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テストのお話・2 

 
 しんと静かな教室に響くのは、シャーペンが跳ねる音。消しゴムが踊る音、熱の篭った溜息、がりがりと頭を掻く音、かつかつと答案用紙を叩くペン尻の音。
 期末試験最難関と噂される3日目の一時限目、その敵陣の先鋒となった現国のテストは、常よりもさらに増した難易度で、夏休みを前にした生徒達を容赦なく迎え撃っている。教卓から黒縁の眼鏡のフレーム越しに教室を睥睨するのは、試験担当の教諭の視線。それはまるでわずかな不正も見逃さんとする法の番人のようだ。
 加えて、ささいな書き間違いを見つけては嬉々として減点する、学年主任の現国のテストは、校内を通じてもすこぶる評判が悪い。
 だからこそ、普段の予習・復習に支えられた着実な勉強法がものをいう。
 ――毎日ではなくとも、それらを地道にこなしているサツキには実力を発揮するに相応しいはずのものだった。
 だが――
「…………」
 吐息と共に、熱っぽい頬を擦り、サツキはまとまらない頭を振る。集中できない自分を胸中で叱咤しながら、熱の篭ったスカートを巻き込んで椅子を軋ませ、脚を揃えては組み替える。
(はぁ……)
 気にすまいと思えば思うほど、どうにも下腹部の違和感がぬぐえない。朝のホームルーム後で遭遇した、いつもはありえないトイレの大混雑はまったくサツキの予想外のものだった。
 チャイムまでの残り時間はわずかで、流石に別のトイレまで出張している余裕もないように思えた。
 時計を気にしながら廊下まで続く順番待ちの列に並んでいるうち、あっという間に時間が来てしまい、サツキはとうとうトイレにいけないまま教室に戻る羽目になってしまったのだ。
 多少無理すれば個室に入れないわけでもなかったけれど、同じく並んでいたユミたちに、『しょうがないけど我慢だね。……いこ、サツキ』なんて口々に言われてしまえば、そのまま残っているわけにもいかない。
(チエリとあんなに話してなきゃ、間に合ったかもね……)
 とは言え、せっかく和解した友人のことを悪くいう気分にもなれない。向こうから折れてくれたのに、そのせいでトイレにいけなかったなんていうのは、八つ当たりだ。
 椅子の上でもぞもぞと脚を動かし、サツキは軽く気合を入れなおす。
(よし、集中っ……)
 改めて、事実のみを抜き出して考えてみれば、なんとも単純で、簡単なことなのだ。
 つまり、要するに、たかだか37、8℃の、体温と似たような温度の液体を――ほんのちょっとだけ特殊な液体を、一ヶ所に保管しておくだけのことなのである。
 コップや花瓶、そんな上等なものでなくとも、たとえば飲みかけのペットボトルとか、牛乳のパックとか、そんなものだって構わない。そう――まあ、おそらく、およそ500ml強の……ひょっとしたら、もうちょっとだけ多いかもしれないが、とにかくそれくらいの液体を注いでも溢れないような容器を使って、おなかの中に溜まっている分の“それ”を入れておくことさえできれば、何の苦労も努力も辛抱も必要なくできてしまうことなのだ。
 たとえば、コンビニで買ったペットボトルを一本、サンドイッチと一緒に手にぶら下げていたって、こんな苦痛など覚えるはずもない。しかしたったそれだけのことを、自分の身体の中心、『おんなのこ』の入れ物でしようとするだけで、サツキは激しく長い苦しみに耐えなければならなくなるのだった。
「……ん、っ」
 わずかに飲み込み損ねた声が、かるく唇を震わせる。サツキの『おんなのこ』の部分はいまも、大きく膨らんでその存在感を執拗にアピールしていた。たった数百mlの液体が、おなかの中に溜まっているというそれだけで、サツキの思考はまとまらず、ぼんやりとした熱が頭の奥を占領してゆく。
 現に、サツキは朝にも野菜ジュースとスープで、楽にコップ1杯余の水分を摂取している。いまのコレは、それと一体どれほどの差があるというのか。
 小さな欲求は次第に大きなうねりとなり、『おんなのこ』の部分はサツキにたった一つのことを命じていた。すなわち――はやく“ここ”を、空っぽにしろ、と。
(……はあ……やっぱり、あんなの飲むんじゃなかった……)
 思い返すのは、祖母がつくる生姜紅茶。女の子が身体を冷やしちゃいけないと、親切心から進めてくれるのは分かっていたが、さして頑丈な神経をしていないサツキの身体は、冷え性予防の生姜紅茶の利尿作用をモロに食らい、ひとくち口にするだけでてきめんにその効果を受けてしまう。
 どちらかというと繊細な排泄器官は、あっという間に身体から抽出された水分でいっぱいになり、あっさりと音を上げてサツキにトイレを急かすことがしょっちゅうだった。
 試験期間中はやめておこうと思ってはいたものの、惰性のようになったいつもの習慣と、祖母の笑顔を遮ることができず、サツキは今日もティーカップ一杯、たっぷりと口にしてしまっている。つまりそれをあわせれば、都合400ml余りの水分が、サツキの身体に染み込んでいた。これにさらに、昨晩からの分までもが加わるのだ。
(だ、だからそんなこと考えてる場合じゃ――)
 しかし、一度そんな風に感じてしまうと、まるで自分が水の塊のような気がしてとてもではないけど落ちついていられない。何しろ人間の80パーセントは水分だという。だからつまり、サツキの体重の8割、どう少なく見積もってみても30キロ以上の水分がサツキの身体を循環していて、それが刻一刻と毛細血管を巡り全身を行き渡って、健康な循環器を通過してろ過・凝縮されて身体のある1ヶ所に溜まってゆくのだ。
 今ガマンしているおしっこの、60倍近い水分がサツキの身体を流れている。つまり、『おんなのこ』が限界を訴える量の、60倍ものオシッコの素が全身を巡っているのだ。
(っ……ぅぅっ、と、トイレ……っ)
 生姜紅茶の作用はてきめんだ。いつもなら朝出かける前と、ホームルームの後と、さらには1時間目の後の休み時間。それぞれゆうに3回分はトイレに通い詰めてようやくすっきり解放される程度のものなのである。そのうちの朝、出かける前のトイレと、ホームルーム前のそれを禁じられて、そろそろサツキの尿意は無視しがたいものになりつつあった。
(う、く……)
 いつしか、頭の中はトイレのことで一杯になっている。
 シャーペンの先はもう10分も前から止まったまま、抜けの多い回答欄の上で小刻みに震えていた。いつもならもう少し、せめてあと数問はましなはずの回答欄が、全然埋まってくれない。
 無機質に針音を刻む時計をじっと睨み、サツキはぐっと下腹に力を篭める。気付けば試験時間の半分は過ぎ、そろそろ後半戦に差し掛かっている。配分としては3枚ある問題のうちの3枚目に取り掛かっていなければならないが、まだサツキのペンは2枚目の最初で足踏みしたままだ。
(あと20分――たった1200秒よ。すぐに済むわ。それより今は集中、集中……!!)
 この現代国語のテストが、気を散らしさえせずにじっくり取り組めばそれほど難易度の高い問題ではないことをサツキはこれまでの経験から熟知している。きちんと問題を読んで、ちゃんと回答に集中しさえすれば、それでいいはずなのだ。
 雑念を振り払おうと頭を振るサツキだが、頭の一部は熱っぽくも冷静に、そのことに支配され続けている。
「ん、っ……」
 小さな苦悶が、もぞりという身じろぎと一緒になって、静かな教室に響く。同時にぎしっと椅子まで軋み、担当教諭は神経質に眼鏡の奥からサツキのほうを窺う。
 些細な不審は、下手をすると不正行為と思われかねない。余計な詮索をされぬよう、サツキはただ顔を伏せて、目の前の試験問題に集中しようとする。
 けれど、下腹部に満ちた苦痛の原因はそれを許さない。
 握り締めたシャーペンの先が不安定に揺れ、問題文を追っていた視線はどの行までを読み終えたのかも分からなくなる。
 少女の体内で次第に膨らみ、ゆっくりと張り詰めて、下腹部のなかで存在感を主張し始めた膀胱は、敏感で繊細なサツキの自律神経を刺激した。『おんなのこ』は既に音を上げ、これからなお20分という時間、おしっこを保管しておかねばならないという状況に抗議の声を繰り返している。
 それをねじ伏せ、集中を欠くことなく難関のテストに挑む。たとえサツキがクラス成績上位の常連であったとしても、相当に難しい問題だった。
 押さえこもうとすればするほどに太腿はせわしなく動いて、椅子の天板の上で座る位置がずらされる。
(我慢、我慢よ……トイレなんか――後っ!!)
 切なくも激しい欲求は、絶えることなくテストに苦悶する少女の下腹部を執拗になぶり続けていた。





「――よし、そこまでだ。終了」
 教諭の声にサツキは我に帰った。鳴り響くチャイムと、わずかに弛緩し安堵した空気。
 ついさっき、確認したばかりの時計が、気付けば大きく動いている。のこり10分のはずの時間を飛び越えて、現国の試験は終わっていた。
 かち、かちと、秒針が黒板の上で時間を刻む。
 それは同時に――サツキの意識に滑り込んだ無意識の空白が、貴重な期末試験の時間を大きく削り取ったことを意味していた。
(……全然、できなかった……っ)
 時間とともに、まるで見えない何かで削り落とされてしまったような、虫食いだらけの解答欄を晒す答案用紙を、回収の手にゆだねながら。サツキは小さく唇を噛んでいた。
 ちょっとくらいトイレに行きたくてもどうってことない。ちゃんと集中さえすれば――。
 そんなことを考えていた自分がどれほど甘かったかを、サツキは思い知る。下腹部に熱く重く膨らんだ水風船を抱え込むことによる身体の不調は、そのままダイレクトに思考能力にブレーキを掛け、平常心すら失わせていた。読んだ問題文が眼に入らず、自分がどこまで回答したかもわからなくなる。デジャビュにも似た錯誤を何度繰り返してしまっただろう。
 それでも、とりあえず解答欄さえ埋まっていれば、儚くも一抹の望みを託すこともできるだろうが――空欄となれば正答の望みはまったくない。おそらく、今回の現国の試験は、生涯稀に見る悲惨な出来となるだろうことは、想像に難くなかった。
 答案を回収し終えた教師が、号令をあとにして教室を出る。
(と、とにかく今はトイレ!! 混んでるだろうし早くしなきゃ。次の時間までなんて、我慢できない……っ!!)
 後ろ髪を引かれる思いは多々あったが、もう振り返ってもどうしようもないことだ。試験前ということでいつも以上の混雑が想像されるトイレに急ぐべく、サツキは椅子の脚を鳴らして立ち上がる。
 が。
「ねえ、サツキどうだった? あたしもう全然ダメでさー」
「えっ……そ、そうね」
 いつも以上に距離を近く、チエリがサツキの傍に寄り添ってくる。あまりの至近距離に、不審を気取られまいと緊張したサツキのかかとが、床上で小さくたたっ、とステップを刻む。
 ぞわりと立ち昇った感覚が、下腹部からゆっくりと股間の先端へ、むず痒い熱を響かせた。
「んくっ……!」
 熱い雫がまさにその『出口』近くに押し寄せる感覚に、サツキは思わず息を飲む。
「なんか、調子悪そうだったよね、サツキもー。あれ難しいからしょうがないけどさ、あはは」
「う、うん……」
 チエリから見えないように、スカートの裾をぎゅうと握り締めたサツキはそう答えるが、返事はまるで上の空だった。心は既にまだ見ぬトイレへと飛び、そこで順番を待つ自分を思い描いている。
 チエリの口調から、サツキはテスト時間中に何かに気付かれたのではないかと不安を抱きつつも、それを誤魔化すための方策を必死に考えていた。
 その一方で、スカートに包まれた内腿にはぷるぷると力の篭り、硬く張り詰めている。その付け根の下着の布地に包まれた敏感な排水口から、熱く迸りそうになる水流を押さえ込むために厳戒態勢だ。
「――ねえサツキ、コレあげるよ」
 まったく唐突に、にこにこと笑顔で、チエリは隣にいたアキから小さな紙パックを受け取り、ひょいとサツキに差し出す。
「な、なによ……コレ」
「差し入れだよ。サツキ、喉渇いてるでしょ?」
 それは、200ml入り紙パックのコーヒー牛乳と、レモンティ。どちらも校内の自販機で売られているものだ。チエリは困惑するサツキの手の中に、無理矢理その二つを握らせる。
 紙パック越しにも良く冷えいるのが分かる二つの飲料は、確かにむしむしと篭った教室の中では、喉を潤すには最適だと言える。
「緊張すると喉乾くよねー。あたしはさっき飲んだからさ、サツキにあげる。いっとくけどおごりだよ? さっきのお詫びも兼ねて、ね」
 しかし、明らかに作為的な『コーヒー』と『紅茶』という尿意を呼び寄せるラインナップは、どう繕ってもその裏に意図を勘繰らせてしまうものであった。いまなお苦しむサツキの『おんなのこ』に、更なる不安をもたらす為のチョイスとしか思えない。
「え、でも……」
「眠気覚ましにいいよ? あたしも夜とかに良く飲むんだ。眠れなくなっちゃうこともあるけどー」
 だが、邪気のない顔でチエリにそんな事を言われると、サツキも強くは切り返せない。乏しいお小遣いをやりくりする学生の身分での飲み物のおごりは、それなりに重いものでもある。
「で、でも今――その、ほら、ちょっとダイエット中で……」
「いいじゃん。ちょっとくらい。ね、甘いものあると頭も疲れないよ? あたし本当に反省してるんだ。サツキのことも考えずにさ、なんか嫌なこと言っちゃったって……」
 口を突いて出たのは、拒否の言葉。しかしチエリはあくまで親切心からというスタンスを崩さず、抵抗しようとするサツキに紙パックを押し付けた。
 いつの間にか、サツキはチエリと友人たちに囲まれている。一見、テストの出来を慰めあうようなクラスメイトの語らいは、その実サツキを閉じ込める檻だった。
「遠慮しなくていいってばぁ。もぉ、サツキならそれくらい、余裕でしょ?」
 その中心でチエリに迫られ、ますますサツキは追い詰められていた。
 手の中に感じる、冷たいコーヒー牛乳とレモンティ。そのどちらもが文字通り、更なる苦難の呼び水となるものだ。
(こんなの飲んだら、もっとトイレ行きたくなっちゃう……)
 ただでさえ今朝からの尿意で敏感になっている下腹部には、軽く口にした想像だけでも辛い。
(で、でも……)
 せっかくの和解の証を、この状況で断るということは、友人たちの面前でチエリとの全面対決の姿勢を見せるということに近い。チエリのほうが深く反省し、折れてくれている状況でのそのような対応は、さすがにわがまま――あるいは、オトナではないものと言えた。
 だから、サツキは精一杯の笑顔で、それをうけとる。
「う、うん……ありがと」
 チエリの笑顔の裏側に、陰湿な邪気が混じっていることにも、気付かないままに。
 サツキはコーヒーの紙パックを受けとると、一瞬躊躇してからその飲み口にストローを指しこんだ。
(っ……、なんでもない、なんでもないのよこんなの。全然、大したことじゃない。ちょっと飲んだくらいで、もう子供じゃないんだから、ちゃんと我慢できるはずよ……これくらい)
 覚悟を決めてストローに口を付けたサツキは、そのままごくごくと中身を空にしてゆく。
 そう、要は考え方の問題だ。
 いくら利尿作用の強いコーヒー飲料とは言え、飲んだすぐ傍からいきなりオシッコになるわけもない。摂取した水分が吸収されるのは腸であり、そこまで到達するにはどうしたって時間がかかる。これからトイレに行くサツキには、あまり関係のない問題――の、はずだ。
 だから大丈夫。だから耐えられる。
(……っ、ふ、はっ……)
 少しずつ軽くなってゆく紙パックを感じながら、サツキは理性を総動員してそう考えようとした。決して今すぐ限界が来て、恥骨の上のダムが決壊してしまうなんてことはない。あり得ない。だってもう、サツキはとてもじゃないけどオモラシをするような年齢ではない。
 そりゃあ、驚いたり、体調の問題で、トイレが非常に近かったり、上手くいかない子が現実問題、いるのは分かる。けれどサツキはそうではないし、なによりもただ単純に、『トイレに行けないうちに、オシッコが我慢できなくなって、オモラシ』なんてありえない。
 小学生か、それこそ幼稚園の子なら分からなくもないけれど、サツキは違う。断じて違う。断じて、オモラシなんかをしていい年齢じゃない。許されるわけがない。
(っ、んぅ、ふぅ……ぅっ)
 時間をかければかけるほど、どんどん辛くなることを悟ったサツキは、ストローを大きく口に含むとそのままパックを握りつぶすようにしてぐいっと吸い上げ、半分ほど残る中身を一気に喉奥に流し込む。
「ぷは……っ」
 わずか200ml――しかし、まるで鉛を飲み込んだように、サツキの腹部は重くなっていた。既に満水の貯水池が、またぐんとその貯水量を増したかのようだ。
「すっごおい。やっぱ喉乾いてたんだねサツキ。もう一本飲むよね?」
 言うが早いか――チエリはもうひとつのレモンティにストローを刺しサツキに差し出した。有無を言わせぬ口調に、サツキは反射的にそれを受け取ってしまう。
「あ、あの……」
 だが、今の200mlでもかなり厳しかったサツキには、もはやこれ以上余計な水分を体内に吸収することは禁忌と言っていいほどに苦痛だった。今こうしている間にも、重くなった胃袋から直接、オシッコが精製され、膀胱に流れ込んでいるような錯覚すら覚える。
 わずかな水分を口にしただけだというのに、小さく足が震えだし、サツキは小さく腰を揺すり始めてしまう。
 しかし――サツキの背中にはユミやアキの視線が集まり、楽しそうな話題が響き合っていた。まるで見えないカーテンが、サツキの机を周囲から遮ってしまったかのよう。
 まるで、サツキがレモンティを飲むことは当然という空気が、そこにあった。
「次、数学かぁ……自信ないなぁ」
「わたしもだってば。あー、全然勉強してないしっ」
 サツキはちらりと後ろを見る。さっきから気になる時計の分針は、既に休み時間の半分ほどを過ぎていた。もはや時間の猶予もなく、ちりちりと高まって差し迫った尿意は、至急トイレに向かい、然るべき行為を済ませろと少女を急かしていた。
(……しょ、しょうがないわ……余計なこと言って、またこじれちゃうのも嫌だし……)
 さっきみたいな妙な雲行きで、トイレに行く貴重な機会をこれ以上奪われることだけは避けねばならない。
(だ、だいじょうぶ、あとちょっと、飲むだけだから……)
 たった200mlで猛烈に効き始めたコーヒーの心理的効果を、あえて無視するように、受け取ったレモンレィをこくり、と口に含む。
(飲んだら、すぐにトイレ行って……それで、ちゃんとテスト、受ければ……)
 むずがる脚の付け根の奥の『おんなのこ』をなだめ、サツキはゆっくり慎重に、ストローを啜る。あと少し、あと少しと自分に言い聞かせながら水分を摂取するその行為の本質は、表面張力で盛り上がったコップの縁に、水滴を注ぐようなものだとも気付かずに。
「んっ……」
 びくん、と下腹部の緊張に思わず喉が震える。
 こぽこぽと音を立て、下腹で硬く張り詰めた貯水池が揺れる。まるで身体全体が水分の摂取を拒否しているよう。あるいはそれも、すぐに訪れる苦痛を避けようとする少女の身体の防衛本能かもしれない。
 頭がぼうっとしている。ちゃんと思考は冷静なはずなのに足元がふわふわして、じんじんと疼く下半身がそのまま頭にどくっどくっと血を送り込んできているようだ。
 いや、実はこの音もひょっとしたら心臓の音ではなく、おなかに集まる恥ずかしい熱湯の脈打つ音かもしれない。だってサツキは1日に何回トイレに行くのだろう。1回の量なんて考えたこともないけれど、少なくともいつもなら朝起きた時とホームルームの前、それに1時間目の後の休み時間。それだけの分のオシッコが、サツキの身体から排出されているはずだ。
 でも、今日はまだ1回もそれをしていないのだ。
(は、はやくしなきゃっ……)
 一刻も早くとトイレをせがみ、水分の体外への放出を訴える身体とは裏腹に、サツキはその正反対の行為に没頭していた。
 だから、いつしかアキやユミの囁き交わす声が、くすくすと潜められた嘲笑に変わっていることにも気付かない。チエリがさりげなく、サツキの行く手を塞いで、教室から動けなくしていることにも気付けない。
 そしてとうとう、サツキがレモンティの紙パックを空にするよりも早く、高らかに予鈴が鳴り響く。
(え、ええぇえ……っ!?)
「はあい、席についてー」
 2時間目の試験の開始を告げる、試験担当の教諭の声とともに。
 更なる苦痛の第2ラウンド、長い長い数学の50分が、またも幕を開けた。



 (初出:書き下ろし)
[ 2009/04/04 22:24 ] 小説 | トラックバック(-) | コメント(-)
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