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霧沢学院・3 


 『オシッコをしない女の子』――ノーションの楽園である霧沢学院の3年生が活気付き始めるのは、夏休みも過ぎた9月半ば。暑い盛りが過ぎて空が澄み渡り、夕焼けが空に映える秋口の頃だ。
 夏季休暇を終え、学期末試験の終わった学院では、中等部の3年間を通じてもっとも盛大なイベント、修学旅行に向けての準備が始まる。この時期に設定されているのは、中高一貫教育のため受験の心配がない学院ならではのことだろう。
 字面では“学を修むる”とはなっているものの、昨今の学校では修学旅行本来の堅苦しい史跡観光などの意味合いは薄れ、純粋に観光旅行としての側面が強い。霧沢学院でもそれは例外ではなく、生徒達にとっても学院を離れ、仲の良いクラスメイトと揃って過ごす修学旅行は一大イベントである。
 しかし、世の女の子の理想であるノーションをはぐくみ育てる霧沢学院では、この旅行こそがノーションの英才教育の成果を示す、文字通りの“修学”旅行なのだ。


 年度にもよるが、霧沢学院の修学旅行は概ね4泊5日の行程で、行き先は京都、沖縄、北海道、北九州などが選ばれる。目的地に海外を望む声も一部にはあるが、安全性の問題などから今のところ実現していない。
 安全性――つまり“オシッコをしない女の子”=ノーションが実存するという神話が崩壊しかねない危険性を完全に払拭することが、海外では完全に担保できないためである。
 この旅行の間、学院生徒達は完全なるノーションとして振舞うことが要求されるのだ。
 つまり、旅行の間中、生徒達はいついかなる場合でも、排泄をするという意味でトイレに入ることを許可されないのである。
 ノーションの楽園である霧沢学院の生徒として、彼女達は5日もの間、トイレに行くことのない女の子という理想の偶像を務めるのである。


 彼女達が滞在するホテルは、格式高く伝統のある施設で、学院の出資者や卒業生が多く関わる場所ばかりだ。普段はその至れり尽せりのサービスで客を出迎えるホテルは、修学旅行で学院の生徒を迎える時だけ、たったひとつ――トイレについてのみ、恐ろしく厳格で理不尽な対応を取る。
 学院生徒達が宿泊する棟のトイレの入り口を塞ぎ、壁紙などで封鎖してその存在すら抹消するのである。
 学院に属する少女たちは、ノーションであるのだから――オシッコをする設備など不要というわけだ。
 トイレの不在――それは、決して彼女たちにとっても珍しい光景ではない。そもそも霧沢学院には来賓用、職員用のものを除けば、トイレは存在してない。生徒達が利用できるのは、文字通り手を洗い清めるための“お手洗い”のみである。
 だが、これは彼女たちがオシッコをしないことを示しているわけではなく、オシッコをするための設備が存在していないというわけではない。彼女達は自分専用の秘密のトイレを持っており、そこで誰にも気付かれないようにオシッコを済ませることによって、そもそもその存在が物理的、生物学的に不可能なノーションとして振舞うことを可能にしている。
 が。この修学旅行中はワケが違う。
 滞在先の旅館やホテルはあくまでも一般の人々に向けられた施設であり、学院にあるような秘密の隠しトイレなど、無論のことながら存在していない。つまり、トイレの封鎖されたホテルには本当の意味でどこにもトイレなどなく、少女たちは4泊5日の無限にも思える時間をオシッコのできないままに過ごすことを強制されるのである。


 厳格な躾と多くの淑女を排出する霧沢学院には、その名に恥じぬ多くの財閥、名家のご令嬢も名を連ね、在籍している。このような伝統ある学院ではその卒業生が社会で大きな権力を持つことも多く、時にその権力によって不正が起こることも懸念される。残念なことに生徒の中にも、在学中そうした血縁の立場を振りかざし無茶を通そうとする者はいるのである。その関係が明るみに出るのならばともかくも、寮生活や友人、先輩後輩の人間関係に及べば生徒の自治の間でそれらを摘発することは困難を極める。
 本来、決して口外無用の秘密のトイレについても、信頼できる親友や先輩、そして時にいじめなどによって、その場所や使用方法を教え合ったり、聞き出されたりという言語道断なことが、厳粛な規律に律された学院内にも事実として存在しているのである。
 無論ながら、学院の生活において多くの秘密トイレの存在を知っている生徒は、それだけ自然にノーションとして振舞うことができる。誰にも秘密にこっそりとオシッコのできる場所が人よりも多ければ、同じ学院の生徒にすらまるで本当にトイレに行かないようにも思わせることができる。時に学院執行部によって、24時間以上秘密トイレの使用を禁じられる場合でも、他のトイレを使うことができれば万が一の危機はぐっと少なくなる。
 科学的な見地によって冷静に外部から見ればあまりにも無茶な存在であるノーションという存在が、毎年、学院の生徒達の間でもまことしやかに信じられてしまうのは、こうして学院のシステムを逆手に取り、“狡賢く”行動する生徒達がいるためでもあるのだ。
 事実、彼女達の行いは学院を卒業し社会に出た後、実際にあるトイレには行かずに本当のノーションとして振舞うためには欠かすことのできない技術であることも確かと言える。


 が、学院は修学旅行中のトイレについては、なによりもかたくなな態度を一貫させている。
 たとえどんなに有名な財閥や政治家の関係者であったとしても、学院は決してトイレの使用を許可しない。一般には知られていないが、数年前には某民自党総裁であった大物政治家のご息女が、事前に修学旅行で滞在予定の旅館を訴え、トイレの使用を求めたこともあったが――学院はそれを突っぱねている。
 また、旅行中の生徒達は班行動を徹底され、引率先でも徹底して行動を管理されるのだ。
 この徹底管理が行き届かないとして、海外での修学旅行はこれまで行われていない。しかし、現在学院では卒業生を中心に欧州と北米で受け入れ態勢を構築中であり、数年後には学院初の海外旅行も計画されていると言う。


 しかし、過酷な入試選抜を潜り抜け、学院での厳格な教えに従って中等部3年間のノーション教育を受けてきた学院の生徒たちとは言え、4泊5日間もの行程の間中、一回もオシッコをせずにトイレを完全に我慢しきることなど、まずもって不可能であるのは確かだ。
 では、彼女達はどうやって、その小さな下腹部をなみなみと満たすオシッコを処分するのか。
 みんなが寝静まった深夜に、ひっそりとホテルを抜け出してコンビニへ?
 あるいはお風呂の時に、排水溝でこっそりと?
 はたまた、観光の時の自由時間でちゃっかりと公衆トイレへ?
 これまでこのシリーズをお読みの方々には、彼女達がそんな愚を犯さない事は先刻ご承知のことだろう。彼女達はノーションだ。少なくとも、この旅行の間はそう振舞わなければならない。であるならば――オシッコをしないのだから、そもそもトイレに入る姿すら見られてはならないのだ。そんな危ない橋を渡ってオシッコをしてしまうような女の子は、学院生活を送る事などできない。
 そして、ホテルのトイレは絶対に使用できない事は既に述べた。
 では、トイレが絶無のこの旅行の最中に、彼女達はどうやってオシッコを済ませるのか?
 その秘密は、彼女たちが持つ小さな“袋”に隠されている。


 修学旅行の初日、生徒達にはひとつずつこの『エチケット袋』なるものが渡される。
 通常の意味では、このようなものはバスなどに酔い、気分を悪くした生徒が使うものだが――霧沢学院の修学旅行にあっては、まったく違う意味を持つ。そもそも、本来のエチケット袋はそれぞれ、新幹線の車両、飛行機の機内、はたまた現地での移動手段であるバスにも完備されているのだ。
 この『エチケット袋』は、彼女達に与えられた恩情であり、枷でもある。
 ノーションとしてのエチケット――人前でトイレに行かず。ひいては決してオシッコをしない女の子であるという、『エチケット』のための『袋』。つまりこの場合のエチケットとは、トイレを我慢すると言う意味であり、『袋』はとりもなおさずオシッコを溜めておくための場所、bladder(膀胱)のことだ。
 『エチケット袋』はこの修学旅行中の間のみ、例外的にノーションの身体の一部、つまり膀胱の延長として扱われる。この『エチケット袋』の中にある限り、オシッコは身体の外に出たことにならないのだ。
 我慢に我慢を重ねた限界の果て、学院の生徒達がどうしても我慢できなくなり、自分を苦しめる悪魔の液体を処分せなければならくなったときがこの『エチケット袋』の出番だ。少女たちはさりげなく部屋や移動車両の隅へ移動し、この『エチケット袋』にオシッコを済ませる。
 無論ながら誰にもそのことを悟られてはならない――しかしこれはもはや建前上のことではある。なにしろ、『エチケット袋』は少女たちの体の一部なのだから、オシッコをしていることにはならないのである。
 もっとも、そもそもこんな袋にオシッコを出しているところを、クラスメイトとは言え見られるなんて、普通の女の子でもありえないほどに恥ずかしいことであるのだが。
 この『エチケット袋』は本来の用途同様、防臭、防菌加工の高分子吸収帯を用意したものであるが、性能そのものは段違いに良い。4泊5日の行程中、まったく問題なく少女たちのオシッコを……ノーションとして人並みはずれて鍛えられたオシッコの我慢が可能な少女たちのトイレを余すところなく受け止めるのにふさわしい構造をもっているのである。
 修学旅行中、学院の生徒たちはなんどもこの『エチケット袋』のお世話になりながら、ノーションとして振舞うのだ。


 面白いことに、これは、たとえノーション候補生である学院の生徒といえども、3日間もの間丸々とトイレを済ませずにいられるはずがないことを示している。たとえどれだけ括約筋を鍛え、オシッコを我慢する訓練をつんだとしても、普通に食事をし、水分を採り、日常生活を送りながら女の子がオシッコを我慢し続けられるのはせいぜいが丸24時間――たとえ奇跡のように我慢が可能だとしても、一日強の30時間が限界であるのだ。
 読者のみなさんはこれを短いとお思いになるだろうか? 激しい選抜試験を勝ち抜き、全国から選りすぐられた我慢のエリートである少女達が、たかだか一日程度しか我慢ができないという事実を?
 だがもう一度、これまでのコラムを踏まえ、ノーションという存在の大きな矛盾を考えて欲しい。
 確かに水分を全く採らないような生活ならば、あるいはもっと長期間のトイレ我慢も不可能ではないかもしれない。しかし、ノーションとは普通の女の子と同じように生活をしながら、トイレと無縁でありオシッコに行かないことを旨とする理想の偶像である。
 よって、トイレに行かなくても平気なように工夫をすることは、そもそもノーションとしてまったく見当違い、酷く言えば失格であると言って過言ではない。
 たとえ長距離のバスや電車の移動であっても、それを理由にオシッコの心配をし、水分を控えたりすることはノーションとしては全くありえないことだし、夜トイレに起きることを考慮して寝る前のお茶を控えたりすることは、ノーションには許されないのだ。
 ノーションはオシッコとは無縁の存在なのだから、そもそもオシッコの心配をすること事態が筋違いなのだ。むしろオシッコに悩まされる心配がないからこそ、生徒達は普通の少女以上に多く水分を採り、飲み物を口にすることが推奨されている。
 いや、それどころか彼女達はトイレを我慢する事すら許されていないのだ。


 霧沢学院は、表向きトイレの一切存在しない、ノーションのための学院である。
 しかし、そこで暮らす生徒たちが、実際にはオシッコからは自由にならないごく普通の女の子であるように、学院にはこっそりと隠された秘密のトイレが数多く用意されている。このような秘密のトイレでひそかに、つつましやかにオシッコを済ませて、けれどそれを全く悟られないようにすることが、ノーションを目指す少女たちの学院生活の基本事項である。
 誤解のあることも多いが、別段、学院の生徒全員が常日頃から限界に汗を流し身体をよじって我慢を続けているわけではない(一時的にそういう時期にある生徒がいることも確かだが)。
 ……なにしろ、『オシッコをしない女の子』である以上、我慢することすらノーションにとってはタブーであるのだから。そのような無様な状況を晒すことなく、生徒達は死にそうなほどにトイレに行きたい時も、そうでないときも、全く同じように過ごしているのだ。
 それは優雅に湖上を舞いながら、その実水面下で激しく水を掻き分けている白鳥のように。
 血と汗と、文字通りオシッコの滲んだ涙ぐましいほどの努力の上で、生徒達はオシッコをひそやかに我慢し、ひとたび機会があれば可能な限り素早くきちんと(そしてこっそりと)トイレを済ませておくのが鉄則なのである。


 繰り返し述べてきたように霧沢学院には、生徒一人につきひとつの秘密のトイレが用意されているが、学院をを卒業し、名実共にノーションとなって社会に羽ばたいてゆく少女たちはそうもいかない。
 学院の中でならばともかくも、大多数がノーションではない女性の生活する実社会において、トイレというのは基本的に、その場所がわからなければ困るものだ。探せば見付かるようになっていなければ非常に大変なことになるため、どうしても目立つようになっている。
 だからそこに近づけば自然、その姿は目に付いてしまうものだし、衛生上複数の人間が利用する場所であるため、一緒に立ち入ればそこを使っていることは公知の事実である。
 当然ながら人目のあるところでノーションがトイレに立つことが許されるわけもない。実社会で卒業生たちがノーションであることを貫くのは、想像を絶するほどに難易度の上がる行為なのである。
 学院の中でならば、まさかそんな場所で? というようなところにひっそりと個人用の秘密トイレが用意してあったりするため、彼女たちはさりげなくそこで用を済ませ、同じ学院の友人たちに対しても思う存分ノーションであることを競うことができる。
 しかし、一歩学院を出たその先では、当たり前のことだがオシッコのできる場所はトイレしかないのだ。そこに立ち寄ることはノーションとしてやってはならないことだし、不可能である。
 つまり、学院の生徒は、学院の外では絶対にトイレに行くことができない。
 この修学旅行は、彼女たちにとって日頃磨いてきたノーションとして振舞うための技能を社会の中で試す、テスト期間でもあるのだ。


 修学旅行の最終日。帰途に着いた生徒達は、学院の大規模検査室で――ここは入学審査や身体測定が行われる場所だが――『エチケット袋』の測定を行われる。彼女たちが修学旅行期間中、一体どれほどオシッコを猛烈に『ガマン』してきたのかを知らしめるためのものだ。4泊5日にもおよぶ長期間にわたる行程で、溜め込まれたオシッコは凄まじいことになっており、ほとんどの『エチケット袋』は見るも無残な凄まじい『ガマン』を強いられている。中にはそんな状況の『エチケット袋』を抱えてなお、言葉すくなに息を荒げ頬を赤くし、股間を握り締めてしまう、ノーションとしてはイエローカードな生徒も見られる。
 そして、多くの生徒達がでずっしりと重く、ぱんぱんに膨らんだ『エチケット袋』を前に、俯いて顔を赤らめている中、一度も『エチケット袋』を使用した形跡のない生徒が必ず数人、現れるのだ。
 まったく焦る風もなく、乾いた喉を、健康に良いと評判の利尿作用たっぷりなお茶で潤して。少女たちはぺたんこ、空っぽの『エチケット袋』をこともなげに返却する。
 そう、まるで本当のノーションであるかのように、だ。
 彼女達は一体どこでトイレを済ませたのだろう。彼女たちが一回もトイレに入っていないのは、同道したクラスメイトたちにははっきり解っているし、オシッコをする姿も勿論誰も見ていない。
 しかし、果たして我慢のエリートである他の生徒達が激しい苦悶の中、必死に耐え抜いてなお『エチケット袋』をぱんぱんに膨らませているというのに、そんな状況の中で全く条件の同じ彼女たちだけが悠々とオシッコを我慢し続けているというのだろうか?


 その答えは、実は誰にも解らない。
 それこそが、生きてゆくための自然の摂理としてどうしても排泄という行為をしなければならない少女達が、オシッコをしない理想の女の子、ノーションとなるための最大の秘密である。たとえどんな苦しみを味わっても、彼女達は隠されたその秘密を口にする事はないだろう。
 そして、彼女達こそが未来に羽ばたく、本物のノーションのタマゴたちなのである。
 彼女達は、『エチケット袋』など不要である。我慢のための、第二の膀胱――そんな無理矢理で無茶苦茶な誤魔化しの救済措置などなくとも、4泊5日の行程を、完全無欠のノーションとして過ごすことができるのを証明してみせたのだ。
 いかがだろう。
 この修学旅行における“学を修むる”意味がお分かりいただけただろうか?


 そして、――実は、彼女達が旅行にゆくそのずっと前から、試練は幕をあげている。
 3年生になる生徒達は、すでに日常的にほとんど自然にノーションとして振舞うことを当たり前にしていて、たとえば丸1日、学院でたった1ヶ所の自分専用のトイレが使えなくなっているような突然のトラブルは日常となっている。
 しかし彼女達は口に出すことはない。修学旅行の前日、あるいは前々日、ひょっとするともっと前から、自分の秘密トイレでオシッコができないことを。
 そのとき、彼女たちがオシッコを済ませるためにどうしているのか――たとえば、誰かにこっそり教えてもらった別の秘密トイレを使っているのか? じっと我慢を続けているのか? あるいは、もっと他の方法でオシッコを済ませているのか?
 もうお分かりだろう。学院における最大の秘密とされる、生徒一人一人の秘密トイレの存在すら、学院生活の執行においては実は何の意味も成さないのだ。
 学院でたった一つの、自分専用の秘密トイレが使えないとき。生徒達はいったいどのようにノーションであることを貫けばよいのか。それを見つけることこそが霧沢学院の本当の教育である。
 単に他人の秘密トイレをこっそり使って、限界になるたびに場当たり的にオシッコを済ませ、尿意の解放を満足させているだけでは、決してたどりつけない領域がある。あるいはそこで学院の真意に気付けた少女こそが、偉大なるノーションの道の第一歩を踏みだせるのである。


 あなたがこの季節、どこかの観光地で行列のできている婦人用トイレの前を、談笑しながら横切る、紺色の制服の少女達を目にしたら。
 あるいは、大急ぎでトイレに駆けこんできておきながら、洗面台で手を洗い髪を整えただけで外に出てゆく、青いスカーフの少女達を目にしたら。
 それは、霧沢学院の生徒たちかもしれない。
 彼女たちの生活は想像以上に過酷である。旅行のはるか以前から、すでに限界近いオシッコ禁止を強いられ、さらにそこから生活環境も全く異なる4泊5日にもおよぶ長期間の旅行を強いられ、どうにか学院に帰りついても、さらに過酷なことにまたもや自分のトイレが封印されている――そんなことすらあるのだ。
 だが、彼女達はくじけない。
 自分達が真にオシッコをしないノーションであるならば、そんなことはまるで関係がないからだ。
 そう、もしかしたら彼女達は、本当に丸何日もオシッコを我慢しているのかもしれない。
 彼女達はそのちいさなおなかを溢れんばかりのオシッコではちきれそうに膨らませながら、そんなことをおくびにも出さずに旅行を愉しんでいるのかもしれない。いまにも漏れそうな股間を抱えながらも平然と、ずかでも緊張を緩めればたちまち決壊してしまうであろう恥骨の上のダムを閉ざす偉大なる意志の力と、常日頃鍛えられたオシッコ我慢の成果をもって。
 そうして、学院の少女たちは本当の意味での淑女の嗜み、“エチケット袋”を身につけてゆくのだ。

 
 ――霧雨澪の世界探訪
 『ノーションの楽園・霧沢学院を尋ねて』より



(初出:リレー小説:永久我慢の円舞曲 902-913 2008/11/16)
[ 2008/12/31 01:52 ] ノーション | トラックバック(-) | コメント(-)
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