、生理学的にオシッコをしない女の子などこの世には存在しない。排泄というものは生命活動に欠かせない必須の事項である。しかし、学院にいる生徒は皆、その夢幻であるノーションという理想の存在を心の底から目指し、そうあろうと日夜血の滲むような努力を積み重ねているのだ。
 そう、この身体検査の裏の目的が身体的オシッコ我慢能力の検査という名目で生徒たちに知られていることを学院が放置しているのもこうした情報統制の一環である。生徒たちに表向きのほかに裏向きの理由も与えることで、彼女達に自分がノーションである、ノーションたらんとしているのだという自覚を促し、いついかなる時もオシッコをしないという理想を貫かせるための修身鍛錬のひとつなのである。
 こうして学院の少女達は、言葉は悪いが敢えて言うならば他人を欺き社会を欺き、自分すらも欺くことで実現不可欠な存在、ノーションを生み出してゆくのである。

 
 ――霧雨澪の世界探訪
 『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』より



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 439-448 2007/08/09)

 
[ 2007/10/12 11:34 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)
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